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【近未来SF】アニメ 「イヴの時間」 監督:吉浦康裕 星3つ

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イヴの時間
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1. イヴの時間

人間とアンドロイドが共存する近未来を舞台にしたアニメで、「アルモニ」を手がけた吉浦康裕さんが監督を務めております。

アニメ 「アルモニ」 監督:吉浦康裕 星4つ
1. アルモニ文化庁の事業である「若手アニメーター育成プロジェクト」の一環として開催された、「アニメミライ2014」で公開された30分弱のアニメーション作品。現在はスタジオ・リッカの代表を務めていて、当時は「イヴの時間」などの作品により新進気鋭の若手アニメーターとして注目を集めていた吉浦康裕さんが監督です。30分弱という短い時間の中に巧妙な起承転結とアニメーションによる不思議な世界観を詰め込まれており、隠れた名作という言葉がぴったり当てはまる作品でした。2. あらすじ本城彰男(ほんじょう あきお)は高校二年生。普段はクラスメイトである吉田や渡辺とアニメやラノベについて語り合って過ごしている。そんな彰男とは別世界にいるのが、クラスメイトの真境名樹里(まきな じゅり)。マユミやリョーコ、後藤とともにクラスの最上位に君臨する存在だ。そんなある日、授業中に真境名の携帯電話の着信音が鳴ってしまい、真境名は携帯電話を教師に取り上げられてしまう。そして、聞いただけで曲の音をすぐに覚えられるという特技を持つ彰男はその着信音を暗記し、気まぐれに学校で演奏してしまう。しかし、その演奏を聞いた真境名の反応は...

インターネット上のみで配信された作品となっており、全6話で、最終話以外は15分、最終話だけ30分という「テレビ」アニメではあまり見ない構成になっております。

そんなマイナーな出所の作品ながら界隈では評価が高く、第9回東京アニメアワード優秀賞OVA部門を受賞し、第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の審査員推薦作品にも選ばれた作品です。

その人気の高さから2010年には劇場版も製作され、公式DVD及びBlue-rayも発売されました。

Blue-rayの海外版についてはクラウドファンディングが成功し、8か国語の字幕に加え、英語吹替版も製作されるなど、飛躍を果たした作品だといえるでしょう。

私としても、「アンドロイドたちが人間の心を理解しようと葛藤する」というなかなか珍しい切り口に感心し、また、その切なく柔らかい物語に感動した次第です。

福山 潤 (出演), 野島健児 (出演), 吉浦康裕 (監督) 形式: Blu-ray

 

2. あらすじ

ロボットが実用化されて久しく、アンドロイドが実用化されて間もない時代。

アンドロイドは生活に浸透しつつあるものの、一種の「家電」のように見なされ、人間にとって都合の良い奴隷のように扱われていた。

しかし、アンドロイドに対して特別な感情を抱く若者も増加しており、そんな若者たちは「ドリ系」と呼ばれ、ワイドショーなどではそれが社会問題として取り上げられているような状況。

そんなある日、高校生のリクオは、ふとしたきっかけで「イヴの時間」というカフェを発見する。

路地裏に入口があり、看板も出していない「イヴの時間」に足を踏み入れたリクオは、「イヴの時間」のカウンター前に置かれているボードに書かれた文章を読んで仰天する。

そこに記載されていた「イヴの時間」の特別なルール。
それは「人間とアンドロイドを区別しない」こと。
実際、「イヴの時間」では、アンドロイドたちが人間のように振舞っている。

感情を見せず機械的に動き、人間に奉仕する存在だったはずのアンドロイド。

そんなアンドロイドたちが、ある者は和気藹々と、ある者は静かに、自分の時間を楽しんでいる。

あり得ない事態に戸惑うリクオだが、様々なアンドロイドとの交流を通じ、リクオのアンドロイドに対する見方は劇的に変化していく。

そうして、リクオにとって特別な空間になっていく「イヴの時間」。

しかし、そんな「イヴの時間」には、反ロボット団体である「倫理委員会」の魔の手が迫っていて......。

3. 感想

表の世界ではまるで感情を持たないロボットのようにしか振る舞わないアンドロイドたちが、「イヴの時間」ではその感情を吐露し、葛藤を露わにする。

視聴者はリクオの視点を通じてアンドロイドたちの葛藤を覗き見ることで、なるほど、「感情を持つロボット」であるアンドロイドが世の中に浸透する過程というのはこんな感じなのかなと思わさせられる。

この点が本作の魅力であり、感動の源泉となっております。

本作で最初に「おっ」と思わさせられるのは、リクオの家で働くアンドロイドのサミィが「イヴの時間」で発した「似ている」という言葉の真意をリクオが理解する場面。

当初、リクオはこの台詞を「アンドロイドは人間に似ている」という意味で解釈するのですが、サミィが意図していたのは真逆の意味、つまり、「人間ってアンドロイドに似てるよね」ということだったのです。

この皮肉な思想には、アニメを見ながら思わずにやりとしてしまいました。

考えてみれば当たり前ですが、人間は人間を基準にして物事を考えています。

つまり、「猿は人間に似ている」だとか「犬は人間のように賢い」だとか、そういう思考です。

しかし、猿の立場からすれば「人間は猿に似ている」になるでしょうし、犬の立場からすれば「人間は犬のように賢い」になるでしょう。

アンドロイドも同じというわけです。

そして、サミィの行動からは、サミィが以下のように考えているということが読み取れます。

「人間はアンドロイドにとてもよく似ているけれど、どこか違う。人間をもっと理解して、もっと喜ばせたい」

サミィの「心優しさ」に思わずくすっときてしまうのではないでしょうか。

本作にはこうした、「心優しいアンドロイドたちが人間に寄り添おうと頑張る」を起点にした面白さが散りばめられておりまして、例えば第3話では、アンドロイド同士の恋人が登場します。

コージとリナという二人のアンドロイドが恋人関係にある、ということを起点に物語は始まるのですが、実はこの二人、本当に相手を心から愛している訳ではないのです。

コージは人間の女性に愛人(男娼)ロボットとして雇われており、人間の女性の心情を理解するためにリナと付き合っていて、リナは自分が正規品のアンドロイドではないことにコンプレックスを持っており、正規品が持つ「人間らしさ」を得ようとコージと付き合っております。

「人間の女性の心情」や「人間らしさ」を得るために、どうしてアンドロイドと付き合うのか。

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