教養書 「新築がお好きですか? 日本における住宅と政治」 砂原庸介 星4つ

新築がお好きですか
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1. 新築がお好きですか? 日本における住宅と政治

近年、空き家や災害復興を中心に、住宅問題はとみにクローズアップされています。過疎化と少子高齢化が直撃している地方では社会問題化するほど空き家が増えておりますし、(特に東日本大震災の)災害復興においても、「これから人が増えることはない」ことを前提とする非常に困難な住宅や「街」の移転・再建が議論されています。

また、住宅問題とかかわりの深い「都市計画」という単位にまで視界を広げれば、都会もこの問題とは無縁ではでありません。東京やその周辺ではタワーマンションが林立して価格はバブルの様相。少子化のご時世に小学校が足りないなどという悲鳴が自治体から聞こえてくることさえあり、「保育所建設反対」問題がニュース番組やSNSを騒がせたりもしています。

そんな中でタイムリーな出版となったのが本書です。主に戦後の住宅政策について概説しつつ、「持家推奨」「開発優先」な日本政府の政策が今日の状況を招いたことが示唆されます。やや「政治」理論的な面が薄く、新しい概念の提示などがあまりないことは難点ですが、旬の「住宅政策」について総覧した、「これ一冊!」的教科書としては非常に優れた著作だと感じました。以前に平山教授の著書を紹介いたしましたが、その正当発展版ではないでしょうか。

新書 「住宅政策のどこが問題か」 平山洋介 星4つ
1. 住宅政策のどこが問題か 住宅政策というあまり注目されない分野に光を当てた新書。 単に住宅政策という個別の政策分野だけでなく、それを通じて戦後日本政府の経済政策の特徴や、これから日本が進むべき道も見えてくる名著です。 ...

2. 目次

本書の目次は以下の通り。

序章     本書の課題
第1章 住宅をめぐる選択
第2章 住宅への公的介入
第3章 広がる都市
第4章 集合住宅による都市空間の拡大
第5章 「負の遺産」をどう扱うか
終章    「制度」は変わるか

3. はじめに

本書は基本的に学術書であって、書店に棚積みされているような「単純明快でシンプルな答えを分かりやすく」という類の本ではありません。これは本書が「良い本」であることの証左であると個人的には考えております。世の中では「シンプルな答え。分かりやすい答え」がそのまま「良い答え」であるという風潮にも押され、「単純明快」を打ち出した書籍が氾濫している状態でありますが、問題が複雑であるほど、そう簡単に事象の理解と解決策の提示はできないはずです。

確かに、「10」の複雑さを持った物事の解説に「100」の時間や文面をかけるのは単なる説明下手ですが、「10」の複雑さを持った物事を「1」の時間や文面で解説するなどというのは土台不可能な話で、その「解説」は必然的に「嘘と歪曲」が含まれてしまいます。「複雑なものは複雑なものとして存在している」のであって、過度な単純化は問題を矮小化させてしまいます。まどろっこしいのが嫌いというのは分かりますが、「嘘と歪曲」にまみれた「痛快な解決策」を知るときに感じる快楽はどちらかというと酒や煙草の快楽に近いのであって、知的欲求が満たされているとは言い難いでしょう。

その点、本書は「10」の難しさの事象を「10」の難しさでしっかりと説明する本です。とはいえ、真っ当な学者が書いたことを伺わせる(世の濫造品と比べればはるかに)慎重な言い回しとなっているため、「結局、全体では何が主張したいのか」ということについては文章の端々が示唆することから懸命に読み取ろうとしなければ把握が難しいのも実情です。また、ある程度の背景知識を持っていたり、「住宅政策」分野の文脈理解、もしくは読書への熱意がなければ、第1章で挫折してしまいかねません。

そこでひとまず、「日本では量的には住宅が溢れかえっている状況だ(過剰だ)が、質的には酷いものが多い。なぜなら、量ばかりを供給させるような制度が採られていて(あるいは、自然状態では量ばかり供給するようになるのを政府が放置していて)、いったん供給された住宅の質を保ったり更新したりするインセンティブが企業や人々に存在しない仕組みになっているからだ」というのが著者の問題意識なのだと考えておくと読みやすくなるでしょう。これは「空き家」問題や、都市の中心部近くにもいまだに木造住宅密集地帯があること、ボロボロのアパートが無惨に放置されている状態をよく見ること、(東京でさえ)全体で見れば住宅は余っているのに、新しいマンションが大量に建つことなど、本書に興味を持った方ならば思いつくような現実の問題と容易に関連付けられると思います。余裕があれば、「国際的にも珍しい『新築持家信仰』が日本に根付いていて、これも政治制度がつくり出したものであり、これが実は諸悪の根源になっている。その理由とは……。」という心持ちもあるとあれこれ考えながら読めて面白いでしょう。

