第2位 「夜のピクニック」恩田陸
【人生で一度きり、特別な夜をみんなで歩く物語】
・あらすじ
甲田貴子が通う学校には「歩行祭」という特別な行事がある。
3年生全員が体育用のジャージを身に纏い、夜を徹して80kmもの道のりを歩くという行事。
当日、友人である遊佐美和子と歩きながら、貴子は自分に課した一つの試練を思い返していた。
その試練とは、この歩行祭のあいだに、クラスメイトの西脇融に話しかけるということ。
怜悧な印象を抱かせる、女子にもモテるあの男子。
実のところ、貴子と融は異母兄弟なのだ。
融の父が不倫してつくった子供が貴子であり、融はきっと、貴子の存在を快く思っていないだろう。
けれども、貴子は融と話してみたかった。
自分たちの境遇について、少しでも会話をしてみたかった。
夕陽が沈み、夜空に彩られた道のりを歩く生徒たち。
高校生活における、最後のチャンス。
貴子は融に話しかけることができるのだろうか……。
・短評
クラスメイトに自分の異母兄弟がいる。
自分が生まれてきた原因は、相手の父親の不倫。
異母兄弟のあいつは、自分とは全然違うタイプのグループに属する男子。
だから、同じクラスになったのに、お喋りする機会なんてなかった。
でも知りたい、あいつの気持ちを。
話してみたい、自分たちの境遇を。
こんなにもささやかで、けれども、確実に心を刺してくる初期設定から始まる小説。
そうです、本作において読者を物語に惹き込むために用意されている設定は「気になる異母兄弟のクラスメイト」なのです。
気になる存在なのだけれど、教室では一度も話しかけたことがなくて、けれども、一度くらいは話しかけてみたくて。
学校生活というものを過ごしたことがある読者ならば、この設定を聞くだけで心情を揺さぶられることでしょう。
本作において「あの人になんとか話しかける」以上に派手な事件が起こることはありません。
しかし、私たちの心情にもどかしい波紋をもたらすような、そんな設定や展開、心理描写の連続に翻弄されているうちに夢中となって、あっという間に最後まで読み終わってしまう小説となっております。
気になるあの人に話しかけたいだけの長編小説。
空想の物語を書くのですから、殺人でもイジメでも要素として使うことができます。
それなのに、恩田陸さんが用意する仕掛けはただこれだけの設定であり、これだけの設定なのに、どうしようもなく心が揺さぶられます。
高校生活でたった一度だけの、人生でたった一度だけの、特別な夜。
様々な作品において、それまで伏線的に人間関係構築を行っておき、文化祭や修学旅行でそれらを一気に展開させて感動の夜を演出させるような構成が見られますが、本作はその「文化祭」や「修学旅行」の部分だけを切り取ったような作品です。
そんな無茶なことができるのか、と思うかもしれませんが、そこだけを切り取っているのに、物語として説得的で納得感のある小説となっており、最高潮の緊張感とそれが解き放たれる爽快感だけが終始一貫して作品全体を包んでいます。
「みんなで夜歩く。ただそれだけのことが、どうしてこんなに特別なんだろう」
あまりに地味すぎる設定という意味で特殊な作品ながら、その内実は圧倒的に王道で、とんでもなく感動的な青春小説となっております。
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