恋愛小説家として著名な島本理生さん。
高校在学中に「シルエット」で群像文学新人賞優秀賞を獲得して純文学文壇にデビューした若き俊英であった一方、2018年には「ファーストラヴ」で直木賞を獲得するなど、エンタメ小説家としての顔も持ちながら長きに渡って一線で活躍している作家です。
そんな島本さんの作品の中でも、おそらく一番有名なのが本作でしょう。
「この恋愛小説がすごい! 2006年版」で第1位、「本の雑誌が選ぶ上半期ベスト10」で第1位、本屋大賞で第6位を獲得した作品で、著名な文学賞を獲得したわけではないものの、島本さんの代表作として挙げられることが多い作品です。
それゆえ、期待を持って読んでみたのですが、期待はずれだったというのが正直な感想。
文章表現の美しさはさすがと言わざるを得ない一方、陳腐な少女漫画風の物語は面白みもなく鼻につきます。
あらすじ
主人公は女子大学生の工藤泉(くどう いずみ)。
ある日、高校時代の恩師である葉山貴司(はやま たかし)から、演劇部の人数が足りないので助っ人として公演に出てくれないかと誘われる。
泉は葉山の申し出を承諾し、高校時代の同級生である黒川博文(くろかわ ひろふみ)と山田志緒(やまだ しお)、そして黒川の友人である小野玲二(おの れいじ)と一緒に演劇部を手伝うことになった。
活動を通じて、小野からの好意に気づき始める泉。
しかし、泉の胸には葉山との切ない想い出が残っていて......。
感想
端正な文章表現は見事としか言いようがなく、特に自然描写は胸に迫るものがあります。
一文が短くテンポのよい文章にも関わらず、どこまでも小さな感動が尾を引くような、常に甘く切ない余韻が漂っているような表現力は恋愛純文学の境地に達していると言えるでしょう。
一方、物語はあまりにも陳腐で拍子抜けいたしました。
主人公の泉は高校時代に孤立しており、いじめまで受けて不登校気味だったという設定。
そんな泉に優しく接してくれたのが葉山先生であり、卒業式の日にキスをした想い出が泉の胸にはずっと残っています。
そういった事情は露とも知らない小野くんが泉にアプローチをして、一時は付き合うのですが、やはり泉は葉山先生を忘れられず、最後は葉山先生のもとに帰るというのが大まかな物語の流れです。
端的に言って主人公の泉がクズすぎるのですが、物語は「わたしってなんて可哀想なんだろう」という泉の自分勝手な思い込みに対して恐ろしいほど肯定的に進むので怒りが湧いてきます。
自分の想いをなかなか受け取ってくれない葉山先生への想いを断ち切れずに、精神的に苦しむ。
そんな中で小野くんから告白されて付き合うも、葉山先生のことが忘れられず、精神的に苦しむ。
最後は小野くんを振って葉山先生のもとに戻り、妻のいる葉山先生と性行為をしてこれまでの想いを発散させたうえ「自分は過去の恋愛にケリをつけ、それを本当の『想い出』にできたのだ」という態度になって終幕。
葉山先生にも小野くんにも迷惑をかけながら、周囲が泉のことを気にかけてくれているにも関わらずうじうじと自分勝手に苦しみ、自分自身を高めようとか、誰かの役に立って喜んでもらおうなんて考えは一切なしに、自分に言い寄ってくる二人のイケメンのどちらを選ぶのかで迷うことに終始する。
そんな贅沢な悩みを抱えているだけのことをさも悲劇的に捉えて、自分の人生が苦しいものだと嘯く姿は非常に醜く感じられます。
明確に拒否したわけでもないのに、小野くんが同意なしに性行為に及んだのだと友達に愚痴をこぼしたり、小野くんという彼氏がいるのに葉山先生とも恋愛的に関係し、それを小野くんに問いただされると、自分も苦しんでいるのだと被害者ぶる。
泉は結局、葉山先生でも小野くんでもない人物と結婚するのですが、自分にとって最高の人はいつだって葉山先生だけど、相手から言い寄ってきたし、まずまず悪くない関係だから、妥協して結婚するのだという内心をどこか誇らしげに感じているような描写も気持ち悪いことこのうえありません。
「破滅的で背徳的な恋愛をしている悲劇のヒロインな自分」
そんな自分に酔っているだけの人間が、その酔いから覚めることなく、ひたすら愚痴っぽくうじうじしているだけの姿を見せつけられるうえ、そういった態度を暗に批判するような表現もない物語の何を楽しめばよいのでしょうか。
さらには、泉が憧れる葉山先生もあまり魅力的な人物とは言い難いのです。
いじめられている女の子に優しくすることで親しくなり、好意を抱いて卒業式ではいきなりキスをする。
葉山先生が泉に対していかに紳士的でカッコいい人物だったか、という点は折に触れて語られるのですが、その割に葉山先生はいつもなよなよとしていて、泉の好意にもなかなか応えようとせず、妻との復縁を決めた瞬間に泉との性行為に走るという畜生ぶり。
泉に感情移入することで、「妻との復縁を決めた人間に求められるほど価値の高い自分」、「葉山先生を想いながらも小野くんに言い寄られる価値の高い自分」あるいは「身勝手な悩みにみんなが付き合ってくれるほど価値の高い自分」に酔うことができる読者がいるのだとすれば本当に信じられないことです。
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