この物語の主人公である真琴はタイムリープ能力を偶然手に入れているため、「もし~していれば」や、「~がよくなかったんだ」という思いから繰り返し過去に戻ります。
しかし、誰かを救えても今度は他の誰かが傷ついてしまったり、過去を変えた方が自分の意に沿わない未来へと繋がってしまったりという悔しさを何度も味わいます。
果穂を巧介と付き合わせるための作戦でも失敗を繰り返しますし、真琴の友人である早川友梨(はやかわ ゆり)があろうことか千昭と付き合ってしまうような未来を実現してしまったりします。
しかも、これらの描写が序盤のコミカルな展開と対照的に描かれていることが構成の素晴らしさの一つです。
最序盤、タイムリープの能力を自覚した真琴は万能感を味わいます。時間を繰り返せば、お小遣いは何度でも貰えるし、何時間だってカラオケで遊べるし、何回でも二度寝できるし、大好物も望むだけ食べられる。テストだって問題を把握してから「戻れば」苦労しない。
真琴は、タイムリープで「あらゆること」が解決できるという錯覚を起こします。
しかし、中盤以降は人間同士の複雑な感情の交錯の中でもがき苦しむようになります。
現実にはない「タイムリープ」という設定を活かして、「人間の感情だけは未熟な人間が何度試みようが思い通りになるようなものではない」という現実をより際立たせているという、まさに「フィクション甲斐のある」作品になっています。
ただ人間の感情の複雑さを強調するだけならば実話で良いのです。
むしろ、実話の方が「現実に起きている」という点で優位です。
その感情は、実際に人間を喜ばせたり悲しませたりしたのですから。
フィクション(=嘘の物語)を人類が敢えて作る真の理由があるとすれば、それは嘘を交えないと表現できなかったり、上手く強調することが出来なかったり、スポットライトを当てづらい事柄があるからです。
そして、超絶技巧ともいえる構成は最後の瞬間までこの物語の緊張を持続させることに成功しています。
何度もタイムリープを繰り返し、人間の真剣な気持ちの真っすぐさ、その尊さに気づいた真琴は「わたし、最低だ」と呟いて行動に出ます。
それまでの展開でも、「巧介くんと試しに付き合ってみて、気に入らなかったらなかったことにすればいい」という主旨の発言をする叔母に対して、「そんなことできないよ」と心境変化の片鱗を見せるようになっていた真琴ですが、ついに、千昭の告白に対して自分が犯した最大の過ち、「真剣に向き合わない」を猛烈に後悔し始めるのです。
普通、この大切なことに気づくことができるのは、何度も過ちを犯した後です。
現実世界では、(学生時代という意味での)青春が過ぎ去った後ということも少なくありません。
真琴もそうなるはずだったのでしょう。
しかし、タイムリープで時間を繰り返すことにより、経過時間としてはたった3~4日の間に気づくことができたのです。
ここでまず、若人が大切なことに気づく瞬間というカタルシスを私たちは体感することができます。
ただ、私たちは同時に理解します。真琴が気づいた瞬間にはもう、千昭との別れは決定的になっているということを。
タイムリープがなければ大切なことに気づくことができず千昭の告白をはぐらかしたままだった真琴。
偶然にもタイムリープの存在により大切なことに気づきますが、同時に、そのタイムリープの使用が千昭との別れを決定づけるという展開は痺れます。
主人公が「恋」を知ることと、「恋」の相手との別れが表裏一体になっているというまさに劇的な構成は見事です。
「未来で待ってる」「すぐ行く、走って行く」。
二人が本当に「特別な」関係になったからこその特別な告白と、人生という道をまっすぐ前に向いて歩くことができるようになった主人公の応答が放つ輝きには感涙を禁じ得ません。
世界を救うわけでも、両親を結婚させて自分が生き残るためでもない。
それでいて、ドタバタコメディでもない。
ただ人生に対する情熱を表現するためだけに時間跳躍を使うという発想は、使い古された題材をもう一度新しくする斬新さがあったのだと思います。
そうした素晴らしい構成に加え、演出も傑出したものがあります。
やたらめったら派手にせず、寒い掛け合いやギャグを挟んだりもしません。
主人公たちとは全く関係のない生徒たちや、住民たちの様子まで活き活きと描くことで、あくまで「学校」や「街」の中のちっぽけな存在としての主人公たちを際立たせ、この「小さな物語」が小さいからこそ現実の私たちに寄り添う様が強調されています。
主人公たちの「特別ではなさ」が、「あり得たかもしれない物語」としての本作品のストーリーや誰もが「思い出」を感じることができるノスタルジーを巧妙に浮かび上がらせます。
フィクション作品であるのに、明らかに嘘であるのに、「自分」と「登場人物」との心理的境界線を曖昧にさせ、思わず感情移入させる演出です。
加えて、時おり挟まる、BGM+動きと物音だけ(台詞なし)のパートやモノローグがメリハリをつけていて、非常に狭い世界で動いている物語にも関わらずテンポが一本調子になっていません。
敢えて同じような場面を繰り返す箇所(自転車で坂を下るシーンなど)以外は同じようなことをしていても別アングルからのカットにしていたりと、この物語で重要な「繰り返しの効果」を際立たせる細かい気配りも光ります。
更には、キャラクターに二面性を持たせたり、変化を表現する手法にも魅力があります。
コメント
こんにちは。映画ブログを運営しているものです。
時をかける少女は何度も観ました。数あるアニメ映画の中でも特に印象に残っている作品の1つです。
タイムループというありがちな設定だからこそ、ストーリー展開がより複雑になっていきますね。「アバウト・タイム」もたしかそんな感じの映画だったと思います。
タイムループが原因で様々な問題が生じながらも、何とか人生を生きていく。
これらの映画は、非現実的な設定ながらもとてもリアルな日常や人生を描いているなぁと思いました。
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