「窓際のトットちゃん」黒柳徹子 評価:2点|マルチタレントの先駆けが通ったあまりにも自由で不思議な小学校【芸能人伝記】

窓際のトットちゃん

日本における最初のテレビ放送開始(1953年)以来、常に第一線で活躍し続けている女優にしてマルチタレント、黒柳徹子さんが幼少期の生活について綴ったノンフィクション自伝です。

発行部数は驚異の800万部超を誇り、単著としては戦後最大のベストセラーとなっている本作。

世界でも売り上げを伸ばしており、中国でも1000万部を突破するなど、まさに世界的名作とされている作品です。

とはいえ、個人的な感想としては単なる「いい話」の域を出ていないという印象でした。

そもそも黒柳徹子さんという超有名タレントが出版しているという側面に加え、作中で描かれる自由で温かい学校生活の在り方が管理教育全盛だった出版当時(1981年)の状況に対する反逆として「刺さった」のも大きかったのでしょう。

ただ、昨今の教育を取り巻く事情を鑑みると、本書が再び脚光を浴びる時期も遠くないように感じます。

主人公のトットちゃん(=黒柳徹子さん)は多動症気味の子供で、クラスメイトにも身体障害を抱えている子供や帰国子女の子供が登場します。

差別を受ける外国人(朝鮮人)の子供に纏わるエピソードも登場するなど、いかに多様性を認めあい、それを活かしてゆくのか、という視点で語られることの多い現代教育にもやはり「刺さる」側面が多くなっております。

戦前に実在した「トモエ学園」での生活を、現代教育の在り方と照らし合わせて読むと面白いのではないかと思います。

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あらすじ

小学一年生のトットちゃんは少し、いや、かなり変わった女の子。

授業中に筆箱の蓋を盛んに開け閉めしたり、お絵かきの時間には画用紙からはみ出して机にまで絵をかいてしまったり、果てには、窓ぎわに立ってチンドン屋を呼び込もうとする始末。

そんなトットちゃんに対して、担任の先生は怒り心頭。

トットちゃんの母親を呼び出し、その迷惑ぶりを説明すると、トットちゃんの母親も「これじゃ、ほかの生徒さんに、ご迷惑過ぎる」と恐縮しきり。

とうとう、トットちゃんの母親はトットちゃんを転校させることを決意する。

トットちゃんの転校先として選ばれたのは「トモエ学園」という非常に小規模な学校。

どんな学校かとドキドキするトットちゃんを待ち受けていたのは、とても自由で温かい、生徒の個性を伸ばすことに注力する魅力的な学校生活で......。

感想

トットちゃんが普通の小学校を「退学」になるくだりを除けば、全編が「トモエ学園」での生活中に起きたエピソードを連ねた連作短編のような形式になっております。

廃車になった電車の車両を教室とし、誰もが好きな教科をめいめいに勉強して良いとする桁外れに自由な校風。

歌を歌ってからお弁当を食べたり、水着さえ着用せず素っ裸で水泳の授業が行われたり、校長先生の考えたオリジナル競技ばかりの運動会が開催されたりと、軍国教育全盛の当時では考えられないような日常が「トモエ学園」では繰り広げられております。

そんな環境の中で、腕白ながら感受性の強い「トットちゃん」が本当に大切なことを知っていくという展開に本作の魅力があります。

実際、トモエ学園の日常や行事は理想の教育実現を目指す校長先生が頭を捻って考え出したものです。

例えば、運動会のオリジナル競技は身体に障害のある子供でも活躍しやすくなっているなど、多くの子供が自分自身に自信を持って学校生活や人生を送れるよう工夫されています。

また、トットちゃんの繊細で鋭い感性が発揮される場面が多いことも特徴で、お金を落としてしまったトットちゃんが、すぐに拾うと周囲の人から落ちているお金をネコババしたのではと疑われることを恐れていたエピソードなんかはとても共感できました。

さらには、長屋に住む朝鮮人の「マサオちゃん」という男の子が、トットちゃんに向けて憎しみのこもった鋭い声で「チョーセンジン!」と叫ぶという悲痛なエピソードには胸を割かれそうな気分になります。

自分が普段から「チョーセンジン!」と馬鹿にされている「マサオちゃん」は、それが朝鮮人である自分を差別するだけの用語だとは気づかず、他者への罵倒一般としてこの言葉を使っているのです。

自由な校風と、それを実現しようとする校長先生の心温かな動機。

様々な体験から培われた、戦争や外国人差別への忌避感。

こういった要素が今日の黒柳徹子さんを育んできたのだと思うと、良い意味での歯に衣着せぬ物言いの背景や、ユニセフ親善大使を長年務めている人柄にも納得がいくというものです。

話は少し変わりますが、最近は形式ばった学校教育への批判が、経済的な側面からも批判されているように見受けられます。

管理教育的なやり方が、単に学校生活の中で個性を潰し子供を不幸にしてしまうという短期的目線に依った批判だけでなく、高度に発展した技術を扱う産業の比率が高まったり、あるいは、インターネット等を使用したエンターテイメント産業が勃興したりする中で、勤勉な労働者を育てても需要がなく本人が経済的に困るだろうという視点です。

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