第4位 「氷点」三浦綾子
【人間の「原罪」を問うキリスト教文学】
・あらすじ
旭川にある辻口病院の病院長、辻口啓造が主人公。
夏枝と長男徹、長女ルリ子との四人家族で暮らしている。
経済的にも豊かで、美しい妻と可愛らしい子供たちに囲まれた生活には一抹の不満もない。
そんなある日、辻口一家を悲劇が襲う。
三歳になったばかりの娘、ルリ子が河原で殺されてしまったのだ。
突然のことに衝撃を受ける啓造だが、怒りの矛先が向くのは犯人に対してだけではなかった。
幼いルリ子が一人で河原に行ってしまうのを夏枝が見逃した理由、それは、辻口病院に勤める眼科医、村井靖男を家にあげて逢引きをしていたからなのだ。
ルリ子を殺した犯人である佐石土雄の子供を引き取りたい。
大学時代からの親友であり、乳児院の嘱託医として勤めている高木雄二郎のもとを訪れた啓造は高木にそう告げるのだった。
座右の銘である「汝の敵を愛せよ」を遵守しようとする気持ちと、夏枝への怒りの気持ちが混在する啓造の胸中。
娘を殺した犯人の子供を引き取った家族を待ち受ける数奇な運命とは……。
・短評
最序盤における掴み、惹き込み方において本作の右に出る作品はないのではないでしょうか。
旦那との夫婦生活に不満はないながらも、自身の美貌を持て余し、誰かに言い寄られていないと気が済まない性質の女性である夏枝。
そんな夏枝と、旦那の病院に勤務する若きイケメン医師との背徳的な逢引きから物語は始まります。
「人間の原罪」をテーマにしたキリスト教文学、と申し上げると非常に堅い作品のように思われますが、大ベストセラーとなった作品だけあって、俗っぽいサスペンス的な掴みでしっかりと読者の興奮を駆り立ててきます。
そして、母親による不義が為されている間に娘は死んでしまい、その怒りのために「汝の敵」である犯人の娘を引き取るという陰湿な復讐策を講じる辻口啓造。
純文学作品としてはもちろんのこと、エンタメ的なサスペンス作品としても完璧な導入です。
その後の展開を大まかに申し上げますと、夏枝や徹が陽子の正体に気づいていき、それぞれの中で葛藤し、最後には陽子自身が自分の背負っているあまりにも重い「罪」に気づいてしまう、という流れになっております。
本作のミソは、貰い子である陽子が非常に聡明で人格高潔、そして素晴らしい美貌を持った少女に成長していくという点です。
年を重ねてもなお自分自身が若く見られることに執着し、異性からの評判を過度に気にする夏枝は陽子の容姿と人格の美しさに嫉妬し続けますし、逆に、徹は自分の中に生じる陽子への好意(血を分けた兄妹のはずなのに……どうしてこんなにも……)を抑えることができません。
加えて、陽子の正体を知っている啓造の心理もまた、清冽な陽子の生きざまにかき乱され続けます。
自分たちが手塩にかけて育てた、誰から見ても立派な女性である陽子と、ルリ子を殺した犯人の娘である陽子が同一人物である。
加えて、犯人の佐石土雄という人物も恐ろしい凶悪犯というわけではないという点が啓造を苦しめます。
関東大震災で両親を失い、伯父に引き取られるものの16歳でタコ部屋に売られてしまうという、悪しき社会構造の被害者とも形容できる佐石の経歴。
しかも、内縁の妻が女児出産とともに死亡してしまい、日雇い労働と育児を並行する日々を送っていたというのですからたまりません。
もし自分がそんな境遇に陥ったら、ふと何かのはずみで犯罪を犯さないと言えるだろうか。
人間は誰もが、優しさと卑しさ、勇敢さと臆病さを同時に持っている。
そのような人物造形と描写が多用される点に、著者である三浦綾子さんの人間愛と原罪への強い意識が垣間見えます。
じっくり読書をしたい際にはお薦めの作品です。
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