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「ブルシット・ジョブ」デヴィッド・クレーバー 評価:3点|無意味な仕事ばかりが増大していく背景を社会学的に分析 【社会学】

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ブルシット・ジョブ
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5番目の「タスクマスター」は、ブルシット・ジョブの管理監督係であり、ときにブルシット・ジョブをつくりだす仕事もするという、ブルシット・ジョブの王様のようなブルシット・ジョブです。

自分が管理監督しなくても部下だけで十分に回る事務所の管理職なんかが実例で、仕事といえば事務所を歩き回って部下が仕事をする様子を見たり、特に必要ないのに励ましの言葉をかけたりということだけ。

極めつけは、そういった職場において、業務量に対して社員数が過剰で相当の暇が発生しているにも関わらず、自分自身を含めた被雇用者の雇用を守るために「とても忙しいが、頑張って取り組んでいる」といった類の報告書を上層部に対して書くなどのブルシット・ジョブも発生したりします。

また、「戦略」を策定したり「評価」を行ったりするために、他部署に対して大量の資料作成業務を依頼する仕事が、ブルシット・ジョブをつくりだすブルシット・ジョブとして挙げられています。

そういった「戦略」や「評価」は組織が「あることにしたい」「やってることにしたい」だけの形式上のものであり、一度つくられた「戦略」や「評価」が二度と顧みられることはないのに、大量のペーパーワークが生み出されるのです。

こうした分類と実例の列挙により、グレーバー教授はブルシット・ジョブについての共通認識を読者のあいだに作り出します。

そのうえで、第3章と第4章では、ブルシット・ジョブがそれを遂行しようとする人々の精神に対してどのような効果をもたらすのかという分析が行われます。

その結論は、圧倒的な虚無と無目的性により、精神がだんだんと破壊されていくというものです。

基本的にブルシット・ジョブは閑職的な業務であり、それでいて、それなりの賃金を貰えることが多いのですから、外見上は「楽して稼げる仕事」に見えます。

しかし、ブルシット・ジョブに精神を破壊され、そんな「楽して稼げる仕事」を辞めていく人々が少なくないことも本書では語られます。

この事実をもって「人々はなるべく楽で稼ぎの良い仕事を追い求めるはずだ」という経済学におけるエコノミック・アニマル的な人間像をグレーバー教授は批判的に論じます。

そして、そんな精神的無力感を生み出す原因こそ、ブルシット・ジョブが持つ独特の性質、つまり、自己効力感の欠如や欺きを矯正させられることによる自己不信にあるとグレーバー教授は説くのです。

ブルシット・ジョブを行っている人々はたいてい、自分の仕事が世の中にとって何の利益も与えていていないどころか、ときに害を為していることを知っています。

そして、あまりに暇だからといって、堂々とサボることも基本的には許されておりません。

忙しくないのは「おかしい」ことだという道徳的倫理的圧力により、忙しいふりをすることさえ求められます。

しばしば、どう忙しいふりをするかを考えて実行することが唯一の業務だったりもするのです。

実際、仕事の重要性と職場の雰囲気の良さ(ストレスや攻撃性の有無)が反比例するという実例すら本書では挙げられています。

つまり、本当に大事な仕事をしているときこそ人々は協働的かつ朗らかで、困難に直面してもその姿勢を崩すことはなく、逆に、ブルシット・ジョブを遂行しているという自覚があるときには、お互いに攻撃的になるということです。

しかも、世間の目という特有の要素がブルシット・ジョブの惨めさをより助長しているとグレーバー教授は解きます。

ブルシット・ジョブはたいてい、肩書と賃金だけは立派なホワイトカラー・ジョブであり、世間からも「良い仕事」だと思われています。

そのため、自分の仕事は実に惨めなんだと周囲には言いづらく、たとえ言ったとしても「そんなわけないじゃん」と一蹴されるのが落ちというわけです。

良い比較対象としては、売れないお笑い芸人やミュージシャンを挙げるべきなのでしょう。

彼らの稼ぎはとても少なく、お客さんの集まらないライブやコンサートの光景は本当に惨めなものです。

しかし、その惨めさを彼らが吐露したとき、周囲の人々は何か温かい言葉をかけて彼らを励ますのではないでしょうか。

そんな夢追い人んたちの仕事とは対照的に、ブルシット・ジョバーたちは惨めさを吐露する場所もないという惨めさを抱えています。

近年増加しつつある、あまりにも無為で、精神的苦痛すら感じるような業務。

それなのに、いっぱしの仕事だと思われているような業務がブルシット・ジョブの定義だというわけです。

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増加要因編

さて、長々とした定義が終わったあとで、第5章からついに「なぜブルシット・ジョブは増えているのか」という問題の核心に本書の議論は突入します。

ちなみに、なぜこれほどまでに定義編が長くなってしまっているかというと、それは本書のほぼ半分ほどがブルシット・ジョブの体験談やインタビューによって占められているからです。

グレーバー教授がSNS等で集めた体験談から事例が選抜されているのですが、データを並べたアカデミックな議論中心の書籍を期待している人にとって、本書のそんな側面はやや肩透かしに思われるかもしれません。

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