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【真夏のファンタジィ冒険譚】映画「ペンギン・ハイウェイ」石田祐康 評価:1点【アニメ映画】

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ペンギン・ハイウェイ
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現代における大人の社会を描くのにも不自然な描写ですし、子供たちの間を席巻しているオンラインコンテンツ(動画投稿サイト、SNS、オンラインゲームなど)がないこともあまりにリアリティを欠いていて、どの世代から見てもおかしな舞台設定になってしまっています。

もしかすると「インターネット以前・スマートフォン以前」の年代を描いているという言及されていない裏設定があるのかもしれませんが、その設定を物語の面白さとして全く活かせていません。

特別な効果を狙っているのでなければ、視聴者が身近に感じ、共感できるような舞台設定にしておくべきです。

そうでなければ視聴者を感情移入させることは困難でしょう。

他にも、目立たない少年であるアオヤマ君が「お姉さん」からもハマモトさんからも好意を持たれている理由が不明で、完全にご都合主義脚本・設定になっています。

また、「お姉さん」のおっぱいに対するアオヤマくんの言及やカメラワークは物語の進行上全く不要であり、伏線などにもなっていないにも関わらずむやみに強調されており、意味不明を通り越して不快に感じる人もいると思います。

他にも、やたらに広い裏山の中の草原、「海」の存在に最終盤まで気づかない大人たち、海辺の喫茶店で「お姉さん」とアオヤマ君がチェスをするなど、とにかく私たちの日常から考えて親しみを持てるシーンがあまりにも少ないのです。

これでは「よくわからない映像と会話が2時間続いた」と感じてしまう人も少なくないでしょう。

「〇〇は△△を象徴している」や「〇〇は△△の婉曲的な表現」ということを、映画通ならば何となく分かるのかもしれませんが、そうでない大多数の人にとっては理解不能で苦痛でしょう。

ただ、こういった表現上・設定上の違和感はまだ些細なもので、物語の根幹となるペンギンと海、そして「お姉さん」の関係が曖昧で投げっぱなしのまま終わってしまうのが最大の良くないところ。

もちろん、後付けで想像(いわゆる考察?)を差しはさめば頭の中で整合性のあるストーリーを築くこともできるのかもしれません。

そして、「映画とはそういうもの」という玄人めいた意見があるのも分かります。

ただ、それではニッチでマイナーな偏執狂映画の括りを出ません。

「世界に穴が開いていて、それが世界を飲みこもうとしている。ペンギンはそれを修理するために生まれてきた」と言われたって普通の人はぽかんとするだけですし、「そのペンギンを生むお姉さんは人間ではなく、穴の消滅と一緒に消えてしまう」という謎の設定が混乱に輪をかけます。

突如現れるジャバウォックやコウモリなどはもはや何が言いたいのか想像も難しいレベルです。

エヴァンゲリオン以来の風潮なのかもしれませんが、アニメであることに甘えて意味不明なことをしても(むしろする方が)盛りあがるという考え方は原則として間違っています。

もちろん、考察余地や残った謎があってもいいのですが、それを除いたうえでも良い物語が成立していなければ何時間もの視聴に堪えられません。

(余談ですが、TV放映版の中盤までならばエヴァは謎要素が分からなくても面白く観れますよね)。

これは「君の名は。」が人気で他の「2匹目のどじょう」的作品がイマイチ振るわない構造にある程度共通することなのだと思います。

「君の名は。」は未解決の謎やSF的矛盾がありながらも、大筋では視聴者の当然抱く疑問や期待に対して作中で明確に回答し続けました。

恋愛的側面、街を救う冒険的側面、コメディ的側面。

これらの「盛り上がり要素」については全てが理解可能な形で提示されています。

「大筋のストーリーや盛り上がりポイントは直感的に理解できて素直に楽しむことができ、未解決の謎があることや矛盾は考察で気づく作品」と「大筋のストーリーに未解決の謎や矛盾が張りついていて、その場その場でどう盛り上がれば良いか分からない作品」は全く違うものです。

後から考察して分かる謎や矛盾に自ら意味を与えて、初めて大筋のストーリーを理解できる作品が本作であり、これでは良い作品とはいえません。

良い作品とは、その場の盛り上がりで楽しく、なおかつ考察して楽しい作品なのです。

次点はその場の盛り上がりだけは楽しく、考察要素はない作品(少なくともその場は楽しい)。

最後が本作のような作品で、そもそもの筋書きや演出がつまらないために解釈を施すのも面倒で、分かったとしても徒労感があります。

さらには、そういった不足要素を全て脳内補完できたとしても、なおこの作品には視聴を難ずる点があります。

それは「どうせ解決するんだろう」感、あるいは「それは重要か?」感です。

上述のように、この作品にはあまりに虚構の要素、ファンタジー的要素が多すぎ、視聴者も現実とこの作品を結び付けることを途中で放棄するに違いありません。

これは、なにもかもが架空の世界の物語である、と。

そうなれば、たとえ「現実的には」絶望的な状況が訪れたり、「もし現実なら」大切なものが失われる瞬間にあってさえ、(理屈抜きの超自然的な方法で)どうせ解決するんだろうと考えてしまいますし、実際に本作ではそのような方法が執られます。

これでは感動とはほど遠いでしょう。

とはいえ、確かに、「あまりにもファンタジー」で「考察ありき」な作品は、例えば一部の深夜アニメのファンには需要があるのでしょうし、アオヤマ君やお姉さんをはじめとした登場人物たちの半ば非現実的な言動はむしろ森見登美彦さんのファンならば「これこそ」という感じなのかもしれません。

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