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小説 「細雪」 谷崎潤一郎 星3つ

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細雪
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しかしながら、雪子は最後、橋寺とは別の資産家の男と結婚します。これまでの案件と比べ、客観的に良い条件ではありませんが、上巻前半と比較したときの幸子のトーンダウンは見ものです。橋寺との縁談を自らの愚かな行動により破談させても、反省の素振りさえ見せなかった雪子。上巻でも、風采の良くない野村との縁談のときだけ自らの意志で拒絶するなど、面倒くさい面食いの雪子。そんな雪子がちやほやされるのは、和美人で、雰囲気に令嬢の佇まいがあるから。だからこそ、読んでいるあいだは雪子を個人的にはあまり好きになれなかったのですが、読後に思い返してみると、もしかしたら、雪子の我儘さはそれほど単純なものではないのかもしれないと思うようになりました。これまでも述べましたが、作中で蒔岡家の名前に鼻をかけている人物としては幸子が筆頭ですが、長女の鶴子もその気があるのは明白です。一方、蒔岡家全盛を知らない妙子は奔放。すると、雪子はどうなのでしょう。雪子もまた、家の名前ばかりに縋る幸子や鶴子を内心疎ましく思っていたのかもしれません。そして、それに反発するやり方が、妙子は不良少女になることだったのに対して、雪子は口を閉ざし、態度を硬化させ、あなた方の言うことには従うが、あなた方の言うことには一つも納得していない、という態度を示すことだったのではないでしょうか。幸子が三姉妹の、波乱があっても絆で結ばれていることを強調する場面も数回ありますが、それこそ幸子の最大の勘違いであり、旧習に囚われた姉の言い草に耐えられないと思いながらも、作り笑いをしているという点で対照的に見える雪子と妙子は共通していたのかもしれません。

それは、この小説の独特な点としてよく挙がる、ラストシーンにも現れています。結婚が決まったというのに、雪子はにこりともせず、東京へ出発の日には下痢になってしまい、いつまでも下痢が止まらない。谷崎の諧謔だと言われることが多いですが、これは大真面目に書いているのではないでしょうか。旧習に囚われ閉じた一生を送ることが完全に確定してしまった雪子。婚前、そのことを受け入れる覚悟ができていたつもりだったけれど、いざ周囲の決めた相手と結婚するとなると、お腹が痛くなるくらいにその人のもとへ行きたくない。沈痛で趣深いラストシーンなのだと思います。

一方、妙子が迎えた運命はそれ以上に劇的なものです。結局、奥畑とは別れ、三好というバーテンダーとの子供を身籠った妙子。貞之助は奥畑に手切れ金を払い、妙子を遠方の病院へ隠します。妙子は蒔岡家に絶縁されたことで行き場を失っていました。そこで、まだ撚りを戻せると下心を燃やしていた奥畑の脛をかじりながら暮らし、それでいて奥畑に尽くすことなどもなく、どこの馬の骨とも知らないバーテンダーと関係し、結局、その人物とひっそり所帯を持つことになります。この間に妙子が赤痢になってしまうエピソードが挟まるのですが、蒔岡家が妙子を勘当している手前、幸子たちは裏方としての支援しかできず、奥畑やその女中である婆やが妙子の面倒を見みます。そして、その婆やから、妙子が奥畑の脛を情けないほどに齧りつくしていることを幸子は聞かされるのです。奥畑が店の貴金属に手を付けて破門されたのも妙子と関係があるらしいと仄めかされます。これを人間として問題ある行為だとして、身内の恥だとして幸子に同情を寄せるのはたやすいことでしょう。しかしながら、束縛の激しい家に生まれ、結婚も順番待ちでなかなか許されず、かといって職業婦人になることも拒まれた女性が自分の人生を満足に生きようとするとき、自らの持つ数少ない魅力である美貌と手練手管に頼ろうとするのはむしろ当然なのではないでしょうか。バーテンダーと結ばれた彼女を、上述した雪子より不幸だと断じることはできないのだと思います。結局、子供は死産となってしまうのですが、それでも「低い身分の世界」に身を投じていく妙子の後姿からは、不条理と闘う虚しさと、それでもその闘いに挑んでいく勇気を感じられるのではないでしょうか。

メインストリーについて感じたことは以上になりますが、他にも時代を生き生きと描いた面白い寄り道エピソードに溢れているのが本作です。蒔岡家の近くに住んでいるドイツ人親子との交流や、ロシア人と食卓を囲むエピソード、時おり送られてくる手紙によって語られる、ヨーロッパの戦争によって翻弄される彼らの人生。これらの話が挟まることで、日本の旧習が世界情勢に刺激されて変わっていく様子が理解できるようになっており、物語に立体感が生まれています。

また、蒔岡家の女中の一人、お春に関するエピソードが時おり挟まるのも面白いですね。手癖が悪く、綺麗好きの真逆を行く彼女ですが、人当たりが良くていざというときの判断力も充実している。彼女は「長所がなく働き口が見つからないからどうか雇ってください」と蒔岡家に送られてきたのですが、蒔岡家の話に集中しているとつい忘れてしまいがちな、都市の庶民の性格や暮らしが彼女から伝わってきます。結婚や子育てについて、戦後、日本の中産階級の暮らしは「貴族化」していきました。豪華な「家同士」の結婚(式)や、丹念に学校に通わせる子育てなどは、それこそ蒔岡家の人々のような階級だけが行っていたことだったのです(一方で、「女中=お手伝いさん」を雇う文化は復活せず、極めて核家族の親の負担が多い形になっていますが)。面子や見栄ばかりに拘るこの「細雪」の世界を、当時の庶民であるお春の視点から見てみるとまた面白い発見があるのかもしれません。

8. 結論

やや冗長で飽きが来ることもあったり、強めの解釈を挟まなければ楽しめないところ(最高の作品とは、何も考えずに読んでも面白く、解釈をしようと試みても面白い作品です)で星を二つ減じましたが、3つか4つかは際どいところ。日本文学の代表作の一つとして、きっと読まれ続けていく作品でしょう。

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