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「新築がお好きですか? 日本における住宅と政治」砂原庸介 評価:4点|過度な新築持家推奨政策がもたらした住宅市場の不効率【政治学】

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新築がお好きですか 日本における住宅と政治
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概観

前置きが長くなりましたが、ここから内容を見ていきます。

ニッチな分野の書籍らしく、序章はこの「住宅政策」という分野がいかに私たちの生活と関わっているかという話題から始まります。

とはいえ、多くの人にとって「住宅」が人生で一番大きな買い物であることなど言われずとも分かるというものでしょう。

日本では主流とはいえませんが、生涯賃貸で暮らすという場合も、家賃支払いの総額はやはり人生で一番大きな買い物に匹敵することは想像に難くありません。

問題は「住宅政策」がもたらすインパクトの大きさです。

もちろん、住宅ローン減税や、住宅金融支援機構のフラット35のように主流派の人生の中でアクセスする可能性がある制度のほかにも、公営住宅の整備なども政府の役割ですし、より気づきづらいこととしては、住宅ローン減税のような事実上の補助金に限らず、土地に対する規制、建築や賃貸に関する法律、あるいは自治体が設定する都市計画に関する制度を通じ、「どこに」「どんな家」が建ちやすくなっているのか、持家と賃貸のどちらがどれくらい多くなるのかが、間接的に、しかし強力にコントロールされている点です。

これらの要素が私たちの住宅選択に大きく影響しているというわけです。

それでは、「コントロールされた結果」とは何なのか。

第一章ではその「結果」とそうなっていく「過程」が語られます。

まず「結果」は単純なもので、それは以下のような住宅選択を意味しています。

すなはち、「実家or一人暮らし用賃貸住宅→新婚用(二人用)賃貸住宅→子供部屋のある広めの賃貸住宅→分譲マンション→新築一戸建て」というような住宅変遷です。

もちろん、中間をスキップしたり、最終的に一戸建てに至らないケースもままあるとは思いますが、どこかで聞いたような、容易に想像しうるライフコースであることは直感にも整合します。

なぜ、このような選択を多くの人がすることになるのでしょうか。

本書はまず、住宅供給にまつわる「取引費用」に着目し、住宅供給には自然な偏りが生じてしまうことを指摘します。

「取引費用」とは、ある取引を行うのにかかる(取引対象の商品・サービスの直接の価格以外の)費用であり、例えば、多くの候補を比較して購入対象を検討する際の情報収集費用や時間、お店に行くまでの時間、あるいは待ち時間などもここに入ります。

対人交渉が必要な場合はそれによって消耗する体力や蓄積する疲労も入れるべきでしょう。

買い手・借り手の立場から見ると、住宅購入の取引コストが高いのは明らかで、何回も下見をしますし、ローンを組む手続きもしなければなりませんし、家族会議だって苦痛な場面も訪れるでしょう。

住宅が傾いていないか、防犯対策ができているか、耐震性能は万全か、などもつぶさに検討しなければなりません。

一方で、売り手・貸し手から見た取引コストはどうでしょうか。

ここが本書のポイントになっております。

例えば住宅の「売り手」「貸し手」からすれば、広告費用(TVCM、モデルルーム、案内人)や相手の資力の見極め、売れるまでの住宅維持費、価格決定・変更のためのマーケットリサーチなどがそれにあたりましょう。

そして重要なのは、売る家が安かろうと高かろうと、取引費用はさほど変わらないということです。

売り物の値段でTVCMのスポット代や芸能人のギャラは変わりませんし、案内人の給与もそれほどの変動はせず、マーケットリサーチ員の給与やリサーチツールの値段もやはり変わりません。

資力調査も、小口を何十人も相手にするより、大口数人に対してだけ行う方が安くつきます。

つまり、同じ一件を売る/貸すなら、(土地取得及び建設価格と売却/賃貸価格が相当程度比例する前提のもとでも)高級住宅を売る・貸す方がはるかに利益率が良いわけです。

実際には高級住宅の方がブランド料を乗せられるので、取引費用による効果以上に高利益率でしょう。

ただ、「売り手」と違い、「貸し手」には特有の問題があります。

つまり、一部屋を広くして家賃を高くすると、一件の家賃不払いや(借り手による理不尽な)部屋の損傷が大きなリスクとして「貸し手」にのしかかってくるということです。

そのような高級賃貸だと修繕費も高くつくので、非常にボラティリティが高い商売になってしまいます。

売り切りの住宅とはここが違うわけですね。

シャープレシオなどの考え方に親しい人はきっと強い危機感を覚えること請け合いでしょう。

しかも、日本特有の事情として、法律上「借り手」が強く保護されており、不良店子をなかなか追い出せないことなどがこの問題に拍車をかけています。

これらの結果、供給側は「売り手」としては限界一杯まで高級路線を突き進もうとするのに対し、「貸し手」としてはリスクも鑑みて低級路線を歩みます。

ここに「棲み分け」が出来てしまうわけで、価格帯によってお互いの損益分岐点が変わってしまうため、「貸し手」が高級住宅を運営したり、「売り手」が低級住宅を建設しようとはならないわけです(本書では例外も示されています)。

こうした供給体制が固まってしまうと、人々の行動は上述した「住宅双六」に収斂していくわけで、そのうちにこの「住宅双六」が文化となっていくわけです。

個人や家庭の選択レベルにおいて、今日ではもはや、賃貸住宅と持家が白紙の状態から比較されることなどなかなかないでしょう。

「そろそろ家を買いたいんだけど/買うべきだと思うんだけど」「一人暮らし始めたいし家を借りようかな」という漠然とした思いが先立つ心理的条件となっており、「市場の状態に関わらず」その心理を満足させにいく人や家庭が多いでしょう。

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