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「日本社会のしくみ」小熊英二 評価:3点|終身雇用制と職能給という雇用慣行が生まれた背景を探求する【社会学】

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日本社会のしくみ
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バブル崩壊以降、「地元型」の減少と「残余型」の増加が起こり、意外にも「大企業型」は減っていないという状況で、「大企業型」「地元型」「残余型」の比率は現在、26:36:38%になっていることが本書では立証されています。

このあたりの議論は小泉政権や「年越し派遣村」のあたりから断片的に語られていたことではありますが、様々な統計からの引用で定量的にも分かりやすくなっており、「非正規」の増加にばかり目を付けた議論ではあまり言及されることのない、「地元型」の減少や「大企業型」の数字が維持されていることにまで目配りされているところに好感が持てます。

ここまで日本における雇用の三類型を概観してきましたが、それでは、欧米における雇用慣行はどうなっているのでしょうか。

そんな国際比較の視点が第2章で、そういった欧米の慣行はどのように形成されていいたのかという歴史的な解説が第3章で述べられます。

ざっくりいえば、欧米の雇用形態は三類型ならぬ三層構造となっており、それは「上級職員」「下級職員」「現場労働者」に分けられます。

それぞれ日本における「総合職・専門職」「一般職」「現場労働者」にあたるといってもよいでしょう。

ただ、これは「企業」における階層であって、欧米の「自営業」について本書では言及がありません。

さて、この三層構造の特徴としては、「上級職員」は給与も高いが競争が激しく、逆に「下級職員」や「現場労働者」は低給与ながら定型業務をこなすだけでノルマなどもほとんどないので収入や職場環境が比較的安定しているという点です。

そして、それぞれの地位に就くには、「上級職員」ならば昔は大卒でよかったところをいまは大学院卒が必要とされることが多くなり、「下級職員」も高卒→大卒と求められる学歴が上がっています。

そして、それぞれの階層内での待遇の違いは自分が持っている「職務」によって決められ、年功序列のような基準はありません。

希望することなく現在の「職務」を離されて別の「職務」を負わされることはない一方、現在の「職務」に対して満足な成果を挙げられていないとなるとクビにされ、逆に特定の「職務」に就くにはポジションが空くのを待ってからさらに社内外の応募者たちと争ってその「職務」を獲得しなければならないのです。

人事部や人事担当者が強大な権限を持って社員たちの「職務」付け替えを行う日本の典型的大企業とは随分異なっているといえるでしょう。

また、常に「職務」単位で人を募集するため、新卒一括採用は存在せず(年功序列賃金が存在しないため、若年者(=低給与で使える人材)を血眼になって補充する必要がない。重要性の低い「職務」に空きが出た場合、その重要性に応じた給与で都度募集をかけ、年齢に関係なく雇用する)、雇用にあたっては当該「職務」を遂行する能力が重視されるので、大学や大学院での専攻及び他社での経験も含め類似職務での熟練が問われます。

一方、日本では「職務」を入社後に決めることがほとんどなので、募集選考段階で特定「職務」への専門性が顧みられることは少なくなります。

むしろ、どんな「職務」に就いても必要とされる能力、つまり偏差値やコミュニケーション能力といった普遍的な能力をもとに選抜が行われます。

一度「職務」が決まっても数年おきに異動があることを考えれば、「職務」をたらいまわしにされても短期間で順応する能力ともいえるでしょう。

そして、給与は「職務」に応じてではなく、社内での経験年数で決まります(=年功序列賃金制)。

「職務」をたらいまわしにされる以上、磨かれる能力というのは社内に存在する様々な暗黙のノウハウ吸収であったり、社内コミュニティにおける信頼獲得という要素なので、「年数」が疑似的な能力評価として概ね機能しますし、差をつける機会を後ろ倒しにすることで出世競争を煽るという方法でしかインセンティブを持たせることができないためです。

それでは、どうしてこのような差が生まれたのでしょうか。

その理由は歴史的経緯の違いであり、第4章以降で語られるその解説こそ、本書のメインディッシュになります。

欧州では中世の「ギルド」からの名残りで職種別組合が発展し、組合が特定技能の教育・技術認定を行ったほか、組合が同一技能だと認めた職人同士が所属企業の違いという理由で給与差が生まれないようはたらきかけたため、所属企業ではなく「職務」の違いによって待遇の差が決められるようになったとのことです。

一方、アメリカでは戦時中の労働力不足で労働者の発言権が高まり(凄いことですよね。「戦時中に労働者の発言権が高まってしまうこと」を抑制しなかったアメリカのような国が、それを無理やり抑制した日本のような国に対して戦争で勝利を収めるのですから)、職長による恣意的な賃金体系の改善を求めだしたところから職務給の萌芽が芽生え始めます。

つまり、職長に気に入られているか否かではなく、それぞれが受け持っている仕事の性質に合わせて賃金が払われるべきだと主張し始めたわけです。

それに加え、公民権運動などで人種差別撤廃が謳われるようになるとこの傾向に拍車がかかります。

就職や給与支払いの際に人種差別をさせないようにするには、差別心の隠れ蓑になるような曖昧な基準(それこそ精神力やコミュニケーション能力など)ではなく、「職務」に対する専門性だけを考慮すればいいというわけです。

一方、日本の近代的「雇用」の歴史は専ら官庁による採用から始まりました。

明治初期では激増する行政需要に帝大卒者の供給が追い付かず、とにかく卒業した者から(あるいは卒業すら待たずに)どんどん採用するという、やむにやまれぬ新卒一括採用がなされていました。

多様な行政需要対応のために職務の限定などという発想はあり得ず、勅任官や奏任官、判任官といった職務との結びつきがない「階級」によって給与が決まり、帝大を卒業して官庁に入った人々は凄まじい速度でこの階級の階段を上っていったのです。

この方式は当時ホワイトカラー雇用の大部分を占めていた国営企業や地方公務員(教員含む)にも適用されていったため、一般的な雇用形態として世の中に敷衍していきました。

「大卒」あるいは「高偏差値大卒」というステータスで足切りし、あとは「職務」ではなく「職能」と「年次」で給与を決める。

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