キリスト教文学の名手として時代の寵児となった三浦綾子さんの作品。
彼女の作品としては「氷点」と並ぶ代表作として知られています。
全体的にやや説教くさい部分があり、善人のキリスト教徒ばかりが出てくるという点は鼻持ちならないですが、キリスト教の教義を基盤とした印象的なフレーズも多く、心に残る純文学作品ではありました。
あらすじ
明治42年、名寄駅から札幌駅へと向かう汽車でトラブルが起こる。
険しく急峻な塩狩峠に差し掛かった際、汽車の連結部が外れ、車両は急坂を猛烈な勢いで後退し始めたのだ。
このままでは乗客全員の命が危ない。
そんなとき、客車を飛び出してデッキに向かった男がいた。
彼の名前は永野信夫(ながの のぶお)。
デッキに備え付けのハンドブレーキを回す信夫だが、汽車の勢いは緩まったものの止まることはない。
ここまで速度が落ちたのならば、あとは何らかの障害物があれば止まってくれるだろう。
そう考えた信夫はデッキからレールへとその身を投げたのだった。
あまりに高潔な死を遂げた永野信夫。
この青年の立派な人格はいかにして陶冶されたのだろうか。
いたいけなほど純粋な信仰の物語は、彼が幼少の頃から始まる......。
感想
キリスト教徒に対して差別心を抱いていた、当時としては平凡な少年、永野信夫。
そんな信夫が類まれなる精神性を持った理想的キリスト教徒へと変わっていく過程を描いた物語になっています。
キリスト教徒を憎む祖母、キリスト教徒の父母と妹。
そんな家族の中で育ち、親友との切ない出会いと別れを経験したり、親戚から悪い遊びに誘われたりする中で自己や世の中を見つめなおし、次第にキリスト教の考え方や信徒としての生き方に共鳴していく。
その流れが自然な形で無理なく描かれてはいるのですが、いかんせん、永野信夫という主人公が生まれながらにかなり立派な人物(善い生き方とは何かについて自然と考えられる人物)であることが目立ち、やや共感しづらい面があります。
加えて、登場する幾多のキリスト教徒が善人揃いで、こういう人たちとこういう出会い方をすればキリスト教徒になるのも当然だろうと思ってしまいます。
その意味で、却って「凡人の凡庸な人生」にキリスト教の出る幕はあるのか、と感じてしまいました。
ただ、時おり出現するキリスト教的な名言にはかなり心を揺さぶられます。
ふじ子(信夫の親友の妹)は足が不自由だが、それゆえに他人よりも人生について深く考える機会を得ている。
身体が不自由な人間がいることで、それを見て蔑む冷酷な人間と、そういった人を擁護し幸福にしようと努めることで人格にますますに磨きがかかる人間に世の中は分かれる。それこそが神様のお与えになった試練である。
女を知らない男は、会った女それぞれがどれも神秘的で得難いものに思えて、ちょっと知り合っただけで手放すのが惜しくなる。
純文学のベストセラー作家だけあって、世の中の深い見方を易しい言葉で教えてくれます。
悪く言えばキリスト教的ヒーローがご都合主義的に出来上がっていく物語ですが、良くいえば勇気や優しさの重要性に少年/青年が目覚めていく王道の青春成長物語でもあります。
清らかで読みやすい文章も清廉な作風に合っていて好印象。
往年の名作として、手に取ってみるのも悪くない作品です。
評価は3点(平均以上の作品・佳作)とします。
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