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「戦争の世界史 下巻」ウィリアム・H・マクニール 評価:3点|戦争と軍需産業と政府部門の関係から読み解く世界史【歴史本】

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戦争の世界史 下巻
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第9章 二十世紀の二つの世界大戦

第九章では、第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じて総力戦体制が構築される過程が説明されます。

第一次世界大戦の勃発直後、各国では庶民から軍・政府の上層部まで誰もが戦争は非常に短期間で終わると予想しておりました。

しかし、いざ蓋を開けてみれば始まったのは永遠にも思える塹壕戦。

戦略の要は「いかに動くか」よりも「いかに留まるか」。

つまり、傷病兵の補充や、食料・武器弾薬の補充が重要になってきます。

フランスは緒戦での人名損失が激しく、主要な製鉄所が仏独国境付近にあったためすぐに占領されてしまい、前線で戦う兵士はもちろん、武器や鉄鋼をつくるための工員にまで不足をきたすようになっておりました。

そうした状況のもと、女性や老人、捕虜や傷痍軍人が公的な枠組みを通じて工員として動員されるようになり、ここに国家総力戦体制が整備されていきます。

ドイツは戦争序盤においてフランスほどの人的被害を被りはしませんでしたが、銅や硝酸塩といった原料をチリから輸入しているという都合上、原料を使える量に国家的な制限が存在しておりました。

戦争継続のために軍需品を優先して生産しなければならない状況の中、陸軍省原料局が発足し、資源の国家的管理が始まります。

また、各国では極度な人員・物資・工業製品不足の中で、労働者の抵抗を経ることなく省人化を目的としたライン生産システムが各国で導入されていき、小火器から様々な生活用工業製品まで生産コストが格段に低くなっていきます。

食料も配給制になり、医療も行政に管理されるようになって前線における伝染病予防に医療従事者たちが国家的に動員されるようになるのです。

こうやって、普段は反目しあっているはずの各アクター、具体的には、大企業、巨大労組、政府。

それらが手を組んだ国家社会主義的体制が構築されていきました。

平時ではなかなか成り立つはずもなく、戦時ですら第一次世界大戦を待たなければ現れなかったこの国家総力戦システムを創出した原動力。

それはあまりにも長大な戦争の規模と期間でした。

これは非常に特別な臨時体制であって、この戦争に勝ちさえすれば総力戦体制は終わっていつもの日常が返って来るけれども、もし勝てなければ国ごと滅びる。

誰もがそう考えたからこそ、さしたる抵抗運動もなく国家による統制が隅々まで一気にいきわたったのです。

戦争になれば国が日常生活の隅々までを管理し、資源の配分まで決めるようになる。

これは第二次世界大戦を主たる「戦争」として学ぶ日本人の目線から見ると「戦争とはそんなものなのだろう」と思えるかもしれませんが、実のところ、そんな現象が起こり始めたのは第一次世界大戦から、「戦争の世界史」の中ではここ百年ほどのことなのです。

ここにきて初めて、軍隊が民間市場を凌駕し、制圧したのです。

もはや軍隊が民間市場からどれだけの人員や資源を動員できるかに合わせて作戦を練るのではなく、軍隊が練った作戦にどれだけの人員や資源が必要なのかが計算され、それを政府が「国(民)全体」に発注するのが当たり前になっていきました。

そして、第二次世界大戦ではその管理領域が「国家」という単位を越えて超国籍的になっていきます。

英米仏ソが食糧や武器弾薬の援助を各国間で調整しあったり、英米では軍隊の指揮権すら統合されたりしました。

日本も大東亜共栄圏でそれを行いましたが、連合国のそれと比べれば遥かに虚弱であり、結果、日本は敗北という形で第二次世界大戦の終戦を迎えます。

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