聖歌隊の成長と、芽生え始めた地域との交流という温かな展開には胸をうたれます。
しかし、保守的な性格の院長は悩むのです。
修道院がこれほどまでに過激なほど進歩的なやり方を許容してよいのだろうかと。
物語が後半にさしかかる辺りで、院長は別の修道院への異動希望を出したことをデロリスに告げるのですが、ここで院長に対してデロリスが厳しく出ないのがいいんですよね。
保守的な院長の価値感やその背景にある人生観にも共感を示しながら、穏やかに残留の説得をするデロリスの穏健な態度が彼女の持つ器の深さを上手に表現しています。
世代や立場による考え方の違いを、たとえ相手が完全に間違っているように思えても正面から受け止めようとする姿勢はぐっときますね。
そういう姿勢という点では、最終盤にサウザー警部補が放つ「危険な目に遭わせて済まない」という台詞もさりげなくいい味を出しています。
デロリスがサウザー警部補の忠告を無視してしまうことでデロリスはマフィアに拉致されるのですが、救出に来たサウザー警部補がデロリスを責めるのではなく自分自身を責める台詞を放つという姿はまさに警察官の鑑だと言えるでしょう。
こういった人情/任侠的「漢気」に満ち溢れた世界観にほろっとさせられる映画なのです。
また、最後になりますが、本作が持つ社会派的な側面も忘れてはなりません。
本作の舞台となっている聖キャサリン修道院は、非常に治安の悪い貧困地域のど真ん中に建っているという設定になっており、その厳格な修道院生活を安全に守るため周囲に塀を設けて地域との交流を自ら閉ざしていました。
若いシスターの中には閉鎖された環境のなかで祈りを捧げるだけで困っている人への奉仕活動ができないことに悩んでいる人物もいるのですが、なかなか言い出せないという状況。
そこに、デロリス=シスター・メアリー・クレランスという異分子が入っていくことで修道院は変わっていくという展開には、現代における伝統宗教の在り方という社会問題が内包されています。
つまり、伝統的な様式や神聖さを維持するために保守化し、周囲との交流を絶ってしまうことで、却って、もともとの教義の中心にあった大衆の心を救うという目的が果たされなくなっていくという問題です。
いまや宗教が人の心を救えていないのではないか、という鋭い問いかけがこのコメディ映画の中に自然な形で溶け込んでいることが本作の巧みな側面なのです。
そして、そんな問いかけが序盤から伏線的に使われている点にも注目するべきでしょう。
院長が修道院に来たばかりのデロリスに対し、「歌手としての実績はほとんどないみたいね」や「ベッドの中でいままでの(粗野で汚らわしい)人生を振り返れ」という台詞を放つのですが、この台詞は修道院にもそのまま跳ね返っているわけです。
地域の宗教共同体を指導する立場としての実績がほどんどなく、いままで何をやっていたのかと自問自答しなければならない状況にあるのはまさにこの聖キャサリン修道院であり、そこに解決のための「答え」を持ってくることになるのがデロリスをである、という皮肉が効いています。
結論
ハイテンポで気持ち良く鑑賞できる作品でありながら、要所要所では人生や社会に対する深い含蓄を伴っている作品。
あっという間に時間が過ぎていく感覚を得られること間違いないです。万民にお薦めの名作だと言えるでしょう。
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