また本書では、第1章に「政策対象としての住宅」を見るうえでの基礎的なリテラシーが詰まっていて、第2章~第4章は(それぞれが有機的に繋がってはいるものの)個別分野の掘り下げになっています。そしてようやく、第5章で、現実に様々な地域が直面している課題(空き家問題・コンパクトシティなど)に対しての説明がなされるわけです。その意味では第1章→第5章→その他の章の順で読んだ方が「楽しい」読書になるかもしれません。第1章から~第4章では日本の住宅市場や都市が今日のように形成されていった過程が述べられますが、記述が客観に徹し、決して先走ったりしないので、「それの何が問題なんだよ」という思いを抱き続けることになり、フラストレーションがたまるかもしれません。

4. 概観

前置きが長くなりましたが、ここから内容を見ていきます。ニッチな分野の書籍らしく、序章はこの「住宅政策」という分野がいかに私たちの生活と関わっているかという話題から始まります。とはいえ、多くの人にとって「住宅」が人生で一番大きな買い物であることなど言われずとも分かるというものでしょう。日本では主流とはいえませんが、生涯賃貸で暮らすという場合も、家賃支払いの総額はやはり人生で一番大きな買い物に匹敵することは想像に難くありません。

問題は「住宅政策」がもたらすインパクトの大きさです。もちろん、住宅ローン減税や、住宅金融支援機構のフラット35のように主流派の人生の中でアクセスする可能性がある制度のほかにも、公営住宅の整備なども政府の役割ですし、より気づきづらいこととしては、住宅ローン減税のような事実上の補助金に限らず、土地に対する規制、建築や賃貸に関する法律、あるいは自治体が設定する都市計画に関する制度を通じ、「どこに」「どんな家」が建ちやすくなっているのか、持家と賃貸のどちらがどれくらい多くなるのかが、間接的に、しかし強力にコントロールされている点です。これらの要素が私たちの住宅選択に大きく影響しているというわけです。

それでは、「コントロールされた結果」とは何なのか。第一章ではその「結果」とそうなっていく「過程」が語られます。まず「結果」は単純なもので、それは以下のような住宅選択を意味しています。すなはち、「実家or一人暮らし用賃貸住宅→新婚用(二人用)賃貸住宅→子供部屋のある広めの賃貸住宅→分譲マンション→新築一戸建て」というような住宅変遷です。もちろん、中間をスキップしたり、最終的に一戸建てに至らないケースもままあるとは思いますが、どこかで聞いたような、容易に想像しうるライフコースであることは直感にも整合します。

なぜ、このような選択を多くの人がすることになるのでしょうか。本書はまず、住宅供給にまつわる「取引費用」に着目し、住宅供給には自然な偏りが生じてしまうことを指摘します。

「取引費用」とは、ある取引を行うのにかかる(取引対象の商品・サービスの直接の価格以外の)費用であり、例えば、多くの候補を比較して購入対象を検討する際の情報収集費用や時間、お店に行くまでの時間、あるいは待ち時間などもここに入ります。対人交渉が必要な場合はそれによって消耗する体力や蓄積する疲労も入れるべきでしょう。

買い手・借り手の立場から見ると、住宅購入の取引コストが高いのは明らかで、何回も下見をしますし、ローンを組む手続きもしなければなりませんし、家族会議だって苦痛な場面も訪れるでしょう。住宅が傾いていないか、防犯対策ができているか、耐震性能は万全か、などもつぶさに検討しなければなりません。

