スポンサーリンク

「戦争の世界史 下巻」ウィリアム・H・マクニール 評価:3点|戦争と軍需産業と政府部門の関係から読み解く世界史【歴史本】

スポンサーリンク
戦争の世界史 下巻
スポンサーリンク

こういった不合理性が最も露骨に表れたのはドイツ陸軍であり、その不合理性はシュリーフェンプランと呼ばれる仮想敵フランスとの戦争計画に内在しておりました。

鉄道による兵員及び物資の大量輸送を軸とした綿密な作戦には一部の隙もないように見え、鉄道を使った計画だからこそ些細な変更を加えることも難しく、一度戦争だと決めたら総力戦に突っ込むしかない政治的状況を生み出していたのです。

ドイツの政府及び陸軍内ではシュリーフェンプランを完璧に遂行することが目的化し始め、戦争をどう始めてどう終わらせるか、外交的駆け引きを勘案して兵力動員の塩梅をどう行うかといった政治的決定の入り込む余地が全くといっていいほどありませんでした。

この合理的だが硬直的な計画こそが、第一次世界大戦を凄惨な戦争にしていきます。 

スポンサーリンク

第7章と第8章の個人的な考察

歴史は繰り返す、これが第7章と第8章のテーマであるような気がします。

鉄道の発展が動員量の限界を打破し、傭兵/志願兵中心の軍隊に「国民皆兵」の潜在能力を与えたのは大きな転換点で、後々、第一次世界大戦で実現する「国民皆兵」はまさにギリシャ・ローマ時代、あるいは市民全員に軍役があったイタリアの都市国家時代の復古となったわけです。

ただ、この2回目の「国民皆兵」時代は第一次世界大戦と第二次世界大戦で終わりを告げ、現代は再び傭兵/志願兵中心に立ち返っているのは面白いですよね。

資本主義下での経済競争やライフスタイルの変化、あるいは軍事技術の更なる高度化が国民皆兵を不合理に、志願兵制を合理的にしているのでしょう。

ということは、次に大きな状況変化が訪れれば、また「国民皆兵」が復活するのかもしれません。

例えば、無線通信を妨害するミノフスキー粒子が存在することでモビルスーツによる近接戦闘が主流となり、なおかつ半民間人でも動かせるくらい軍艦の操縦技術が陳腐化したガンダムの世界観では徴兵制による「国民皆兵」が実現しています。

戦争の場所が全く別の場所に移ったり(例えば宇宙)、いまは「高度」とされている兵器が誰にも操れるまでになったりすれば、現実にも「国民皆兵」の足音が忍び寄ってくるかもしれません。

また、現に「歴史は繰り返す」のさなかにあるのはIT関連製品や技術の普及ではないでしょうか。

「第7章」の項目には記載しませんでしたが、アメリカが他国に先んじてフライス盤を使った量産技術を確立したのには理由があります。

それは、ヨーロッパ諸国とは違って熟練の職工が不足しており、職工の腕前に比べればその時点では性能が低かったフライス盤を、兎にも角にも生産数を補うため武器製造の現場に導入せざるを得なかったのです。

しかし、実際に使用することを通じてフライス盤を使った武器生産ノウハウはあっという間に進展して熟練工のそれを追い越し、ついには最強国だったイギリスが模倣する側に回りました。

これに近い現象が現代社会でも起きています。

元々、固定電話さえもなかった国々が固定電話網の整備を飛び越してスマートフォンを普及させ、4G、5Gといった通信網を整えています。

一方、固定電話を手放さない日本は未だに巨大な金額を津々浦々の固定電話網維持に使っている。

連続性が足を引っ張る典型です。

もう一つ、「歴史は繰り返す」だったら面白いと思うのが、武器製造の主戦場の変化です。

18世紀までは効率的な自由市場こそが兵器技術の向上に不可欠な要素でありましたが、19世紀中ごろには巨大な軍産複合体こそがその要になっていきます。

この流れはいまでも続いていて、日本では三菱重工、アメリカではロッキード・マーチンなどが軍産複合体的な武器製造企業として有名ですが、果たして、自由市場での武器製造が再び陽の目を見る機会は訪れるのでしょうか。

直近の状況からは想像しがたいですが、しかし、歴史はいつも意外な方向からその流れを変えるものです。

コメント