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「すずめの戸締り」新海誠 評価:2点|冒険・社会性・家族愛。全要素が中途半端になってしまった新海監督の最新作【アニメ映画】

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すずめの戸締り
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「君の名は。」の衝撃的な大ヒットで邦画界にセンセーションを起こすと、続く「天気の子」も成功させて国民的アニメ映画監督の地位を固めつつある新海誠さん。

そんな新海監督の最新作であり、2022年11月11日から公開されているのが本作となります。

本記事執筆時点で興行収入は既に90億円近くに達しているようで、2022年における日本での興行収入ベスト5に入ることを確実にしています。

そのうえ、三作連続での100億円超えも視野に入るという人気ぶりなのですから、単なる話題作という以上に多くの人が楽しんで鑑賞しているのでしょう。

そんな本作ですが、個人的にはやや凡庸というか、面白い作品になりきれていないように思われました。

少女と青年の出会いから始まる日本縦断のロードムービー、自然災害や過疎を題材にしているという現代性、日本的な神事から着想を得た物語展開、そしてもちろん、美麗な映像と音楽の組み合わせ。

「面白そう」な要素が揃い踏みしていることは確かなのですが、その全ての要素について掘り下げが中途半端に終わってしまった結果、何とも長所を見出しづらい映画となっております。

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あらすじ

物語の起点は九州某所の田舎町。

女子高生の岩戸鈴芽いわとすずめは登校中、長髪のイケメン青年とすれ違い、この町にある廃墟の場所を知らないかと問われて回答する。

一度は青年と別れた鈴芽だったが、どうしても青年のことが気になって仕方がない。

踵を返して山中に入り、鈴芽は廃墟の中を彷徨いながら青年を探し回る。

そんな鈴芽の前に現れたのは、何もない場所にぽつんと屹立する扉なのだった。

青年を見つけることができず、学校に遅刻して登校した鈴芽が昼食を摂っていると、教室中に緊急地震速報のアラームが鳴り響く。

窓の外を見た鈴芽の目に映ったのは、廃墟の存在する場所から空に向かって噴き出すどす黒い流体で......。

感想

日本を度々襲う自然災害は扉の向こう側に棲む「ミミズ」という存在が起こしていて、「ミミズ」をこの世に放つ発信源となる扉は、かつて多くの人間で賑わっていたけれどいまは寂れている場所に出現する。

そして、イケメン青年(名前は宗像むなかた草太そうた)は「閉じ師」を生業としており、全国各地の扉を特殊な技能を使って閉じることにより災害を防いでいる。

しかし、「ダイジン」という人語を解する不思議な猫により草太の魂が子供用の椅子に封じ込められてしまったため、草太を元の姿に戻すべく、鈴芽が家を飛び出して「ダイジン」を追いかけるところから本作の物語は本格的に動き出します。

通学路ですれ違っただけの青年を追いかける突飛な有機を持っていることや、あるいは、「ミミズ」の出現だとか、扉を閉めるために草太が負傷することだとか、あまつさえ、草太の魂が椅子に封印され、椅子が動いたり喋ったりするだとか、そのような事態に直面しても全く動揺しないという鈴芽が女子高生としてはあまりにも肝が据わり過ぎているという点に現実感のなさもありますが、そこはひとまず妥協するとしましょう。

突飛もない行動で日常のルーチンを打破するような人間にだけ、ひとときの特別な冒険が待ち受けている。

なにか物語をつくるうえでの、そんな設計思想自体は個人的に好みではあります。

とはいえ、本題であるはずの鈴芽を待ち受ける「特別な冒険」そのものがあまり面白くはないのです。

「ダイジン」を追いかけてフェリーに乗ってしまった鈴芽が最初に到達するのは愛媛県であり、ここで鈴芽は、同世代の少女であり民宿を営む家庭の娘である海部あまべ千果ちかに出会います。

千果のおかげで鈴芽は民宿に泊まることができ、制服では目立つからと私服も譲り受け、宿泊時には千果の恋バナを聞くなどして友情を深めるのですが、千果が作中で果たす役割はそれだけであり、ロードムービーを円滑に進めるうえでの便利屋でしかありません。

千果がもたらした衣服や恋バナの内容がこの後の鈴芽の行動に影響を与えることはなく、少女同士の交流を何の意味もなく見せられただけの場面に終わります。

次に出会うのは二ノ宮にのみやルミという女性で、神戸のスナック「ばぁばぁ」のママなのですが、所用で愛媛まで来ており、ヒッチハイクをしていた鈴芽を拾います。

鈴芽はスナックで宿泊させてもらい、食事も摂ることができるのですが、やはりそれだけです。

ここらで鈴芽の成長描写でも入れて、それが後に活かされる(旅に出る前の鈴芽にはできなかったような勇気のある行動ができるようになる等)ことになるならば上手いと思えるのですが、特段そういったこともなく、何の変哲もないスナック描写が為されて終わるだけです。

この後は新幹線で東京に向かうことになり、東京で物語が一転するので「鈴芽と心優しい一般人とのロードムービー」的な交流描写はここまでなのですが、その場における娯楽的効果以外は本当に何の意味もない場面になってしまっていることは非常に残念でした。

また、東京に至るまでの鈴芽の旅路には、そういった人々との出会いのほかに、もう一つ軸となる要素があります。

それは、草太の代わりに鈴芽が「閉じ師」の役割を担うということ。

愛媛では山中にある廃校となった学校、神戸では廃園となったテーマパークに扉が出現して「ミミズ」を排出し始めます。

いまは寂れて人が寄り付かなくなった場所の、そこで過ごしていた人々の想いを想像しながら扉を閉めて鍵をかける。

扉の閉じ方を草太から教わった鈴芽は実際にそれをやり遂げるのですが、感想としては、だからなに、としか思えません。

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