一方で、売り手・貸し手から見た取引コストはどうでしょうか。ここが本書のポイントになっております。

例えば住宅の「売り手」「貸し手」からすれば、広告費用(TVCM、モデルルーム、案内人)や相手の資力の見極め、売れるまでの住宅維持費、価格決定・変更のためのマーケットリサーチなどがそれにあたりましょう。そして重要なのは、売る家が安かろうと高かろうと、取引費用はさほど変わらないということです。売り物の値段でTVCMのスポット代や芸能人のギャラは変わりませんし、案内人の給与もそれほどの変動はせず、マーケットリサーチ員の給与やリサーチツールの値段もやはり変わりません。資力調査も、小口を何十人も相手にするより、大口数人に対してだけ行う方が安くつきます。つまり、同じ一件を売る/貸すなら、(土地取得及び建設価格と売却/賃貸価格が相当程度比例する前提のもとでも)高級住宅を売る・貸す方がはるかに利益率が良いわけです。実際には高級住宅の方がブランド料を乗せられるので、取引費用による効果以上に高利益率でしょう。

ただ、「売り手」と違い、「貸し手」には特有の問題があります。つまり、一部屋を広くして家賃を高くすると、一件の家賃不払いや(借り手による理不尽な)部屋の損傷が大きなリスクとして「貸し手」にのしかかってくるということです。そのような高級賃貸だと修繕費も高くつくので、非常にボラティリティが高い商売になってしまいます。売り切りの住宅とはここが違うわけですね。シャープレシオなどの考え方に親しい人はきっと強い危機感を覚えること請け合いでしょう。しかも、日本特有の事情として、法律上「借り手」が強く保護されており、不良店子をなかなか追い出せないことなどがこの問題に拍車をかけています。

これらの結果、供給側は「売り手」としては限界一杯まで高級路線を突き進もうとするのに対し、「貸し手」としてはリスクも鑑みて低級路線を歩みます。ここに「棲み分け」が出来てしまうわけで、価格帯によってお互いの損益分岐点が変わってしまうため、「貸し手」が高級住宅を運営したり、「売り手」が低級住宅を建設しようとはならないわけです(本書では例外も示されています)。

こうした供給体制が固まってしまうと、人々の行動は上述した「住宅双六」に収斂していくわけで、そのうちにこの「住宅双六」が文化となっていくわけです。個人や家庭の選択レベルにおいて、今日ではもはや、賃貸住宅と持家が白紙の状態から比較されることなどなかなかないでしょう。「そろそろ家を買いたいんだけど/買うべきだと思うんだけど」「一人暮らし始めたいし家を借りようかな」という漠然とした思いが先立つ心理的条件となっており、「市場の状態に関わらず」その心理を満足させにいく人や家庭が多いでしょう。この需要側の文化が、ますます供給側の姿勢を固定化させていくスパイラルがあるのです。

さらに、「住宅双六」の終着点が「新築」持家であることにも本書は注目します。中古の持家を買う、というのは日本ではあまり馴染みがありませんが、米英仏では住宅流通に占める既存住宅(=中古)の割合が70~90%に達しており、10~20%の日本とは全く異なる住宅市場が形成されております。中古市場での利用を前提としないため日本の住宅の価値滅失速度は非常に早く、まるで穴の開いたバケツに水を投じるように、ひたすら新築住宅にお金を投じ続けて住宅の供給を維持しているのが現状なのです。

なぜこのような市場の違いが出てくるのか。本書はここでも取引コストに注目し、特に中古住宅は新築住宅よりも取引コストが高い(住宅の質の判断が難しい、欠陥を取引業者が隠しているかもしれない)ことを挙げております。本書ではさらりとしか触れられておりませんが、諸外国では専門家が第三者として住宅の検査や価格決定に関わることで、不動産業者と買い手との情報の非対称性を埋めるような制度が整っているようです。確かに、「一生で一番高い買い物」なのですから、少しでも不安があれば「安全を見て新築で」となってしまいますよね。それを覆して中古を流通させられるような諸外国の制度は特筆するべきものがあるのでしょう。そして、そのような制度がない状況では中古市場が発展せず、人々はますます住宅の価値保全に興味を失くすわけです。加えて、賃貸住宅の更新では店子の合意形成が困難な一方で、新築を立てるのはデベロッパーの一意で可能なことから、「ピカピカの住宅」は市場において「新築持家」のみとなってしまい、ますます「新築持家」文化の強化が進む点を本書は指摘します。

他にも様々な制度的・インセンティブ的要因を挙げつつ、今日の住宅市場がどのように築かれてきたのかがこの第1章では明らかになります。

さて、第1章は主として「自然状態」だと住宅市場はどのように構築されるのか(そして日本はその状況に近い)のかが解説された章といえますが、第2章では政府がどのように公的介入を行ってきたのか、ということが述べられます。結論としては、「新築持家」文化をより助長する政策という側面が強く、公営住宅などの直接供給は「住宅双六」に乗れない人々に対する、いわば残余的供給に留まったというものです。

