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「こころ」夏目漱石 評価:3点|若き日の恋愛譚を題材に世代間の価値観相克を描いたベストセラー小説【古典純文学】

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こころ
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しかも、本書の結末部分にも記載の通り「西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、ついに今日まで生きていた」という意味の言葉を書き残していたということが人生の主だった部分を明治時代に生きてきた人々には特に衝撃をもたらし、深い感銘と共感を与えたのでした。

たった一度の小さな失敗について、それを死に値する恥だと思い、死のう死のうと思って生き続ける。

現代に生きる私たちにとっても、そして明治人ではない(明治天皇崩御時点で学生の)「私」にとってもそれは理解しがたいことである一方、「私」の父や「先生」といった人物にとっては、時代が進むにつれ薄れてきた「明治の精神」を鮮烈に思い出させてくれる事件になったわけです。

社会を良くするだとか、自分が幸福になるためだとか、いまふうに言えば「社会貢献」「自分らしく生きる」「自己実現」だとか、そういった生き方を明治の人々は、特に一定以上の階級に生まれ育ち品格を持っていた人はしなかったのです。

心の中に独特な功罪の感覚を抱き、生き恥を晒すことを何よりも恐れていた時代では「社会貢献」ですら「違う」のです。

その代わり、一人の人間として立派に生き遂げられるかという、自分自身との剛毅な勝負に生きることが「明治の精神」だったのです。

「お天道様が見てる」の精神ともいえるかもしれません。

「私」の父は乃木大将の死によって「明治の精神」を思い起こし、自分が生きる意味について自分に対して問い始め、だからこそ容体が悪化していく。

「生きていることが一番大事」「あなたの命が何よりも大切」。

それが至上とする精神はそこにありません。「いかに死ぬか」。

それこそが価値であり、「どう生きたか」の証である。

ある種、肯定的な「生きる意味などない」がそこに生じるわけです。だから、父は危篤に陥ります。

そうです、父の危篤と同じ時期に「先生」からの手紙が「私」のもとにやってきたのは偶然ではありません。

明治人たる「先生」の心の動きも「私」の父と全く同じ軌跡を辿ったのです。

罪を抱えたまま生きることの価値は忽然と消え去り、明治の精神というフィルターを通して死の価値が浮かび上がってくる。

そして、自分は明治の精神とともに死ぬということ、罪を意識して死んだように生き、そして明治の終わりとともに死んでいくのだということ、その意味があなたには分からないだろうということ、それらを結論とした罪深い過去を告白するという内容の手紙を「私」に送るのです。

この「あなたには分からない」明治の精神というのが本書の核心、「時代の趨勢と人々の『こころ』」 に通じています。

その時代時代に生きる人々の心を縛る独特な道徳心。

それは昭和生まれの人々にも、平成生まれの人々にもありますし、きっと令和生まれの人々も抱くのでしょう。それは言葉にするには難しく、簡単に抗えるようなものでもなく、その道徳心に逆らおうとすると何か不思議な感覚が自分を押し戻そうとするような気持ちになるはずです。

そして、その感覚は同じ年代生まれの人々とは簡単に共有できるのに、異なる時代生まれの人々には驚くほど通じず、ただただ苦笑いするだけという場面に遭遇するような代物であるはずです。

もちろん、私にも読者の皆様にも明治の人々を内側から律していた「明治の精神」は分からないものです。

しかし上述のように、昭和世代を内側から律する「昭和の精神」を平成世代が理解してくれないと悩んだりすることや、そんな時代の移ろいに感慨深くなったりするという現象は多くの人が経験したことでしょうし、「平成の精神」を令和世代が理解してくれないなんてこともこれから多発するのでしょう。

世の中の動きが速くなり、そんな現象がこれから多発するということを予見したかのように、本作は100年前に書かれたのです。

当時急浮上した感覚であり、誰もが言葉にしづらかったことであり、永遠普遍のテーマとして現代にも引き継がれる「時代の趨勢と人々の『こころ』」。

本作はそれを鮮やかに描いた小説であり、だからこそ「明治世代」にも刺さり「大正世代」にも刺さり、いまでも読み継がれているのでしょう。

なんとなくですが、恋愛感覚の変化や「忠君報国」精神の変化というのが明治から大正の転換期に起こったというのは、同じく恋愛感覚の変化や「(会社への)滅私奉公」精神の変化が起こっている平成から令和への転換期としてのいまに似ている気がして感慨深いですね。

さて、上述のような遠大なテーマを通俗小説の外形にうまく包んで普及した、いわば「うわべを読んでも面白く、深く読んでも面白い」本作ですが、ややうわべ側に難もあります。

新聞連載作品なので「何か書かなきゃ」というプレッシャーがあったのかもしれませんが、 全体的に冗長で、特に恋愛が絡む「先生と遺書」以外はエンタメ的面白さもないので文学技術の発展した現代から見るともっと圧縮の余地があるように感じられます。

三角関係の描き方もワンパターンで、特にお嬢さんが感情のない道具のような存在になっているのは減点対象ですね。

加えて、本当にカジュアルに読んでいく層に対してテーマが一端でも伝わるのかという疑問があります。

もちろん、作品を深く理解するには考察や探求が必要ですが、本当に良い作品というのはエンタメ的にも面白く、それでいてテーマについても多少なり万民の心に引っかかりを残すものであるはずです。

そういったテーマに纏わる万民共感箇所を「明治の終わり」や「乃木大将の殉死」といった時事的な要素に頼っているという点で普遍性に欠けるでしょう。

テーマの深さという加点要素と、読んでいるときのワクワクやドキドキという減点要素。

これらを足し合わせると、評価3点(平均以上の作品・佳作)が妥当だと思います。

ついでですが、終盤に出てくる「先生」がKの悩みを誤解していたという点が個人的には好みです。

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