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「ブルシット・ジョブ」デヴィッド・クレーバー 評価:3点|無意味な仕事ばかりが増大していく背景を社会学的に分析 【社会学】

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ブルシット・ジョブ
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くだらない無意味な仕事だからこそ高給に相応しく、誰かの役に立つ仕事だから給料が低くても仕方がない。

この倒錯的な価値観が世間で跋扈する理由を、中世ヨーロッパにまでその起源をさかのぼり、産業社会が進展する中で「労働」に対する世間の見方が変化してきたことを指摘しながらグレーバー教授は解き明かしていきます。

当時、多くの人々の職業人生において、他者に奉仕するタイプの労働に従事する期間は「青年期」の十年程度に限られておりました。

その期間、農奴の息子/娘は他の農家(こちらも領主との関係においては農奴である)で労働力となり、職人を目指す若者は自らの工房を持つ師匠に弟子入りしました。

上流階級でも同じ慣習があり、騎士を目指すならば騎士見習いとして他の騎士に弟子入りし、貴族の息子や娘も他の貴族の家で奉仕する期間が設けられておりました。

そして、この期間は金銭的報酬を得る期間というよりむしろ、親元を離れて他人の監督のもと修行や奉仕活動を行うことで自らの技術を向上させ、人格を陶冶する期間だとみなされていたのです。

そうした十年程度の奉仕労働により技術を身につけ、自己規律を内面化することで青年期を脱した人々は独立自営業者となって身を立てました。

農家ならば家を継ぎ、職人であれば独立して自らの工房を構え、騎士であれば見習いからフリーランスの騎士となり、貴族であれば家督を継いだり嫁入りしたりする。

そうした「独立」が最終的な形態であることは当然の共通認識であり、奉仕労働はそれまでの通過点に過ぎませんでした。

ところが、産業革命と資本主義社会の勃興により社会が変化していくと、資本家階級が世の中で幅を利かせるようになり、一方で、一生独立できないまま奉仕労働を続けざるを得ない人々が社会の多数を占めるようになっていきます。

資本家こそが価値を生み出している、労働者は怠け者だから一生労働者なのだ。

そんな風潮の中で、労働者側からの反撃あるいは政治的レトリックとして、価値を生み出すもの、そして人格を陶冶する崇高なものとして奉仕労働が見直されていったというのです。

労働こそが全ての価値を生み出しており、労働者はそのために辛い毎日を耐えながら熱心に頑張っていて、労働者こそが人格的に優れている。

そうした主張は資本家の増長を食い止めるのに一定の役割を果たしたものの、労働者側の価値観や生活にも予期せぬ害毒を浸透させます。

それはつまり、働いていれば働いているほど偉いという価値観、労働は辛ければ辛いほど価値があるのだという価値観、(不況期には特に)政府や資本家に対して(労働が好きでもないのに)「働く場所」や「雇用」を求めるという倒錯的態度(「労働」が崇高なものだからこそ、「働かせろ」という主張が正当性を帯びる)。

やりたくもない仕事にどれだけ心血を注げるか、それが重要視される価値観の誕生というわけです。

その結果、現代のブルシット・ジョブ・ワーカーたちは、自分たちは無意味な仕事をこなすという精神的苦痛に耐えることで報酬を得ており、それこそが社会人としての立派な態度であって、だからこそ自分たちの報酬は高いと考えるようになったとグレーバー教授が説きます。

一方、そうでない職業の人々、社会の役に立っていて自己効力感を覚えている人々の報酬は、まさに仕事を通じて他者の役に立つ喜びなんぞを感じているからこそ、低くあるべきだと考えられているというのです。

ブルシット・ジョブ・ワーカー自身が、ブルシット・ジョブによって精神的にボロボロになっている自分の本音を、上述したレトリックで誤魔化しながらブルシット・ジョブにしがみつく。

結果として社会的地位も給料も高いブルシット・ジョブがますます量産され、人々が殺到する。

そのようにして、ブルシット・ジョブ減少の芽が絶たれているというのがグレーバー教授の主張です。

そして、そんな状況を打破する手段としてグレーバー教授が推す政策こそ、近年話題のUBS(ユニバーサル・ベーシック・インカム)です。

全ての人に暮らしていけるだけのお金を政府が配り続けるという政策ですね。

これをすることで仕事と報酬の関係を切り離し(緩和させ)、辛いことに耐えているからこそ高い報酬を得ていい暮らしができるんだという価値観を削いでいきます。

そうすれば、多くの人がブルシット・ジョブにNoを突きつけるようになり、自己効力感の高い仕事、つまり、他者の助けになって社会的価値を産出する仕事であったり、エンタメや芸術を通じて他者を楽しませる仕事に就くだろうとグレーバー教授は言います。

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結論

以上が本書のざっくりとした内容なのですが、さすが社会人類学者の論考というだけあって、経済学者的なアプローチとは随分違うことに驚きましたね。

だからといって、それほど極端な主張や理論に聞こえることもありませんでした。

むしろ、ブルシット・ジョブに溢れた生活にぶつくさ文句を言いながらもそれを変革しようとせず、なんだかんだで無価値な仕事を行い続ける私たちの生活に生々しく刺さる理論展開だったと感じます。

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