住宅政策の3本柱、と本書では銘打たれておりますが、公営住宅、UR都市機構、住宅金融支援機構の3つ、これらについて受ける印象は世代によって大きく異なるのではないでしょうか(昔は名前も違いましたよね)。公営住宅や公団住宅は、一時期は中産階級にとっても非常に人気の住宅で、住宅双六の「持家以前」の段階(あるいは、当時は終着点として)にしっかり組み込まれておりました。

しかし、住宅の絶対量が充足し、中間層が自らの力でよりハイグレードな住宅双六を行っていく段階になって公営住宅や公団住宅の建設は正当性を得ずらくなり、次第に民間住宅にアクセスできない人が入る住宅となっていきます(=残余化)。日本の最も恥ずかしい文化の一つ、「団地の子と遊んではいけません」の時代がちょうどここなのかもしれませんね。

対して、住宅金融支援機構は「持家化」の流れを後押ししていきます。持家取得希望者に対して低金利で融資することでその行動を促進するわけです。政府の住宅ローン減税などもこの傾向を後押しし、市場における新築住宅の建造という供給も爆発的に増やしていく結果になりました。いまでも「フラット35」は住宅ローンの有力な選択肢のうちの一つですよね。

本書のサブタイトルは「日本における住宅と政治」ですが、上述した自然な市場形成に加え、政治もその傾向に拍車をかけ、結果的に極端な「新築持家」社会が日本に生まれたわけです。日本に住みなれていると、「それのどこがおかしいの?」とやたらに「新築持家」を強調する本稿の筆致に疑念を抱くことも不思議ではありませんが、そう思われた方は本書p93の国際比較表を見ると目から鱗が落ちるかもしれません。

第3章は少し視点を広げて「都市計画」の話になっております。

戦後から現在にかけて一貫して続いているのが都市への人口流入であり、近年は大阪圏への流入が弱まっているとはいえ、強力なトレンドであることは間違いないでしょう。「国土の均衡ある発展」や「地方創生」が謳われ、UターンやIターンが少しだけブームになったりもしましたが、なかなか甲斐はなさそうです。東京や大阪に限らず、地方都市レベルでも、より「田舎」な地域から人口が流入してきていたのは誰もが知り、感じるところでしょう。

そして、そういった「移住者」を都市はどのように受け入れていったのか、というのがこの章で論じられるところです。キーワードは「スプロール(現象)」。中学校の教科書にも載っている文言なので皆様ご存知のことでしょう。つまり、日本において、都市は人口増加に合わせてひたすら外延へと拡大していったわけですね。もちろん、ここにも「制度」が関わっているわけです。都市の中心部の土地は既に住宅や商業施設で埋め尽くされており、「土地」や「持家」についての私権が非常に強い法律制度かつ中古市場が未発達のため中心部の人々はなかなか土地や住宅を手放さず、高級賃貸住宅は供給者にとって割に合わないため中心部の賃貸住宅は更新も上への拡大もなかなかされず、しようとしても店子の合意形成は極めて困難。そしてなにより、強力な「新築持家」文化。都市郊外を開発することへの公的規制は非常に緩い。このような条件下で、郊外に次々と新築持家が立っていくわけです。「ニュータウン」に見られる鉄道沿線の大規模開発地帯や、田畑の中で虫食い状に広がる住宅街は定番の光景ですよね。ここでも、「そりゃあ、外から人が来るんだから『都市が広がる』のは当たり前じゃないか」と思う人もいるかもしれせんが、諸外国はなかなか「都市計画通りの都市をつくる」ことを重視しているらしく、開発規制が非常に強いため、東京のようにだらだらとどこまでも都市が広がる姿は結構珍しいそうです。

実は「全体の利益・計画」よりも「個別の地域利益」を重視するインセンティブを生み出す中選挙区制の影響がここでも見られるという解説がこの章の最後に挟まっていて、「住宅と政治」らしい章になっております。

第4章はやや毛色の違った話題となっており、分譲マンションや賃貸住宅などにおける問題が論じられております。最近は都心部を中心に分譲マンションが急増しておりますが、例えば「日照権」の問題を起こしたり、地域コミュニティに溶け込まないなど「迷惑施設」的な側面があったり、あるいは、日本では例外的に中古市場が形成されていたり、一部が賃貸として貸されたりということが少なからずあるという特異な面が紹介されます。

