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「戦争の世界史 下巻」ウィリアム・H・マクニール 評価:3点|戦争と軍需産業と政府部門の関係から読み解く世界史【歴史本】

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戦争の世界史 下巻
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新しい形のグローバル武器市場が成立し、その代償としてこれまで大国に武器を供給してきたオランダやベルギーなどの手工職人地域が衰退していきます。

このような軍隊運用・武器製造発展の結果、ヨーロッパ諸国はますます小規模な部隊でアジア・アフリカの軍隊に勝利できるようになっていきます。

侵略・植民地支配コストが極限まで減少したことでヨーロッパ諸国の領土は際限なく拡大し、ヨーロッパによる世界支配は最盛期を迎えました。

しかし、唯一の例外として、アメリカ合衆国の台頭がヨーロッパ諸国に外交的な妥協をさせる場所となっていきます。

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第8章 軍事・産業間の相互作用の強化 1884~1914年

第8章では、イギリスを中心に政府部門と武器製造業の民間企業が接近し、現代風の「軍産複合体」が形成される過程が明らかになっていきます。

第7章で述べた通り、イギリスの武器製造企業がその技術を高めていくのですが、その武器や軍艦が世界に輸出されるにつけ、あるいは、世界各国がイギリスに追い付け追い越せと技術開発を進めるにつれ、1884年頃から、世界の有力国が軍事力で再びイギリスの地位に接近します。

特に、アメリカの海軍力は質・量ともに手が付けられない速度で成長しており、ドイツも大規模な建艦計画を打ち立てていきます。

フランスも、砲艦や高速巡洋艦、水雷艇などの廉価な軍艦を軸とした独自の建艦計画で英仏海峡における覇権を狙うようになっておりました。

そんな世界情勢に対してイギリス政府は危機感を抱くのですが、当時、イギリスは不況下にあり、税収が減る中で政府や議会の幹部は巨額支出に消極的でした。

しかし、ここで「世論」が力を発揮し始めます。

海軍支出の増額は海上覇権維持と不況対策を兼ねる一石二鳥の政策だというレトリックが、メディアを巧みに操ることに長けていた海軍士官フィッシャーによって広められ、その扇動によりイギリスの民衆は海軍への巨額支出に前向きになっていったのです。

これまでのイギリスであれば、有権者は所得税納税者に限られていたので均衡財政が支持されがちだったのですが、直前の議会で所得税納税者以外にも選挙権が広がっており、増税があろうと自身の懐は痛まない人々、特に失業者等が軍事支出拡大を支持していったのです。

議会は世論の動向を気にせざるを得なくなり、以来、好況不況問わずイギリス海軍への支出は際限なく拡大していくことになります。

この間、武器設計や軍事技術の革新は専ら民間企業で行われ、国営工廠はその競争力を失っていきました。

民間企業には国営企業に比べて利潤追求のインセンティブがあったため、技術革新が素早く行われたのです。

しかしながら、次に訪れたのは民間企業の「半国営化」です。

新しい武器の量産は次第に、専ら巨大設備を保有する巨大企業にしか実行できないものになっていきます。

そのため、各国の軍部は一部の巨大企業に発注を出さざるを得なくなってきます。

一方、民間企業としても、巨額の固定費がかかる設備を維持するには自国陸海軍からの巨額で安定的な受注が必要不可欠でした。

そのように、海軍や陸軍が兵器についての要望を出し、武器製造企業がそれに応えるという形が主流になっていくと、陸海軍から民間武器製造企業への天下りが増えていき、民間武器製造企業はそのコネにより受注することが多くなっていったのです。

価格は入札ではなく随意契約で決められるようになり、そこでは軍部と民間企業の個人的な人脈や長期間の信頼醸成こそが契約の決定打になっていきます。

さらに、新規開発ともなれば民間企業側のリスクは甚大なものです。

新技術に投資したのに買い手が見つからないとなれば、その瞬間に倒産が決まるほど新規武器の開発費は青天井に高騰していきました。

そこで、政府は積極的に購買保証を出すようになったのです。

こうして、現代風の「お上の注文による技術開発」システムが完成し、いわゆるところの「軍産複合体」が誕生します。

こうした動きは武器生産や開発の速度を上昇させていきましたが、一方で、高度化する武器製造科学の発展に海軍士官たちのほうがついていくことができず、いくつかの設計案や試作品のうちどれが本当に高性能なのか分からなくなることで武器の選定に混乱が生じたりもしました。

合理的なシステムを追求していたはずが、そのシステムの完成系こそが不合理を孕むようになってきたのです。

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