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「アナと雪の女王」クリス・バック 評価:4点|巧みな比喩表現で語られる「真の愛」【ディズニー映画】

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アナと雪の女王
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2013年に公開されたディズニー映画。

世界中で大ヒットした超有名作です。

日本でも興行収入歴代3位となる255億円を記録しており、2019年現在でさえ本映画の名前を知らないという人の方が少ないでしょう。

松たか子さんが歌った劇中歌の"Let it go"(の日本語訳版)もブームになりました。

私は今更ながらに初視聴してみたのですが、評判に違わずいい映画だったというのが正直な感想。

シンプルに「愛」や「勇気」についての物語として観ても面白いですし、これまでのディズニー、あるいは旧い社会の固定観念を振り払うためのメタ社会的な物語としても深みがあります。

表面をさらっても楽しむことができ、それでいて真理や深遠さも備えている。そんな作品の一つです。

ディズニー (出演), クリス・バック (監督), ジェニファー・リー (監督) 形式: Blu-ray
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あらすじ

舞台はアレンデール王国、主人公は二人の王女アナとエルサ。

姉であるエルサは幼少の頃から氷の魔法に長け、その魔法を使ってアナと一緒に遊ぶことが多かった。

しかしある日、エルサは誤って氷の魔法をアナに命中させてしまい、アナは意識不明の重体となってしまう。

トロールによる治療でアナは回復した一方、エルサはアナを傷つけてしまったことを悔い、暴走する自分の魔法力を自力では抑えられないことを悟ると、自室に引きこもって外界との接触を断ってしまう。

アナは仲の良かったエルサが態度を豹変させたことに驚き、孤独を抱えながら城の中で育っていく。

それでも、二人を襲う不幸は留まるところを知らない。

二人の両親が事故で亡くなってしまったため、引きこもっていたエルサは成人とともに王位を継ぐことになったのである。

十三年ぶりとなる姉との再会を楽しみにするアナと、自分の力を抑えられるか不安でたまらないエルサ。

二人はついに顔を合わせ、一時は打ち解けあうものの、やがてエルサの力は暴発してしまい、アレンデール王国は雪と氷に閉ざされてしまう。

人々に怪物だと恐れられ、もう他人とは付き合わないとノースマウンテンに逃亡し、またも引きこもってしまうエルサ。

そんなエルサの心を助けようと、アナは単身ノースマウンテンに乗り込むのだが......。

感想

本作は2つのストーリーラインから構成されています。

一つはアナがエルサを(物理的に)雪山の奥の城や邪悪な存在(ハンス王子)から救い出すという冒険活劇。

もう一つは、「真の愛」とは何かを探る心理的探究を通じてアナがエルサの心を孤独から救い出すという文学的物語です。

ハンス王子に言い寄られたり、トナカイやトロールといった「動物」たちと心を通い合わせるクリストフと一緒に困難を乗り越えたり、意思を持つ雪だるまオラフに説かれたりして、アナは徐々に自分の遂行するべき「愛」の本質を悟っていきます。

物語の最終版、アナが「真の愛」が何かを知ったとき、アナはその知覚をもとに行動してエルサを救出するのですが、この救出の瞬間こそが冒険活劇ラインにおける「物理的救出」と文学的物語における「孤独からの救出」が同時に達成される場面であり、二つのストーリーラインが結合するカタルシスを視聴者にもたらすのです。

エルサの魔法を受けたことでアナの心臓が凍り付き、「真の愛」なしにはアナが死んでしまう、という中盤の展開から二つのストーリーラインが緊張感を伴いながら接近し始める構成は興奮を誘う良構成といえるでしょう。

そして、冒頭に述べた現代社会に対する「メタ」は主に「真の愛」についてのストーリーラインで繰り広げられます。

物語序盤において、ハンス「王子」とアナが恋に落ちる場面では「あぁ、いつものディズニー映画だ。彼と結ばれて大団円なのだろうな」と条件反射的に思ってしまいます。

後に彼こそが悪役であるということが明かされて驚かされるのですが、なぜこれに驚いてしまうかというと、それは「ディズニーヒロインと恋仲になった『王子』が悪者のはずがない」という先入観があるからでしょう。

私たちが幼少期から「定番の物語」に飼いならされてきた結果、この驚きが生じるわけです。

そいった「定番の物語」が定番になる以前の世界に生きていたの人々ならば、物語中の「王子」という立場もニュートラルな目線で捉え、彼が悪役だと分かっても「ふぅん」で終わるのだと思います。

しかし、現代社会において、そんな人々は極少数派です。

いまや高齢者と呼ばれる人々でさえ幼いころから小説や漫画、映画で「定番の物語」を見てきた世代でであり、そんな私たちの心の中にある「物語テンプレ」をディズニーも意識しているのでしょう。

「万葉集」でも「古今和歌集」でもなく、本歌取りが隆盛していた「新古今和歌集」の時代に感覚としては近いのかもしれません。

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