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もはや学校は何かを学ぶ場所ではなく、テストを受けに行く場所になっているのではないか

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・教師の能力は十分か?

まずは教員の質というマクロな視点から見ていきたいと思います。

まず、公立の小中学校の教員たちは特段高学歴という訳ではなく、そもそも教える内容への理解が浅いことが推察されます。

小中学校のテストで高得点を獲れなかった人々が小中学校の教員を務めているのです。

さらに、労働環境は過酷であり、授業研究や授業準備に十分な時間を割けるわけでもありません。

これでは教授技術の向上は望めないでしょう。

日本の学校に「偏差値35」の教師が増えている問題
嘘みたいだが本当の話である。難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて入学した人間のことをとりあえず「偏差値35」と言う…
想像以上にブラックだった。教員になった女性が1年で退職した理由。
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教員を過労死に追い込む「残業代ゼロ」のゆがみ 「2泊3日修学旅行」ではほぼ不眠
公立の小中学校教員には残業代が支払われていない。弁護士の明石順平氏は「給特法と呼ばれる法律が、異常な長時間労働の原因になっている。そのうえ、多くの学校で出退勤記録がまともになされておらず、過労死であっても遺族は泣き寝入りせざるを得ない状況にある。学校はまさにブラック企業だ」という――。
現役中学教員に聞く「ブラック職場としての学校」
「現役中学教員に聞く「ブラック職場としての学校」」の連載記事一覧です。

学校の先生の言っていることは分からないが、塾だとある程度分かる。
あるいは、塾の方が高度な内容を教えてくれる。

そんな状況になるのも納得できるというものです。

また、近年は教員採用試験の倍率が著しく低下しており、しかも、非常勤の教員も増えているなど、マクロ的に見れば過去に比べてますます教員の質は落ちているに違いありません。

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https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20200710-00187486/
「非正規」教員 過去最多の10万人超/公立小中学校

・体育や美術、音楽はどうなのか?

しかし、上述の記事では、体育や美術、音楽といった教科の教員たちの質を推定することは難しいでしょう。

それらの教科における良い学歴とは何か、教科に対する理解とは何か。

それを定量的に測ることはできません。

そこで、こここからは読者の皆様の記憶と感覚に頼った議論となってしまうのですが、体育や美術、音楽の授業において、皆様は運動能力の向上や絵の上達、歌や楽器の上達のために何か指導を受けたことがありますでしょうか。

走りましょう、泳ぎましょう、○○というスポーツをしましょう、絵を描きましょう、彫刻を掘りましょう、歌いましょう、リコーダーを吹きましょう。

そんな、なんの指導や訓練もない状態から始まる「実戦」や「本番」だけが「授業」や「テスト」として存在し、それらを通じて唐突に「実力」が衆目に晒され、その「実力」によって成績が決まったというケース大半なのではないでしょうか。

そして、そんな授業環境で活躍したのは、そもそも課外活動で体育や美術、音楽の素養を磨いていた人々ばかりだったのではないでしょうか。

普通の生徒の能力を向上させるような授業というものは、実行されていなかったのではないでしょうか。

つまり、五教科の教員は教科への理解不足と授業準備の不足のために、体育や美術、音楽の教師はそもそも能力向上の指導をする気がないために(そういった文化がないために?)、能力を向上させるような授業を行えない/行わないのではないでしょうか。

・テストを受けに行く場所としての学校

それでは、教員たちが学校で行っていることは何なのか、学校が果たしている役割とは何なのか。

それは、(集団生活を通じて得られる何かという賛否両論の観点を除けば)テストを行い、採点するという役割だけだと言えるでしょう。

一般的な中学受験や高校受験において、「体育塾」や「学習塾」での成績は一切顧みられることがありません。

重要なのは、入試での点数と学校での成績です。

学校は、そんな「公式成績」のための「公式テスト」を提供するための機関であり、そのためだけ(+友達に会いに行く/部活をする)に行く場所であり、授業を通じて自身の能力を高める場では決してない。

いまや、全教科においてこの論理が成り立っており、教育機関としての学校は意味を為さなくなっていっているように思われます。

もはや学校は何かを学ぶ場所ではなくテストを受けに行く場所になっているのではないか、というわけです。

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