次に、直近(平成31年)の大阪府守口市議会選挙を見ていこう。
公明党と自由民主党が得票率に対して過大に議席を獲得し、大阪維新の会と日本共産党が得票率に対して過少に議席を獲得していることが見て取れる。
日本共産党の議席数が少ないのは、目黒選挙区や北区議会の例と同じく、共倒れが発生しているからである。
しかしながら、大阪維新の会の議席が過少になっている理由は共倒れではない。
事実、この選挙において大阪維新の会公認候補は誰一人として落選していない。
それどころか、得票数上位4人が大阪維新の会公認候補なのだ。
つまり、大阪維新の会は票読みが過少であり、一部の候補に票を集中させ過ぎたのである。
もし、大阪維新の会がより多くの候補を立てて、既存の候補から上手く票を配分させることができれば、さらに多くの議席を得ることができただろう。
もちろん、本稿の目的はそういった票読みの甘さを指摘するものではなく、むしろ逆である。
そのような、政策の実現には全く関係のない不毛な候補者数調整の努力を政党に強いたうえ、政党が票読みに失敗したり、票分散に偏りが出た際に、有権者の民意とはかけ離れた議席配分を生み出してしまうこの大選挙区制の存在そのものが有害であり失敗であるということ。
それが本稿の主張である。
さて、ここまでの分析により大選挙区制が共倒れ及び過少立候補によって本来の民意を反映しない選挙結果を出力してしまう制度だということが示唆されたわけであるが、これら直近の選挙を見る限り、そのような一般的な結論からもう一歩踏み込んだ、個別具体的な結論も皆様の胸中に思い浮かんでいるのではないだろうか。
それは、この大選挙区制という制度が常に公明党を利しているという結論である。
上にあげた3つの事例において、公明党が常に過剰議席を獲得しているのは偶然ではない。
大選挙区制下で効率的に議席を得るにあたっては、正確に票を読み、候補者数を適正に調整して、なおかつ票を候補者全員に対して均等に割り振って、全員を当選圏内に押し上げる、というプロセスをどれだけ精緻に行えるかが重要になる。
そして、創価学会という、単一の比較的統制された支持母体から支持者と候補者を調達する公明党は、その精緻さにおいて明らかに有利を得る。
反対に、浮動票からの得票が多いために票読みが難しく、候補者個人の力量に頼った政治活動を行うために候補者調整(特に立候補の取り下げ)も難しく、有権者が同一政党公認候補内の誰に投票するかを制御しづらい政党(自民党や立憲民主党、日本維新の会など)は不利な立場に置かれるのだ。
支持者の人数ではなく、支持組織の特性によって議席数が決まってしまう。
このような選挙制度と、そこから生み出された議席配分に正統性を与えることは難しいだろう。
2. 候補者間競争の問題
ここまでは、選挙における得票と獲得議席の乖離問題について分析してきたが、ここからは、大選挙区制が各候補者の選挙活動そのものに与える悪影響について分析する。
まずは、本稿冒頭で紹介した、東京都議会議員選挙目黒選挙区の結果をもう一度確認する。
もし、自民党が統一候補のみを出馬させることができていれば勝てたであろう、という議論を行った選挙区ではあるが、現実にはもちろん、二人の候補が自民党から公認されていた。
ここで、鈴木氏あるいは栗山氏の立場に立ったとき、どのような選挙戦を行えば自らの当選確率を上げることができるだろうか。
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