そして、院生試験当日、ヒカルは試験官相手に善戦しますが、試験官はヒカルの合否について逡巡します。
試験官がヒカルの提出した棋譜(院生試験には自分の対局した囲碁の記録を3局分持ち込む。ヒカルは3面打ちの棋譜を提出)を観て「打ち方が雑である」と指摘するのですが、それに対するヒカルの回答「三面打ちなんてオレはじめてで」に試験官は驚嘆し、初めての三面打ちで真っ当な勝負をこなしているヒカルの潜在能力を評価し合格を決めるのです。
囲碁部員たちとの最後の対局となった三面打ち。
あの三面打ちがなければヒカルの合格はなかった。
思わぬ形で友情の力が発揮され、そして、囲碁部員たちは一度物語の表舞台から姿を消します。
しかしながら、物語の節目節目で心がくじけそうになるとヒカルは囲碁部を訪れ、そのたびに囲碁部員たちはヒカルを励まして囲碁棋士の世界へとヒカルを温かく追い返します。
藤原佐為という師匠に恵まれ、凄まじい速度で成長し活躍の舞台を変えていくヒカルに対して、「敗者」の位置づけであるはずの囲碁部員たちが、それでもヒカルを支えようとするところ、そんな彼らの他者に対する温かい態度からもヒカルは精神的な成長を得ることができる。
一介の少年だった進藤ヒカルが凄まじい速度で囲碁の実力を伸ばしながら特異な世界に飛び込んでいく物語であるため、置いてきぼりを食らう面々も多く登場するのですが、彼らもまたそれぞれの魅力を持ち、それぞれの個性と方法でヒカルの成長を支える点に胸が熱くなります。
そして、こうした「置いてきぼり組」たちの中でも、最も焦点が当たったのが伊角慎一郎という人物です。
伊角はヒカルの院生友達なのですが、ヒカルの4歳年上であり、ヒカルがプロ試験へと挑む年がちょうど、伊角にとって「院生」でいられる最後の年となっていました。
「院生」としての成績はいつも一位ながら、精神面が弱くプロ試験ではいつも不合格になってしまう伊角。
そして、この年もまた、伊角の精神を揺さぶる事件が盤上で起こります。
プロ試験におけるヒカルとの対局において、伊角は碁盤に石を置いて一瞬指を離したあと、別の場所に石を置き換えました。
これは反則行為なのですが、指が石から離れたのはほんの一瞬であり、対局者であるヒカルも本当に離れたのか半信半疑で、反則を指摘するか否か迷います。
ヒカルが逡巡しているあいだに伊角は自ら投了(勝負の途中で敗北を認め対局を終わらせること)を宣言。
反則を指摘して一勝に縋りつこうとしたヒカルも、もしかしたらバレていないかもしれないと数秒のあいだ祈ってしまった伊角も心に傷を負いますが、伊角はこの対局での敗北に加え、精神的疲弊を引きずった次局でも敗北し、プロ試験に落第して「院生」最後の年を終えるのです。
ここで「置いてきぼり組」になってしまった伊角が表舞台へと舞い戻ってくるのは、取り憑ついていた佐為が行方不明となり、ヒカルがプロ棋士の立場ごと囲碁を投げだそうとしていた、まさにその時期。
精神を鍛えるべく挑んだ中国での囲碁修行を終え、伊角は反則負けとなった対局の後悔を振り払わせて欲しいとヒカルに対局を申し込みます。
もう囲碁は打たない、という決意のあったヒカルですが、自分のために打って欲しいと懇願する伊角に絆され、久方ぶりの対局へと挑むのです。
この対局がヒカルの心を再び奮い立たせる一局となり、ヒカルは「囲碁」を極める人生へと復帰します。
脇役を脇役のままにしておかず、全ての登場人物たちが主人公の人生における「隣人」となるように配置されているという構成の妙味、そして、囲碁界の構造や囲碁という競技のルールを巧妙に使いながら、上質なヒューマンドラマを形成する物語力。
野球漫画やサッカー漫画と同列という意味での「囲碁漫画」というよりは、のちに伝説の名人となる人物「進藤ヒカル」の半生を追ったドキュメンタリーであると形容するべき作品であり、その生々しい負の演出とそこから再生する軌跡、その過程で進藤ヒカルを支える脇役たちの挙動と、キャラクターとしての記号的な理由ではなくどこまでも人間的な理由で前を向き成長していくヒカルの姿という要素において、本作は一般的な少年漫画とは一線を画す存在となっているのです。
加えて、「置いてきぼり組」とは対照的な存在として、ヒカルが背伸びしても届かないような、遥かな高みでヒカルを待ち構える人々も本作には登場します。
ヒカルのライバルである塔矢アキラ、ヒカルの相棒であり師匠でもある藤原佐為、アキラの父であり現役最強棋士である塔矢行洋。
最初は囲碁という競技を馬鹿にしていたヒカルが、囲碁界に関わる人々の熱気にあてられて次第に囲碁の道を自分の夢と定めるようになり、ふらふらしていた甘えん坊の少年の表情が徐々に引き締まったものになっていく。
甘えを捨て、大人が持つべき真剣さを獲得し、囲碁の深淵を理解していくうちに、塔矢アキラや藤原佐為が持つ凄みをヒカルは感じられるようになっていきます。
その凄みとは、競技を究めようとする人々が持つ才覚と熱意と努力量の厚みです。
これは何かに真剣な熱量で取り組んだことのある人間にしか理解できません。
囲碁という競技に取り組む中で形成されていくヒカルの精神性が、「自分以外の人間が持つ凄み」を肌で理解し、他者に対する真摯な尊敬の念を獲得していく過程。
それもまた、本作の重要な魅力となっています。
大人になる、ということの本質を単に知識や経験の量に求めるのではなく、その中で得た精神性や生きる姿勢、つまり、物事や他者に対する真摯な振る舞いに求めようとする、その域までを描いている稀有な少年漫画なのです。
もう一人の主人公にしてライバル、塔矢アキラの負う役割
続いて紹介する本作の魅力は、囲碁界に投げかけられた進藤ヒカルという存在に刺激を受け、変化していく脇役たちの物語です。
この話題で一番に取り上げなければならないのは、ヒカルのライバルである塔矢アキラでしょう。
主人公の明確なライバル格であり、脇役どころか、もう一人の主人公と呼んでもよいくらいの存在感を作中で示す登場人物です。
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