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もはや学校は何かを学ぶ場所ではなく、テストを受けに行く場所になっているのではないか

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・AO的な入試方法が増えると?

前項では、

「一般的な中学受験や高校受験において、『体育塾』や『学習塾』での成績は一切顧みられることがありません。重要なのは入試での点数と学校での成績です」

と述べましたが、この傾向すら近年では変わりつつあるようです。

高校受験や中学受験でもAO的な入試方法が増えており、課外活動や学校以外の機関が作成しているテストでの成績(英語ではTOEICや英検など)、公的資格の取得状況が重視されるようになってきているとのことです。

そうすると、学校での授業を真面目に受けたり(授業態度で内申点向上)、テストで好成績を獲ったりすることを通じて学校で良い成績を収める必要が薄れ、生徒やその親たちは学校での課内活動にコミットする意欲をますます失うことでしょう。

実際、学校成績が殆ど顧みられず、むしろ課外活動の活発さやTOEICの点数、コミュニケーション能力が重視されるという傾向が文系大卒の新卒一括採用では顕著なため、文系の大学生はあまり大学の授業やテストに力を入れず、課外活動や資格取得、勉強というより海外経験目的の留学等に執心しております。

このままの流れが続けば、高校はもちろん(大学受験ではAO入試や推薦入試がもう過半数を超えていますよね)、小中学校にまでこの傾向が敷衍し、義務教育機関に通うという行為は単なる形式的儀礼の側面を強くしていくでしょう。

そして、この問題に対する王道の見解は、なんとかして小中学校における教育力を強化し、生徒や親に(テスト機関としてでなく)教育機関として通うのに有意な場所だと思ってもらえるようにしていくべきだ、という意見になるのだと思います。

しかし、本項において、私は敢えて逆の方向性に進むべきである可能性を強調いたします。

それは、かなり大胆な考えではありますが、いっそ小中学校での教育はもっと簡素化して、あまり生徒たちを縛らないようにすることで、課外活動を重視していく方針に切り替えるのも一つ方法ではないかということです。

いまや「学習塾」や「ピアノ教室」、「絵画教室」はもちろん「体育塾」「運動塾」もある時代ですし、YouTubeにだってたくさんの教材が転がっております。

何を学校で教える必要があるのか、それを再検討し、教える範囲を際限なく広げるのではなく、教えるべき項目を絞り込んでいく作業が求められているのかもしれません。

もちろん、そういった状況になったとき、家庭間の文化資本格差を埋める努力こそが教育政策において最も重要になってくるでしょう。

家庭によって興味関心のある事項が著しく異なることで、それが子女の教育状況に大きな差を生んでしまうということは現在でも大きな問題です。

課内活動が縮小し課外活動が重視されれば、教育課程における義務教育機関の影響がより小さくなり、家庭(≒親)の影響がさらに大きくなることでその格差は拡大していくと思われます。

両親がお堅いニュースや芸術に関心を持っている家庭と、バラエティ番組ばかり見ている家庭。

スポーツを推奨する家庭と、怠惰が蔓延している家庭。

テクノロジーに敏感な家庭と、テクノロジーに疎い家庭。

それぞれの家庭に生まれた子供が関心を持つような事象には著しい差が生じ、それは将来所得や子供が潜在能力を発揮できる可能性に強く効いてきます。

この難点を何とか乗り越えることができれば、義務としての教育課程の簡素化が成し遂げられ、子供たちが効率よく自身の能力を伸ばしていけるような、そんな教育の劇的な改善が起こりうると考えております。

・終わりに

というわけで、なんとなくそれっぽい教育論を振りかざしてみました。

最後の方はやや強硬論に聞こえたかもしれませんが、私がどちらかというと教育の簡素化に肩入れしてしまう訳として、学校に費やした(費やす)時間が無駄だというのは人生レベルでのあまりにも大きな損失だなという個人的な感覚があります。

大卒であれば22~23歳から働き始めるわけですが、その頃になればもう、10代で自分の履歴書に実績を積み上げてきた人はそれをもとに大金を稼いでいたり、ベテラン勢のような形で仕事をしていたりするわけです(プロスポーツ選手が代表的ですが、他にも、ニコ生主からVtuberに転身したり、プログラミングやイラストレーションの世界で活躍したりなど)。

さらに、そこまでは行かなくても、教育課程が圧縮されればされるほど早い段階で稼ぎ始められるわけで、それこそ、結婚・出産・育児をするにしても、資産形成をするにしても、若い時間を十分に余裕を持って使うことができます。

やや世論の傾向とは異なるかもしれませんが、教育課程の圧縮というのはもっと語られてもいいんじゃないかなと個人的には考えております。

それこそ、強い言い方をすれば、学校教育から無駄を省きたいわけです。

余裕こそが何かを生むと言いたい人は、その何かと以下の活動を比較してみてください。

本人の適性や意欲に合った課外活動、勤労(技能形成にもなり資産形成にもなる)、結婚や育児の経験。

あるいは、高校や大学レベルの高度な勉強や研究を先行して始められる、という考えでも良いでしょう。

いまの世の中、ぼんやりと学校に通ってしまった、あるいは、学校に通うのが辛かった、という人は結構いると思いますし、不登校や敢えてN高校などの通信制に行く生徒の割合増加などを見るにつけ、そういった人々は年々増えているように思います。

データで見る不登校 ~不登校の現状と将来の見通し~
2018年度の不登校の児童生徒数は、小学生4万4841人(0.7%)、中学生11万9687人(3.6%)、高校生5万2723人(1.6%)。カッコ内は全児童・生徒数に対する割合です。少子化で全児童生徒数は年々減っているものの、不登校の児童生徒数は増加傾向にあります。
N高の生徒数、1万5千人に急増 難関校からの転入も 校長が語る「選ばれる理由」|オンライン授業で学びを止めるな|朝日新聞EduA
ネットの高校であるN高の存在感が増している。2016年の開校から右肩上がりに入学者が増え、現在の生徒数は1万4700人に達している。なぜN高は多くの生徒や保護者に支持されるようになったのか。N高の本校がある沖縄県うるま市の伊計島から、奥平博一校長にZoomで話を聞いた。

その人たちは、単に無為な授業や苦しいばかりの人間関係によって時間や精神を浪費しただけでなく、その代わりにできたかもしれなかったことができなかったわけです。

それはあまりにも大きな損失であり、低質な授業を受けてしまったこと、あるいは、学校に通ったことそのものがその人に大きな機会損失をもたらしたのではないかと私は思います。

そんな言葉で本稿を締めたいと思います。

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明日も物語に魅せられて

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