スポンサーリンク

小説 「細雪」 谷崎潤一郎 星3つ

スポンサーリンク
細雪
スポンサーリンク

しかし、そういったやり方こそが谷崎潤一郎の狙いだったのではないかと、上中下巻を通読した後になっては思います。蒔岡家の全盛期を朧気ながら知っていて、旧い雰囲気の中で結婚した幸子の目線からストーリーが語られている、そこに込められたギミックによって当時の「零落する名家」の可笑しさを巧みに描いているということに上巻ではなかなか気づきようもありません。途中、銀行員である辰雄の異動により本家(辰雄と鶴子)が大阪から東京に引っ越すのですが、東京で選んだ手狭な新居に三人の子供と夫婦が住んでいること、そして家計を引き締めているらしいことに幸子がやや侮蔑的な態度を示すのですが、まさにそのあたりが幾何かのヒントになっていたのだと思います。

1930年代の旧家の見合い話。私たちに馴染みのない世界観だからこそ、その風変りな雰囲気に惹きつけられ、現代から見れば奇妙な価値観に絡めとられていくような上巻。文庫本で200ページを越える壮大な「導入」に魅せられた後、妙子を中心に事態が動き出す中巻へと物語は続きます。

4. あらすじ(中巻)

蒔岡家の三女である雪子のお見合いが相次いで破談となる中、雪子が縁付くまでは結婚できない立場である四女の妙子は人形作りに打ち込んでいた。百貨店にも出品されるほどの腕前である妙子の人形作りは趣味の範囲を超えた域に達しており、専用の仕事場を持って弟子をとるほど本人も力を入れている。

そんな妙子が洋裁にも興味を持ち始めたらしい、という話が蒔岡家次女である幸子の耳に入ったのは、雪子と野村のお見合いが破談になってしばらくしてから。本人はフランスに留学して本格的に勉強し、将来はその道で生計を立てていけるようになりたいとのこと。

蒔岡家の令嬢が職業婦人、そんなことはさせられないと周囲からは反対の声が挙がる。妙子には貴金属商の三男である奥畑という恋人もあり、結婚すれば頼っていけるはずでもあるのに。

しかし、妙子は将来も奥畑に頼れる保証はないと言い張る。奥畑のお坊ちゃん気質で奔放なところを知っている幸子は、これにも一理あると思い、妙子を留学させることへの思いは揺れていた。幸子の夫である貞之助も、戦時下には女性もしっかりしなければならないと妙子を支援する意見を述べている。

そんな中、妙子のもう一つの趣味である山村舞(上方流の日本舞踊)の発表会が開催されることになった。その会場に現れたのが、蒔岡家を得意先としている写真屋の青年、板倉。妙子の人形製作でも展覧用の写真を撮ったりしていて、旧家の蒔岡家の面々とは身分の違いこそあれ気さくに言葉を交わす仲だった。

そして、発表会が終わって一ヶ月後。幸子たちの住む阪神間を猛烈な豪雨が襲う。大洪水の中、洋裁の学校へ行った妙子の行方だけが知れない。蒔岡家とその周囲に動揺が走る中、板倉がとった行動とは……。

5. 感想(中巻)

斜陽の旧家、蒔岡家の三女である雪子の縁談を中心に話が進んだ上巻から変わって、中巻では四女である妙子を襲う波乱が中心に描かれます。

上巻はいかにも昔といった雰囲気のお見合いが中心なので、「旧い小説を読む」という意識でいればそこまで違和感を覚えないのですが、ついに妙子という現代的な人物にスポットが当たることで、谷崎がこの小説に仕込んだ興味深いギミックが見えてきます。

人形製作も洋裁も舞も才能があり努力を怠らない妙子ですが、普段の振る舞いはやや旧家としての品位に欠ける部分があり、かつては奥畑との駆け落ち騒動まで起こしたことがある(いまでは一応、仲が認められ、特に奥畑は妙子と結婚することを確信している)ので、幸子は妙子よりも雪子を評価している。とはいえ、あまりに引っ込み思案で電話の応対もろくにできず、家に引きこもって悦子と遊んでばかりいる雪子と、才気と向上心に溢れた妙子の対比を見ると、現代の視点から見れば妙子がやや可哀想に思えてしまうのではないでしょうか。姉妹で結婚の順番を待たなければならないという風習に縛られているのも、この時代では当然だったのでしょうが、妙子がフラストレーションを感じていてもおかしくないと思ってしまいます。

そうした、時代による物事の見方の違いを感じるという意味で、あるいは、価値観の岐路にあったこの1930年代を観察するという意味で、この中巻の展開は興味深いものになっています。大雨と大洪水の中、幸子の夫である貞之助が妙子を探しに行くも、入れ違いで妙子は家に帰ってきます。妙子は水に囲まれた洋裁学院で身動きがとれなくなっており、浸水に命の危機を感じておりましたが、そこを救出したのが妙子に恋する板倉だったというストーリー。一方、婚約者であるはずの奥畑は蒔岡家を訪ねたものの、大雨にも関わらずスーツにステッキのいで立ちで、服が汚れるから外を歩きたくないと言い、妙子を助けに遠出したりはしないのです。

現代の話ならば、「奥畑なんて早く振ってしまって板倉に乗り換えろ」といったところでしょう。葛藤があるとすれば、一介の写真屋に過ぎない板倉と貴金属商の坊ちゃんである奥畑の資産の差でしょうか。とはいえ、そこで悩むだけのフィクション作品など面白くないでしょう。そんな物語ならば、本作は古典になどなっていないはずです。

この「細雪」の面白いところは、「蒔岡家の妙子と写真屋の板倉では身分が釣り合わない」という論点について、語り手である幸子が極めて敏感に反応し、板倉など論外だと断じるところです。もちろん、周囲からも反対の雰囲気が挙がるのですが、最も強硬な反対派は幸子自身であり、地の文として、それが当たり前であるかのようにこの恋愛を批難する感情が叩きつけられます。妙子が洋裁や留学、自活などと言っていた本心も実は板倉との結婚に備えたものであることが仄めかされると、幸子の感情は一層高ぶるばかりです。一方で、夫で婿養子の貞之助があまり身分差に拘っていないのもポイントで、語り手であるにも関わらず、幸子が少しずつ「浮いて」いる空気が伝わってくるのです。

幸子に感情移入しっぱなしであったり、この時代はこんなもんだ、という頭で読み進めてしまっていると見落としてしまうと思うのですが、妙子が職業においても恋愛においても自らの道を切り拓いていこうとする姿と、雪子があくまで名家の令嬢として保護されながら、望み薄い我儘縁談に連れられて行く様子の対比を物語の骨格にしつつ、それを実のところ旧い価値観の体現者である幸子に、あたかも彼女が中立的であるかのように錯覚させる筆致で物事を語らせるという技巧に「細雪」の本質があるのだと思います。ある種、「信頼できない語り手」のバリエーションともいえるでしょう。蒔岡家全盛を朧気ながら知っていて、旧い習慣の中でお見合い結婚した幸子。そんな幸子が、旧習の立場から、激動する時代の激変する価値観について行けずに語っている。そんな見方をして初めて、きっと時代の流れに敏感だった谷崎がこの小説で表現したかったことに到達できるのではないでしょうか。表面上は幸子に思わず共感し、妙子を批難したい俗世間の人々向けの鬱憤晴らしエンタメ作品でありながら、その実は異なっていて、なんとか自分の人生を自分の力で切り拓こうともがくものの、旧習を信奉する人(幸子)の存在により報われない人々(妙子や板倉)への賛歌と熱い同情が込められた作品になっているのです。

コメント