1980年代後半から1990年代前半にかけてベストセラーを連発した小説家、吉本ばななさんのデビュー作。
第6回海燕新人文学賞を受賞した本作は、当時としては斬新な文体と物語の質感によって文壇に大きな議論を呼び起こし、短編ながら1989年の年間ベストセラー総合2位を獲得する出世作となりました。
その後も「ムーンライト・シャドウ」で泉鏡花文学賞(1988年)、「TUGUMI」で山本周五郎賞(1995年)を獲得するなど、まさに一世を風靡した時代作家となっていったわけです。
また、父親が著名な思想家の吉本隆明氏だったという点も当時注目されたようです。
そんな本作ですが、いまとなってはやや凡庸な、それどころか悪い意味で商業的な少女漫画の陳腐さを持った作品に感じました。
柔らかいのだけれど張りつめた強さもあるような、そんな独特の言葉遣いによる表現力は確かに印象的で評価できますが、しばしば「死」に頼る設定や、あまりにご都合主義的な展開はそれほど魅力的ではないように感じられます。
あらすじ
大学生の桜井みかげは早くに両親を失い、祖父母のもとで育てられてきた。
しかし、中学校へあがる頃に祖父が死に、先日、祖母も死んでしまって天涯孤独の身になる。
そんなみかげを引き取ったのは田辺雄一という大学生。
祖母の行きつけの花屋でアルバイトをしているというだけの、みかげにとっては素性も知れない青年だが、頼る人間のいないみかげは彼の住むマンションの一室へと転がり込む。
雄一が「母親」と暮らすマンションでの生活はとても暖かくて不思議な日々。
そんな日常が凍てついていたみかげの心を少しずつ融かしていく......。
感想
いかにも少女漫画のような展開ばかりであり、かなり幼稚だなという印象を受けた作品ですが、上述の通り、当時は斬新な純文学作品という受け取られ方をしていたようです。
天涯孤独の身になった「可哀想なわたし(=みかげ)」のもとに、性的な欲求抜きでひたすら「わたし」を大切にしてくれるイケメンの青年が現れるという冒頭の展開はさすがに安易過ぎるうえ、彼の「母親」は女性の見た目をしているけれども手術によって性転換した「元男」であり、男性的な包容力と女性的な情愛の両方を「わたし」に対して無償で注いでくれるという有様。
どこまでも「わたし」を甘やかし続ける展開や、それを可能にする登場人物たちの極端な人物造形は本当にベタな商業的少女漫画を思わせます。
さらに、中盤では「わたし」のことを「理解してくれなかった」元彼を登場させ、その人物を嚙ませ犬として踏み台にすることで雄一というヒーローの株を上げに行くという、これまた少女漫画な手法で物語は流れていくのです。
柔らかな文体は読み易く、情景描写や動作の形容などは丁寧かつ個性的で見るべきものがありますが、物語の幹となる部分には純文学的な深さを感じませんし、エンタメ作品としても凡庸(な少女漫画)であるという印象を受けます。
なお、文庫版には「満月―キッチン2」というタイトルで表題作の続編が掲載されています。
雄一の「母親」であるえり子さんの死によって、「わたし」と雄一の二人暮らしが始まる、という冒頭の展開。
ここまでくると、さすがに軽々しく人間を殺し過ぎではないかと思います。
もちろん、人の死というのは重大な事柄であり、だからこそ、物語を動かす起爆剤になり得るのですが、「キッチン」でも「満月―キッチン2」でも、結局は主要登場人物の肉親を死なせることでしか物語を動かせないならば、それはあまりにもつまらないですし、作者の技量不足を感じます。
さらには、ひと夏の努力で「わたし」がテレビにも出るような料理家のアシスタントという職を確保したり、雄一と一緒に暮らしている「わたし」に嫉妬する当て馬的な女性に「わたし」が絡まれることで雄一と付き合えている「わたし」の地位の高さが確認されたり、どうしようもなく「わたし」にとって都合の良い出来事ばかりが展開されて飽き飽きしてきます。
最終盤、雄一がみかげに対して「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな。」と問いかけ、それに対してみかげが「食欲と性欲が同時に満たされるからじゃない?」と答え、雄一が大笑いしながら「ちがう、ちがう、ちがう。」「きっと、家族だからだよ。」と言い放つ場面は寒気がしました。
「わたし」の視点から見れば雄一は非常に都合の良い「家族」かもしれませんが、いったい、この物語の中で雄一がみかげのどこに「家族」を感じたのでしょうか。
それこそ、「食欲と性欲が同時に満たされるからじゃない?」を否定する根拠となる要素が作中に見当たりません。
もちろん、少女漫画の正解としては、「わたし」が甘えまくることに対してヒーローである雄一が「家族」といういかにも清廉な感情からその甘えを寛容にも許容しているのであって、決して「食欲と性欲」なんていう俗な感情で「わたし」を見ているわけではない、という建前が必要なのかもしれません。
しかし、そんな女性読者に媚びまくりの低俗物語が純文学顔しているのには落胆してしまいます。
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