1993年に岩井俊二監督が手掛けた同名テレビドラマを原作としたアニメ映画。
広瀬すず、菅田将暉、松たか子と、有名女優・俳優が声優として起用されています。
宣伝を含め、出版社やテレビ局が本腰を入れて予算を投入したのは分かるのですが、結果的に意味不明という評価を受けても仕方がない作品になってしまったと思います。
あらすじ
とある海辺の町に暮らす中学一年生、島田典道(しまだ のりみち)。
夏休みの登校日、クラスメイトの男子達は「花火は横から見たら丸いのか、平べったいのか」という話題で盛り上がっていた。
そう、この日はお祭りで打ち上げ花火が上がる日でもあった。
そんな中、典道はクラスメイトの女子である及川なずな(おいかわ なずな)から「かけおち」に誘われる。
しかし、これは典道が導いた結果だった。
当初、なずなは典道の友人である安曇祐介(あずみ ゆうすけ)を誘っていたのだが、典道は手に入れた「もしも」の力で運命を変えたのである。
母親の再婚に伴う引っ越しに抵抗したいなずな。
典道となずなは逃避行のなかで何度も両親や友人に捕まってしまうが、そのたびに「もしも」を使ってやり直す。
そして、やり直すたびに歪になり、現実感を失っていく世界。
二人の運命やいかに......。
感想
演出は過剰でキャラクターが現実離れしすぎており、ストーリーは視聴者が積極的に解釈しなければ意味不明というエンタメ映画にあるまじき失態を犯してしまった作品です。
まず、冒頭の「運命の出会い」的な、主人公とヒロインの目が合ったところだけスローモーションにするような演出から古臭い。
中盤に様々な形で現れる花火もクライマックス以外はこんなに壮麗にする必要はありませんし、また、世界が「もしも」の形になっていくところも、わざわざ壁で囲わなくてもいいでしょう。
解釈をする人からすれば余計ですし、もっとカジュアルな視聴者からすれば現実的視点から見て意味不明すぎて展開についていけません。
また、なずなというキャラクターも問題。
典型的な「クラスで浮いてる変わり者の美人」という男性向けの都合よい美少女ヒロイン設定ですし、全てがわざとらしすぎてげんなりします。
加えて、ストーリーとしても、果たして「もしも」の世界に現実が飲み込まれているということをどれほどの人が理解したか(ラノベやアニメ的世界観に不慣れな人には意味不明だったでしょう)かなり疑問ですし、それを理解したとしても、理屈の説明はもちろん、それに物語の重要な構成部分や感動を与える要素としての必要性を感じません。
クライマックスも「視聴者の解釈にゆだねる」という形ですが、十分なヒントなく解釈を委ねられても困惑するばかりです。
なずなの母の再婚相手が典道を殴り飛ばそうとするところなど、この手の青春アニメにありがちな、大人を過剰に悪者(もしくは善人)に描いてしまうところもあって、とにかくめちゃくちゃという印象でした。
唯一、救いを挙げるとすれば作中に使われていた楽曲でしょうか。
原作で効果的に使われていたという「Forever Friends」、米津玄師さんが手掛けDAOKOさんが歌う「打上花火」。
いずれも切ない夏の別れの物語によく合う曲で、もっと名作で使って欲しかったところです。
また、なずな(=広瀬すず)が松田聖子さんの「瑠璃色の地球」を歌う場面もあるのですが、広瀬すずさんの歌唱力は見事でした。
正直、見に行って損する映画ですが、調べているうちに原作には少し興味が湧きましたし、広瀬すずさんや菅田将暉さんの演技がなかなか良いものだったのが収穫でした。
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