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教養書 「千の顔を持つ英雄」 ジョーゼフ・キャンベル 星3つ

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千の顔を持つ英雄
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1. 千の顔を持つ英雄

哲学者・神話学者として有名なジョーゼフ・キャンベル教授の代表的著作で、ジョージ・ルーカス監督が本作を参考にして映画「スター・ウォーズ」シリーズを製作したと述べていることでも有名です。

世界各地の神話に見られる「英雄の旅」。一見、それぞれの神話は全く異なる物語や意味を提示しているようで、その実、そこには共通の構造や意味があり、それこそ過去の人々が神話を構築して後世に伝えようとしたある種の「真理」だという画期的な神話解釈で脚光を浴び、今日まで創作者のバイブルとして扱われています。

2. 目次

プロローグ モノミスー神話の原型
第一部 英雄の旅
第二部 宇宙創成の円環
エピローグ 神話と社会

3. 感想

神話での「英雄の旅」における典型的な展開が短く説明されたのち、それを立証するために大量の古今東西神話エピソードが紹介されるという流れで基本的には話が進んでいきます。

とはいえ、さすが「哲学者・神話学者」という著者の肩書だけあって、決して読みやすい本ではありません。

紹介される神話のエピソードはほとんどが断片的なもので、普通の人にとって「ああ、あの話ね」とピンとくるエピソードはほとんどないといっても過言ではないでしょう。ギリシャ神話やブッダの話などはギリギリ分かるものもありますが、アメリカ原住民や南米・アフリカの諸部族の神話を出されても具体的にイメージするのは困難です。さらには、そもそも「英雄はたいてい~する」の「~」にも古代の神話らしい突飛な行動が入るので、その意味づけや当時の文脈・神話学の文脈を理解しないままではかなり抽象的でぼんやりとした理解にしか至らないでしょう。私自身の理解も正直なところそれに留まっており、身近で親しみのある物語たちとすぐさま結びつけられ「あれもこれも古典的なパターンだったんだ」と膝を打つには至りませんでした。

ただ、観念的・哲学的な意味以外で本作が述べようとしている点は明瞭であり、それを踏まえて読むと理解が多少なり進む面があります。それは一言でいえば「単一神話論」であり、上述したように、あらゆる神話には共通の構造(英雄や周囲の登場人物の行動・英雄が遭う出来事(試練など))があって、その構造からは単一の真理あるいは世界の真実が語られている。世界各地の神話は語られ方(登場人物の名前や造形・地理的条件など)が違うだけで、まさに顔は千個あってもただ一人の英雄の物語に過ぎないのだということです。

そして、その「共通の構造」というのが以下の図になります。

これを最初に出しておいてくれれば分かりやすいのに、英雄の旅が一通り語られた後、結論として下巻にようやくこの図が出てくるところに本作の不親切があります。

典型的な「英雄の物語」とはざっくりと言えば以下の通りで、

英雄は何者かによって日常とは異なる未知なる領域に導かれ、そこで助力者から強大な力に対抗できる何らかの力を得たうえで異世界との境界に立つ門番に出会い、その門番を倒すか躱すかして異世界へと入っていく。

しかし、異世界というのは正確には英雄自身の「内側」を表している。その神秘的な空間の中で英雄は様々な試練に立ち向かいながら知恵と勇気で勝利を収めていく。その過程で、「真理」は自分の中にあるのだと英雄は気づいていく。最後の戦いに勝利した英雄は女王or女神と結婚する。

英雄はこれまでの経験から超人的な自我を得て、「生」を完全に支配したことを悟る。花嫁を得て、邪悪な誘惑を振り払い、「自分」よりもさらに拡大した領域に自我を得ることで子供から脱皮して大人になり、父親が発していた恐怖を乗り越えて父親と一体化する。

そうして世界の真理を身に着けた英雄は、戦利品として元の世界を一変させるような力を携えて帰還の途につく。その帰還もまた(複数のバリエーションがあるが)英雄が神秘的な体験をしたり危機に遭ったりという冒険となる。境界を超えさせないため、異世界の側が英雄を引き留めようとするのだ。

しかし、当然ながら超越的な自我を備えた(私欲のない、あるいは「我」というものすらない)英雄の視点から元の世界を見ると、元の世界では人々が自分勝手に過ごしているように思われる。英雄はそんな人々のエゴを打ち砕き、元の世界と異世界を一体化させる(そもそもこの二つの世界は同一のものだった)。

ところどころ粗い部分もあるかもしれませんが、詳しいところは上下巻合わせて600ページ以上の本書を読んで頂くべきでしょう。重要なのは、上に要約した展開とは物語に多く触れる人が「どこかで聞いた物語だな」と思う展開だということではないでしょうか。著者の言いたいことを推測するならば、まさに各個別の物語こそ真理の「一つの顔」であり、どんな物語もその顔の下にある身体(一つの意味・真理)を表現している。それが最大公約数的に纏まっているのが本作というわけです。

4. 結論

私にとって本作は、いまこの場で何かを得るための本というよりも、きっとこの先で様々な物語に触れるにつけ本作の意味が分かってくるのだろうなと感じるものでした。これからも折節読み返す本になるかもしれません。真の「物語」とはなにか究極のところを探求したい、あるいは、この世の物語の全てを演繹的に説明した本があるのではないか。そんな気持ちを抱いたことのある人にはお勧めできます。

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