【生き方】「幸福論」 バートランド・ラッセル 星3つ

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学校といい会社といい、多くの人間を長期間にわたって同じ場所に拘束することでレベルの低い見栄の張り合いを誘発させておりますが、そういった軛から思考を脱却させ、自分が追い求めたいことを追い求めるための時間と資源を得るために行動しなければならないのです。

そのことにいつ気づけるかがとても重要だと、年を取るごとに身に沁みて感じます。

もう一つ、今度は短いですが、第12章「愛情」から。

最上のタイプの愛情は、相互に生命を与えあうものだ。おのおのが喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える......ところが、また別な、決してまれではない種類の愛情がある。この愛情においては、一方が他方の生命力を吸い取ってしまい、一方は他方の与えるものを受け取るくせにお返しとしてほとんど何も与えない。活力に満ちた人たちの一部は、この吸血型に属する。

こちらも至言ですね。

特に後半の文章、愛情に見せかけた一方的な搾取があることを指摘している点が重要なのだと思います。

そんな人間と付き合ってしまうと、こちらの気力や時間、ときには金銭ばかりを吸い取られ、それでいて「こうしないと愛してくれないんじゃないか」「やっぱり自分がダメだから愛されないんじゃないか」という思考の沼に嵌ってしまいます。

活力に満ちた人たちの一部、つまり、エネルギッシュな魅力を放ち、世間的に認められている人たちにも、このタイプが存在している。

その点に要注意という観点は、むしろ現代的とさえ言えるでしょう。

また、自己啓発的な側面とは別ですが、随所で女性の社会進出による少子化の加速を予言しているのも面白いところ。

その予言が顕著に現れる第13章「家族」では、女性が経済的に独立していることにより、その女性が結婚しないことを両親が道徳的に批難しても無視できてしまうようになり(良いことなのかもしれませんが)、子供が欲しいという欲望に囚われない限り自由な生活を楽しむことができると述べられています。

そして、それでもなお結婚した女性は仕事を失うことになり、加えて子供を養うということになれば、生活のレベルを下げあるを得ないことが指摘されています。

しかも、ここで「召使い不足」という問題が彼女の前に立ち現れます。

つまり、雑事とも言える家事や慎重さが要求される育児を自分で行うか、さもなければ、質の低いメイドや乳母を雇わなければならないとうわけです。

そういった「仕事」はキャリアを追い求めていたときの仕事よりも魅力に欠けるのに、多くの場合は自分でこなしていかなければならない。

このストレスが女性を不幸にするのです。

メイドや乳母という単語はいかにも当時のイギリス風ですが、直面している問題は現代でも同じ。

家族の分まで行う家事は大変だけれど、満足のいく家事代行サービスを使えるのは上位中産階級~富裕層だけ。

子育てだってワンオペ強制で、シッターを使ったりするのは愛情に欠けると批難される(そもそも上位中産階級~富裕層しかシッターは使えない)。

保育所や学校だって安心して預けられるわけでもなく、子供が熱を出せば迎えに行かなければならないし、学校でトラブルがあればやはり出向かなければならない。

親が関わらさせられる行事も多く、学校という存在はむしろ親の手間を増やすという側面だってある。

これでは、人生をサポートしてくれる「十分な召使い」とはいえない。

しかも、子育てに求められるレベルは加速度的に上昇していて、親たちは何か事件が起こるたびに、それは子供が泣き叫んだりテストで悪い点を獲ったりということですが、どうしようもない不安に駆られてしまう。

そんな状況に直面している女性たち(男性もですが)が苦しんでおり、そんな事態を予見できるからこそ結婚しなかったり子供をもうけない人々も増えていく。

当時の最先進国イギリスに生まれた貴族ラッセルの予言は、現代の先進国の状況をぴたりと言い当てています。

そんな少子化という現象を、ラッセルはどう見ていたのでしょうか。

第3章「競争」でラッセルはこう述べています。

現代の恐竜たちも、自ら絶滅しつつある。彼らは平均して、結婚によって二人の子供しか作らない。彼らは、子供をもうけたいと思うほど人生をエンジョイしていないのだ。

「子供をもうけたいと思うほど人生をエンジョイしていないのだ」

これはまた不思議な表現ですね。

でも確かに、人生をとても楽しんでいて、その楽しみを分かち合うパートナーがいたら、この楽しい世の中に自分たちの子供を残したいと思うのかもしれません。

子供たちにもこの世界を楽しんで欲しい、子供たちと一緒にもっとこの世界を楽しみたい、そう思うようになるのかもしれません。

一般的に、現代は豊かな時代だと言われます。

豊かさの根拠は、経済の豊かさと科学(IT・機械・医療など)の豊かさに求められることが多いようです。

もちろん、経済成長と科学の進歩が様々な不幸を解決してきたことは確かでしょう。

しかし、その結果として生まれたのは、人々が自由意思として、自主的に子供をもうけないほどに楽しくない世界です。

日常のニュースは経済と科学にばかり着目し、少子高齢化の原因さえそこに求めようとします。

いままではそれを当たり前に捉えてきましたが、ラッセルの「幸福論」を読んで以来、私はふと考えるようになったのです。

多くの問題の原因は「楽しさ」が世の中に足りていことなのではないか。

大手を振って「楽しむ」ことがあまりにも許されていないことが原因なのではないか。

ときに自己啓発以上の内容を含んでいるラッセルの「幸福論」。

本記事にピンと来る点があれば買ってみると良いかもしれません。

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B. ラッセル (著), 安藤 貞雄 (翻訳)

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