しかし、本書で特に問題視されるのは「住民同士の合意形成の難しさ」です。分譲マンションは法律上、「区分所有」という、それぞれの部屋をそれぞれが所有しているという建前になっており、マンション全体に関する決定は多数決や特別多数決に拠らなければならないことになっています。普段の生活ではあまり困らないかもしれませんが、いざ設備の故障や建物の老朽化などが問題になると、修理や建て替えについての合意形成が問題になるわけです。マンションに永住する予定で、まだ中年くらいの人物/家族は積極的に修繕や建て替えに賛成するでしょうが、高齢者や移住予定者にとっては「あとちょっともってくれればよい」のであって、「今後何十年のためにお金を出したくない」わけです。同じような世代の家族が一斉入居する初期の分譲マンションならいざ知らず、時間が経ち、さらに中古売り出しや一部賃貸化による住民の入れ替わりが起きればさらに合意は困難になります。全く手入れされず朽ち果てていく分譲マンション。いま、「限界アパート」で起きていることがそのまま起きてしまうかもしれません。

さて、長々と本書の内容を追ってきたわけですが、冒頭で述べたように、第5章でようやく「空き家」と「災害復興」というホットな話題に本書の焦点が当てられます。

これも冒頭でも述べたことですが、日本の住宅市場・住宅政策における問題点とはつまり、新築持家や低級賃貸住宅が大量にばら撒かれ、それらがろくな更新もされずにボロボロになっていく、という現象です。既に総住宅数が総世帯数を優に超えており、地方を中心に「空き家」は深刻な問題となっておりますし、都市部に近い場所でも歯抜けになっているアパートなどが大量に存在しています。人口減少の中、これからも「不便な場所」を中心にそういった空き家は増えていくでしょう。住居を立てておいた方が更地よりも固定資産税が小さくなる仕組みがこれを助長していることは有名です。空き家カフェから行政代執行まで、様々な手段を駆使して自治体は対応しようとしていますが、上手くいっている事例は少なく、ただでも余裕がない地域の自治体の負担は増すばかりです。

また、新築持家大量供給使い捨てシステムは「コンパクトシティ」政策とも密接に関わっております。べらぼうに都市を外延まで広げなければ、そもそも既に「コンパクト」だったはずだということを考えればその影響力も理解できるというものでしょう。財政難の中、ほとんど人がいない地域に水道や電気などの公共インフラを届けること、病院や教育(学校)を確保することの負担はもはや多くの自治体にとって耐えられないものになりつつあります。逆に言えば、これまでは水道・電気供給線の延長や病院・学校建設を無限に行って対応してきたわけで、そこには(移住者が自治体に負担させている)見えないコストがあったわけです。しかも、いまさら中心部に呼び寄せるにしても、既に大量の住宅が中心部にあり、それは更新がろくになされておらず、いまから更新するのも難しいという状況であるわけですから、中心部からの「流出」さえなかなか止まらないでしょう。

そして、災害復興においてもこの問題が浮上します。被災者の新たな住宅をまた造るのか。造るとしてどこに造るのか。人口減少が直撃し、移動できる「資力」と「若さ」を持った人から出ていってしまって高齢者だけが残ってしまう状況。「みなし仮設」が活用されたりしておりますが、事実上の家賃補助であるこの制度が日本の他の制度に影響を与えるのか。これから注目していくべき事象でしょう。

「終章」ではこれからの展望として、住宅政策のあるべき姿と現実的な提案が記されておりますが、これは本書を読んだ人の楽しみにしておくべきでしょう。妄想だらけのバラ色の未来を描くことなく、しかし、悲観しすぎることもなく、地に足の着いた、だからこそ苦しい現状に対する葛藤が滲み出た筆致になっております。

5. 考察

ここからは純粋に個人的な気持ちなのですが、思うに「住宅」が持つ外部性をあまりにも無視し続けてきたのが日本の住宅政策だったのではないでしょうか。住宅が都市郊外に建てば自治体はお金をかけて公共インフラの延伸・建設をしなければなりませんが、中心部の住宅が更新され続けていれば、人口が集積することによる商業上のメリットを多く受けられたでしょう。価値を失った住宅はやがてマイナス価値を持つ(存在が迷惑で負荷となる)負の遺産になって我々をいま苦しめています。自治体に負わせている負担の大きさを考えれば、「都市」あるいは「郊外」という公共財へのフリーライドを許し続けた結果とも言えるのではないでしょうか。人生を目一杯使った極悪フリーライドをしたのが、ほとんどの一般的中産階級家庭だったという結果には、この分野における政策の稚拙さが目立つところでしょう。

