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教養書 「単一民族神話の起源」 小熊英二 星3つ

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単一民族神話の起源
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さらにこの流れを契機づけたのは朝鮮併合という事件です。これを日本人の心理的にも後押しする論理として力を持ったのが「日鮮同祖論」であり、当時の新聞等もこういった説を盛んに持ち出して朝鮮併合について肯定的な記事を書いている様子が本書では記載されています。「日鮮同祖論」の具体的な理屈は本書を読んで頂くとして、ここでも、いまの自分たちの状況に都合の良い論理がおぞましいほど急速かつ強大に人口に膾炙してしまう流れ、そして私たちの心理などその程度のものでしかないという受け入れがたいものの敢然とした事実が提示されます。明治維新の直後にはあれほど「世界」に怯えていた世論がここではすっかり強気に変わり、自分たちが世界を侵略していくことをいかに肯定的に描くか、それを正義だと嘯くかという姿勢のもとで「民族論」についてもご都合主義的なピックアップが行われていきます。

ここまでが第一部の内容なのですが、「単一民族神話の起源」というタイトルからは「単一民族神話」が真っすぐに構築されていく様子が記述されていくのだと考えていましたので、盛んに「混合民族論」が唱えられ、それが強化されていくというのが戦前の大きな流れだというのには驚きました。本書の序盤についてはむしろ、かつて隆盛を誇った「混合民族論」について知りたい向けといえるかもしれません。いまや過去のものとなった「混合民族論」ですが、外国人受け入れが進む現代に「日本人論」や「日本論」がどのように展開されていくのか、それを観察する際にも頭の隅に置いていきたいような、示唆に富む内容だと思います。

第二部では、日本が「帝国化」していく中で唱えられた様々な民族論が紹介されます。

まず最初に紹介されるのは、歴史家である嘉田貞吉の取り組みを通じて語られる「同化政策」です。第一部でも紹介した通り、帝国としての日本で受け入れられたのは「混合民族論」でありました。

そんな「混合民族論」の中でも幅を効かせていたのは、日本人は様々な種を自らの中に取り込むことによって、つまり「同化」することによって一つの「日本」をつくってきたという論理です。この論理が侵略によって他民族を取り込んでも日本が日本であり続けること、そして、その民族を同化していくことを肯定していたのです。

嘉田貞吉は特に被差別部落の人々への差別を解消し、その生活を向上させていくことに熱心だったのですが、この嘉田もまた、上述の「混合民族論」を援用して被差別部落に向き合う態度の変更を政府や人々に求めるようになります。

つまり、過去に日本に存在した様々な民族だって、アイヌだって朝鮮人だって、最初は賤しい人々だった。けれども、日本が懸命に同化していく中で日本化され、「良い」日本人になっていく。だから、被差別部落も積極的に同化し、普通の日本人として「日本化」しなければならないという論理です。現代の感覚からすればこれもまた差別的でありますが、被差別部落への対等な取り扱いを求めるために編み出されたもので、「民族論」が「差別解消」という文脈の中でもその活動や正当性を支えていく論拠になっていく過程がここでは描かれています。

また、国体論の側も時代の趨勢に合わせて自らの主張を変化させていきます。「天皇を中心とした一大家族」という考えに「養子」という概念を取り入れ、異民族は日本という家族の養子であり、たとえ血統的に繋がっていなくても家庭(=日本・天皇)への忠誠を誓い、忠孝を果たしていくようになればそれは日本人であるという考え方です。その論理の中身はともかく、ここでもやはり注目なのは、こういった精神論や神話的なものは、その論者たちがただ時代の流れに乗るためだけに自らの論理を都合よく変化させていくというところでしょう。

この「混合民族論」は「民族自決」という帝国を脅かしかねない概念に対しても有効な働きを見せます。つまり日本人は古来から混血混合民族なのだし、朝鮮人とも同祖なのだから、日本の領域内である民族が「自決」する必要などさらさらないのだという理屈です。さらには、「日本民族白人論」なる奇説まで現れて「日本人は優等人種たる白人の仲間なのだ」という欧米列強に並び立ったという感覚から来る肥大化した自意識の境地を見せつけてくるのです。

第二部の最後には女性史家である高群逸枝の主張の変遷も紹介されており、女性の地位向上を目指した彼女もまた、古代日本における母系制の立証を通して図らずとも混合民族論による民族同化を理論化し、彼女自身も戦争賛美の文章を書くなどしていた点が明らかにされていきます。母系制の立証については本書を読んで頂くとして、女性の地位向上や先に述べた差別解消などといった論理さえ取り込んでいった「混合民族論」の往時における強大さはなかなか新鮮な感覚を抱かされます。

そして、この強力だった「混合民族論」が一気に、ようやく「単一民族神話」に切り替わる点が次の第三部で述べられていきます。上述のような「混合民族論」優勢の帝国日本の中にあって、「稲」を中心として「日本人」を定義していこうとした柳田国男、優生学の立場から異民族を同化させる皇民化政策に反対した人々、「記紀神話」つまり古事記の記述は嘘だと断定することで古代日本における民族混合を否定しようとする人々、世界に類を見ない日本独特の「風土」が「日本人」をつくるのであって、決して血縁によって「日本人」となるわけではないとする人々。

「混合民族論」隆盛の中で細々と生き延び、主張されてきた「単一民族神話」の紹介が続々と為されていき、そして第二次世界大戦に敗北して朝鮮・台湾系の人々が「日本人」でなくなった途端、こうした「単一民族神話」が一気に受け入れられていったのです。その信じられないくらいの速さと都合の良さを感じるだけでも本書には一読の価値があるでしょう。

4. 結論

普遍的な概念や一般性のある社会の動きを説明するための考え方について述べたわけではない、という点において好みのど真ん中というわけではなく、また、それゆえ論拠が全て例示の列挙という点にもやや不満が残りますが、現代に生き、現代の政治を感じる私たちにとって、あっと驚くような「混合民族論」の台頭と「単一民族神話」への変遷を空虚な精神論としてではなく事実として示していく内容の充実は見事なもの。卓越した知識が凝縮されているという面を評価して星3つです

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