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「響け!ユーフォニアム」石原立也 評価:4点|せつなく激しい人間関係が交錯する、波乱万丈の吹奏楽スポ根一筋縄ではいかない人間関係が交錯する波乱万丈の吹奏楽スポ根【青春アニメ】

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響け!ユーフォニアム
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目標は一応「全国大会出場」を毎年掲げるけれど、そんなの建前だと分かっていて、やる気がないわけではないけれど、熱心とは程遠いくらいの練習をして、それで「ダメ金」でも金賞だったからすごいじゃん。

けれども、麗奈は悔し涙を流しながら久美子を睨んで立ち上がり、

「わたしは悔しい」

もう一度、その気持ちを表明を久美子の前で表明するのです。

その事件は久美子の心情に大きな影響を与えます。

「全国大会出場」という目標設定がハリボテだと分かっていた、上級生とのくだらない諍いによって軋轢が生まれてしまうような環境だった、実力よりも「思い出」を重視するような温情的なレギュラー選びがされるような、どこにも「本気」なんてない吹奏楽部だった。

そんな部活動に従事し続けた挙句、最後は「本気」だった麗奈の気持ちに触れて自分自身が惨めになってしまった。

同じ中学校からの進学者が少ない高校に入学して、吹奏楽部にも入らないようにして、自分を取り巻く環境をがらりと変えたい、それでどうなるかなんて分からないけど、とにかくそうしたい。

ユーフォニアム歴7年でそれなりに実力のある主人公が、吹奏楽部の質を度外視して高校選びを行う理由を魅力的なドラマ仕立ての筋書きで用意することで、北宇治高校吹奏楽部は黄前久美子という熟練のユーフォニアム奏者を得ます。

(久美子は級友の熱心な勧めと、後述する麗奈との再会をきっかけに翻意して吹奏楽部への入部を決めます)

さらに、北宇治高校吹奏楽部は高坂麗奈という逸材も入手することになります。

高校レベルでも本気で全国を狙えるだけの実力と熱意を持っている麗奈がなぜ、弱小公立校の吹奏楽部に入ってきたのか。

その理由は、滝昇という音楽教師が北宇治高校に赴任するという情報を予め知っていたから。

父親同士が知り合いである、というコネからこの情報を得た麗奈が北宇治高校への入学を決めたのは、もちろん、滝昇が優れた指導者であることを知っているという点もあるのですが、それ以上の決め手として、麗奈が滝昇に恋をしているという事情があります。

吹奏楽部の実力向上には指導者の質が深く関わっているから、吹奏楽部が強くなる理屈付けとして、辣腕指導者の赴任という要素を入れ、そして、その要素を久美子のライバル兼精神的なメンターにもなる作中最強格人物の入部にも使う。

しかも、ここに恋愛要素を入れることで、本作に青春部活物語の側面に加えて恋愛物語でもあるという深みを与えています。

二人の実力者を迎え、良き指導者を得た北宇治高校吹奏楽部。

熱血練習も始まって純粋な「王道スポ根」の様相を漂わせるのですが、ここから物語の軸を「努力」一本やりにせず、意外な「弱さの理由」を登場させてドラマの予感を生み出していきます。

北宇治高校吹奏楽部は曲がりなりにも古豪であり、何十人の部員を抱えています。

しかし、人間関係や路線対立によって諦観が漂っており、そのぐだぐだとした雰囲気が部活をダメにしている、という設定です。

これにより、既存の部員の一部も潜在能力を持っていながらその力を発揮しきれていないという全国大会出場へのアリバイを作りつつ、「熱血部活物語」でありながら「人間関係が組織のアキレス腱」というありそうでなかった独特の構図を作り上げるのです。

ここまで用意が揃えば「承」までの流れは視聴者の心にストンと入ってきます。

滝がその手腕で部員を惹きつけて熱意を注入し、そして新加入の一年生により実力の底上げもなされた吹奏楽部はある程度の盛り上がりを見せます。

競技チームが合理的な理由により強くなっていく様子というのは万民の心へ訴えかける感動があり、視聴を続けていくうちにどんどん興奮が高まっていきます。

何もかもが順調だと思われたそのとき、「人間関係」についての爆弾をつつくことで物語は「転」に移ります。

実力主義を貫こうとする滝昇はトランペットのソロパート奏者に麗奈を指名しますが、これが元々知人であったという二人の関係性から生まれたえこひいきの結果なのでは、という疑念が一部の部員たちから湧き上がるのです。

麗奈とソロパートを争う三年生の中世古香織は人格者でもあり、特に三年生と二年生のあいだでは絶大な尊敬を集めています。

既定路線だったはずの香織による「ソロパート」があっさりと翻されてぽっと出の一年生がその地位を奪ってしまう。

滝の指導によって熱意ある集団へと生まれ変わりかけていた北宇治高校吹奏楽部における人間関係の亀裂が顕在化し、雰囲気の方向性が逆回転を始める。

順調に見えた展開が急転直下して緊張を孕むようになる。

この見事な「転」への移行には惚れ惚れするばかりで、どうなってしまうのだろうと冷や冷やハラハラドキドキしながら視聴しておりました。

本作におけるこの「転」への流れで特に重要なのは、偶然の要素を全く使用していない点でしょう。

創作物における「転」はたいてい、偶然的な要素が運んできます。

病気、事故、災害、ビジネス上の相手方を起因とする予期せぬトラブル、親の都合による転校、などなどです。

これらの要素を使った方が、制作する側は「楽」ですからね。

しかし、いくらでも嘘をつける創作物において、偶然に頼り切った「転」は視聴者を萎えさせます。

よって、卓越した創作物にける「転」は、視聴者に意外だと思わせ、驚きを与えながらも、偶然の要素に頼らず、「起承」において散りばめられた要素だけを利用して必然的に導かれる展開だということを視聴者に納得させるような「転」だと言えるでしょう。

ここにおいて本作品を見ると、この「転」への入り方が非常に優れていることがわかります。

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