また、経済政策として「住宅建設」を使うという発想も失敗だったのでしょう。賃貸や中古住宅を冷遇すれば新築を大量に供給する運命になるのは避けられず、そこに限りある資本・労働力・技術を投入してしまうのは非常にもったいないことです。新築になることで価格も高くなり、人々の消費を「住宅」に貼りつけてしまいます。投資は最も限界収益率が大きいものに、消費は最も限界効用(幸福)が高いものに向かうべきですが、こと「住宅」については「生きていくために持たざるを得ない」わけで(住宅が真に選好第一位という人は住宅マニアだけでしょう)、限りある投資余力や消費余力がそこに向かってしまったことはなかなか大きな影響があったのではないでしょうか。市場に高級米しか提供されなければ、私たちはパンを食べればいいわけです。けれども、高級住宅しかない状態では他に選択肢はありません。しかも、中古を大切に使って更新し続ければ同じだけのクオリティになるところを、あえて新築を作っているわけですから、クオリティに対して異様に値段が高くなっており「中質高価」の持家強制社会になっているわけです。

さらには、「持家文化」は「転勤文化」とも鋭く対立しています。単身赴任でせっかく買った広い家の部屋を持て余している状況はよくあるのではないでしょうか。しかも、企業は単身赴任用の寮を作ったり「借り上げ」をしなければならないわけですから、やはりその企業だけができる投資にまわるべきお金が「無駄な住宅」に回ってしまっているのです。子供が独立したあとの「実家」、老親を呼び寄せたあとの「実家」も空き部屋が目立つかもしれません。

長々と書いた通り、本書は非常に素晴らしい本なのですが、あえて文句をつけるとすれば以下の3点でしょう。

まず一点目として、もちろん学術出版から出ていることは承知の上なのですが、少しでも一般向けにと思うならば、「新築持家社会の社会的実害」を冒頭に持ってきた方が良いはずです(本書でも最後まで散漫に示唆されるだけだったので、このタイトルでまとめて一章とるほうがよい)。第1章から「新築持家社会の形成過程」に紙面を割いておりますが、日本に住む多くの人々にとって、そもそも「新築持家社会」を問題視する理由が不明なので(自明ではない)ので、新築持家社会形成の過程をこれでもかと記述したって「コイツは延々と何をやってるんだ」感が出てしまいます。多数の人々にとって主観的に問題視されていないことを取り上げる場合は、「なぜ問題か」を冒頭にしつこく出せばよいのではと思います。

もう一つ、「取引費用」を重視した理論が第1章で展開されますが、これは理論であって実証ではないところです。もちろん、「取引費用」が市場にもたらしている影響を実証せよという要求自体が厳しいのは分かりますが、「取引費用」→「大きな持家、粗末な賃貸」という流れはあまりにも定性的すぎます。他のもっと大きな要因が影響しているかもしれないという疑念は拭えません。「取引費用」が「どの程度」影響を与えているのかという話があればより良かったなと思います。

最後の点として、「政治」との関わりをもっと出してほしかったです。これまでは「政治家」や「政党」のインセンティブと政治制度の関わりについて優れた著書を出しているのですから、そもそもなぜ、日本政府(=日本の政治家や官僚)はこのような住宅政策を選好するのかについてもっと深い分析が欲しかったところです。

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1. 分裂と統合の日本政治 小選挙区比例代表並立制の導入を含め、90年代に行われた統治機構改革以降、一時は民主党が政権を獲得することもありましたが、自民党以外は離合集散を繰り返しているのが実態です。 また、この間には、減税日本や大阪...

また、文句ではないですが、「企業立地と住宅政策・都市計画」なんかに個人的には興味があるので、そのあたりも踏み込みがあると面白かったのにと思います。

6. 結論

とはいえ、「住宅政策」を通じて日本政治・文化が抱える根源的な問題まで透けて見えるような名著。この分野に興味があるならば、本書から手に取るのが良いでしょう。

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