小説 「暗夜行路」 志賀直哉 星1つ

暗夜行路
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1. 暗夜行路

「小説の神様」とまで称され、近代日本文学を代表する作家とされている志賀直哉。「城の崎にて」などの中短編で有名ですが、長編も一作だけ書いていて、それが本作「暗夜行路」。

日本文学を語るうえで避けては通れない作品ということで期待していたのですが、その期待は見事に裏切られました。典型的な拙い私小説という印象で、近代小説「黎明期」に、比較対象が少なかったから評価された作品なのだと思います。現代にも通じる普遍性はなく、現代の小説技術と比べて明らかに劣後しているため、物好き以外は読まなくてもよい作品でしょう。

2. あらすじ

主人公、時任健作は東京に住む小説家。といっても執筆にはなかなか気乗りせず、芸者遊びに興じるなど放蕩生活を送っている。

そんな暮らしから脱しようと、尾道への転居を決意した謙作。尾道での生活の中で、謙作は自分の気持ちを整理し、これまでずっと東京で身の回りの世話をしてくれていたお栄という女性に結婚を申し込むことを決意する。

しかし、兄である信行に結婚申込み依頼を頼んだところ、信行から衝撃的な事実が告げられる。謙作は謙作の祖父と謙作の母のあいだに出来た不義の子であり、お栄はそんな祖父の妾であったというのだ。

この事実を知っていた謙作の父は当然ながらこの結婚に反対し、信行もできれば諦めて欲しいという態度で謙作に臨む。思いを貫くことが出来ず、引き下がった謙作。心機一転、京都に移住することにした。

そして、京都で直子という結婚相手を見つけ、今度は無事に入籍した謙作。ようやく人生も軌道に乗り始めた、と思った矢先......。

3. 感想

まず、情報の出し方がぐちゃぐちゃで、昔の私小説的なものにありがちな、読者が作者のことをよく知っていたり、読者と作者の境遇が近いことを前提とした語りから始まるので普通に読んでいると大混乱に陥ると思います。

作者の友人がなんの説明もなく名前だけで出現し、説明されていない文脈をもとにした発言で物語を引っ張っていくという不親切設計。たとえ彼らが何を言わんとしているか分かったとしても、主人公が裕福な家庭の次男坊で職業が小説家であるという情報を事前に仕入れておかなければ、彼らや主人公の行動の意味が全く分からないという状態に陥ります。

主人公が自分の身内について地の文で表現する際にも、「芝の祖父」とか、「本郷の父」とかであって、高等遊民が同じ高等遊民向けに小説を書いているというこの時代独特の小説市場の在り方を強く意識しなければ全く筋が理解できなくなってしまいます。

しかも、物語の展開が異常に遅くて苛々させます。物語の核心である、「主人公は不義の子」という要素が出てくるのは150ページ近くかけた後で、そのあいだは友人と芸者遊びをしたり、尾道を旅行したりという、特段、意味のない描写にページ数が割かれます。

それらの様子は非常に事細かく描かれるのですが、 芸者や植木屋の名前が突拍子に出てきて、特に期待させるような振りもないままだらだらとした人物紹介が長く続き、しかも、後から何も起こらないという酷さ。

これでは、○○さんが△△した、と書けば褒められる小学校低学年レベルの構成です。

「不義の子」事件の後も同じようにダラダラとした流れが続き、家を探すのにも旅行に行くのにもいちいち本筋から外れた描写が細かいうえ、その描写も強く惹きつけられるものではありません。何の意味もないのならば、いちいち食事の様子も書くなと思ってしまいます。

「なにも起こらないならば朝起きて階下へ下るシーンはいらない、朝ごはんを食べる場面もいらない、十字路で転校生とぶつかるところから始めろ」と言いたくなってしまいます。

加えて、一応この小説の目玉である「不義の子」や「不倫」という要素はそれが単独で出てくるだけで、物語構成の中に上手く嵌めこまれていないのです。はい衝撃でしょ?で終わってしまいます。

小説は嘘の物語なのですから、衝撃的な出来事は起こるのは当たり前です。それをいかに伏線やギミックと組み合わせ、読者を唸らせ感動させるかが重要なのであって、あらゆる読者がメタ視点を獲得している(誰もが小説・漫画・アニメ・ドラマ・映画に触れている。バラエティーやユーチューバーでさえフィクションの「お約束」を取り入れた演技や演出がある)今日において、もはや古典としても残っていてはいけない小説になっています。

人が死ねば衝撃、不倫すれば衝撃、近親相姦で衝撃。そんなものは三流ドラマです。

主人公の内心の葛藤も、ただ葛藤しているだけで、光の当て方が斬新ということもありません。人生の中で人は必ず葛藤します。そんなこと、わざわざ小説のお世話にならなくても体験します。

価値ある小説とは、その葛藤の表現方法や、観点・視点の違いにより、誰もが感じている葛藤に対して何かプラスになるようなものを与える小説なのです。本作品にはそんな要素が皆無です。

さらに言えば、これは仕方がないことなのかもしれませんが、主人公の実家が金持ち過ぎて、どんなに人生の困りごとがあろうと無限に金が湧き出てくるという面でも現代の読者の共感は全く得られないでしょう。

私たちからすれば、この時任謙作という人物は、人生の問題など全て解決済みな人物なのです。全く魅力がありません。

4. 結論

その知名度に反比例するくらい酷い作品でした。ただ、有名作家や批評家のあいだでも評価が割れているらしく、大江健三郎は年を取らなければこの作品は分からないと思い、年を取ってから再読して価値を認識したそうです。私にもいつか分かる日が来るといいのですが......。

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