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教養書 「戦争の世界史」その1 ウィリアム・H・マクニール 星3つ

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戦争の世界史
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結局、蛮族や遊牧民は個別の戦争では強みを発揮したものの長期の支配を確立させることができず、弓矢を防げる甲冑を着た戦士を乗せられる馬が開発されたことで、ヨーロッパを中心に、戦争は騎馬+弓矢優位の時代から騎馬+ランス優位の時代に移り、またも少数戦士が優勢を取り戻します。

騎士たちを国家が支配する様式としての封建制が発達し、中央集権国家がその支配領域を広げていきました。

一方、中国では弩(クロスボウ)が開発されていたため甲冑戦士の優位が存在せず、国境守備の傭兵と遊牧民への贈り物外交で国防を行いつつ(傭兵と遊牧民にお互いを牽制させることで反乱と侵攻の両方を防いだ。事を荒立てた方が中国王朝からの利益を放棄することになる)、支配領域内では皇帝と官僚機構が強い力を持って徴税を行っておりました。

封建制のように、騎士たちが強力な中間搾取体として土地や農民を保有するなどといった事態は起こらなかったのです。

このように、武器が戦術を規定し、戦術が支配体系や国家の在り方を規定したのが古代から中世という時代でした。

第二章では、世界史上長く続いた中国優位の時代が解説されています。

中国では世界に先駆けて製鉄業が発展し、経済的にも人口的にも長期間にわたって世界No1国家として君臨し続けました。

その理由として、本書は中国国内における運河の発達を挙げます。

縦横無尽に整備された運河が輸送路を整えたことによって製鉄業の原料調達コストが低くなり、加えて、運河を使うことで製品を広範な巨大市場に対して売ることができたのです。

さらに、比較的自由な市場の中で、製品はいわゆる市場価格で取引されました。

これらの要素は将来利益に対する安定的な見通しをもたらし、富裕層に製鉄炉など大量生産設備への投資を促します。安定していた政治システムと巨大市場への自由なアクセスが、初期投資費用と固定費の大きい製鉄炉への投資を実現したのです。

そして、運河の発達がもたらしたのは製鉄業の隆盛だけではありません。

製品輸送路の拡大により、各地で分業が発達していきます。

その土地その土地に合った商品作物が生産されるようになり、農業の空き時間では手工業が行われ、それらの製品が地方市場で取引されることにより、中国はますます豊かになっていきました。

そんな中国は海を通じて国外への進出も行い、海上帝国として拡大していきます。

有名な鄭和の遠洋航海に象徴されるように、東南アジアからインド洋に及ぶ貿易圏を築いていくのです。

豊かな中国との貿易を行うため世界各地で港も発展していくのですが、港同士の健全な競争があったこともこの巨大貿易圏の発達に大きく貢献します。

各地の港は寄港中の安全や補給を提供する代わりに寄港料を徴収するのですが、グローバル競争の中で貿易船たちは自由に寄港地を選ぶことができ、それが各地の港(やそれを管轄する国家さえ)を優良サービスを低価格で供給する競争に巻き込んでいくことで、貿易船たちは低いコストで安全に海上路を移動することができたのです。

低いコストは参入障壁の低下をもたらし、さらに多くの商人たちがこの貿易圏における商業に参画していくというサイクルが生まれます。

しかしながら、こういった繁栄も長くは続きませんでした。

一度は隆盛を極めた製鉄業も、時代を経るにつれ生産量を急速に落としていきます。北宋から金、元へと王朝が移るにつれ軍隊の規模が拡大していき、製鉄業者たちは軍隊に鉄を供給するためにその生産力を振り向けさせられるようになります。

政府との取引はその価格が個別交渉で決まるうえ、政府の立場が強いために価格は抑えられる傾向にあり、製鉄業への投資意欲は失われていきます。

さらに、1194年の大氾濫で運河システムが崩壊し、産業発展の要となった輸送路が衰えてしまったことも製鉄業衰退の原因ではないかと本書は推測しています。

加えて、産業全般という意味では、官僚や民衆の富裕層に対する敵意がもたらす諸政策の影響も本書では示唆されます。

商業で成り上がった新興富裕層は、恣意的な税率調整や専売化と政府買い上げ価格の調整、賄賂の要求などで資本蓄積を妨害され、産業への再投資が不十分になる傾向があったというのです。

海上帝国という点でも、中国は自殺的な政策を推進してしまいます。

そのまま海上交易路を拡大していけばやがて後々のヨーロッパに先んじて世界帝国を築けたのではないかという勢いだった対外進出も、明時代に遠洋艦隊派遣を中止したことで中国貿易圏は急速に衰退していきました。外洋船の建設さえも中止されてしまい、中国の海上覇権は消滅するのです。

第三章では、中国に代わって世界制覇を成し遂げることになるラテン・キリスト教圏における軍事の発展が解説されます。

十一世紀ごろまでのヨーロッパでは、騎士階級が強い権力を握っていました。

専門の職人につくらせた刀槍と甲冑で武装し、幼い頃から軍事訓練を受けた騎士は少数でも他を寄せ付けない軍事力を誇っており、農民は騎士に物納することで身の安全を確保していたのです。

そんな騎士たちの支配領域は、スペイン・イタリア・プロイセンにまで広がっていきます。

しかし、十二世紀に転換点が訪れます。経済的技術的に先行していたビザンツ帝国やイスラム世界との交易拠点としてイタリアでは都市国家が発展していきました。

そこでは、市民一人一人が軍役を負い、富裕層が私財をなげうって城壁を築き都市を防衛する仕組みがつくられておりました。

そんなイタリア都市国家たちの同盟、ロンバルディア同盟が、騎士たちとの戦いの中でも次第に軍事的優勢を確保していきます。

個人戦による突撃しか能がない騎士たちは、緊密に連携して隊列を組むパイク(長槍)兵部隊を打ち破ることができず、また、巨大な城壁を前に都市国家を攻略することが難しくなってしまったのです。

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