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アニメ映画 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 監督:石立太一 星2つ

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン
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「自動手記人形」という職業にとどめを刺すことになる「電話」が感動の幕引きの立役者となり、同時に、名を馳せた「自動手記人形」が「電話」普及の最前線となる首都を去っていく、という物語構成は情感と郷愁の深い展開で確かに上手いと思いました。

また、病床の少年が、普段は家族や友人に対して意地を張っているけれど、本心ではとても感謝していて、普段、口では伝えられないその気持ちを遺書として残したいと思っている。そこで、密かに代筆業者へと手紙執筆の依頼をする、という流れもベタですが、この筋立て自体をメインの感動ポイントにするわけでないのならば悪くはない流れです。

しかし、本作の大きな欠点は、本流の物語であるところの、ヴァイオレットとギルベルト少佐の関係性構築の部分にあると思われます。

まず、戦争の描写が非常に非現実的で、少佐であるギルベルトと一介の兵士であるヴァイオレットがまるで恋人のようにべたべたとくっついて戦争に赴き、べらべらと喋りながら戦闘をしているような描写にはかなりしらけさせられます。

加えて、いくら孤児出身で戦場育ちとはいえ、少佐が放った「愛している」という言葉の意味がよく分からず、その意味をずっと探しているなんていう設定は正直なところ不自然極まりないでしょう。

むしろ、下級兵たちの会話だったり、戦地の実情を経験することでその下世話な意味は知っていないほうがおかしいのです。そこまで求めないまでも、「愛している」がよく分からない、と言ったら、周囲が茶化しながらも教えてくれるに決まっています。

「『愛している』を探し続ける少女」なんていうピュアピュア純潔物語は、よほど凝った世界観や人物造形をつくりこまれなければ実現不可能なものです。

もっといえば、「女子少年兵」とお近づきになり、最期の最期でそれまで堪えていた「愛している」が口から零れてしまう少佐なんて、普通に考えれば気持ち悪いだけです。そんな少佐の「愛している」に肯定的な困惑を抱いている無垢な女の子、という設定自体があまりにも無理くりな「アニメ・ラノベ」的世界観になっています。

(付け加えると、「女子少年兵」という概念が普通に存在している世界観もかなり奇妙です。主人公が女性であるということが特段の効果を発揮しているとも思われず、べつに男性(少年)でもよかったのではないかと思います)

もちろん、極端な物語仕立てのラブコメ作品であったり、ロボット戦争ものだったりでは、確かに「アニメ・ラノベ」世界観が有効に働いている場合もあり、「アニメ・ラノベ」世界観を一概に否定したいわけではありません。

しかし、本作品の訴求点は、人類のほとんどが文盲の時代にあって、手紙の代筆を通じて家族や恋人を繋ぐ役割を果たす代筆屋の物語、というリアル路線での感動になっております。

それなのに、主人公の生い立ちの礎となっている戦争描写が非現実的であり、物語の最終目的が「愛している」の意味を知るというあまりに寒くてクサイ設定になっていることが、その現実的な感動とは相反する要素となっており、「現実脳」と「アニメ・ラノベ脳」を使い分けて観なければならないことに苦痛を感じさせられるのです。

抽象的な言葉でいえば、作品の雰囲気や描写に「統一性」がないといったところでしょうか。

美麗なアニメーションや音楽は流石の高品質だっただけに、絵柄や音楽といった「外側」に目と耳をつぶると、「凡百の深夜アニメとあまり違わなくない?」と思えてしまったことが残念でした。

「愛している」に主眼を置いたりせず、戦争描写も現実的な範囲に留め、(女子)少年兵が戦地でのトラウマ等から回復していく話、すり潰された感情を再生していく話という路線で進めておく。

そんな日々の中で、他者の恋愛を見るなどして真実の愛情についての感覚が陶冶されていき、最後に、少佐のことが「好き」だった自分に気づく、という展開のほうがまともな面白さがあったのではないでしょうか。

悪くはありませんでしたが、「これは『アニメ』だから」と自分を説得しながら見なければならない場面も多く、「手紙代筆業を通じて戦場育ちの少女が『心』を回復させていく」という大筋が良さげに見えるために余計、薄ら寒い設定が露呈する箇所でもやもやが大きくなってしまいました。

なお、インターネットで調べてみたところ、原作小説はやや異なる味わいだということですので、いつか読んでみたいと思います。

石川由依 (出演), 子安武人 (出演), 石立太一 (監督) 形式: Blu-ray

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