もちろん上述したように、映画の演出上は日常シーンとライブシーンを結び付けようと試みられているのですが、曲の歌詞やリズム・ライブパフォーマンスと、フレディの生活を、フレディ自身が積極的に結び付けようとしている描写がないため、圧巻のライブシーンもフレディの人生を体感する「伝記」の内容として良い役割を果たせてはいません。
あくまでカット割りによって、映画の作り手によってミュージックビデオのように仕立て上げられているだけです。
とはいえ、テンポよく展開してくれるため、中だるみはせず疾走感があります。
劇的なシーンを次から次へと見せ、合間合間に素敵なライブシーンを入れているだけといえばそうなのですが、本筋とは関係のない妙に凝った描写を入れて観客を悪い意味で戸惑わせたり混乱させたりしないのは評価できます。
シンプル過ぎる作りには突き抜けた感動もありませんが、著しく気分を害することはありません。
元々、「クイーン」という地力のあるコンテンツを使っているので、損益分岐点を超えるような映画にするという側面から見ればこれが正解なのかもしれませんね。
そんなストーリーですが、敢えて印象に残ったシーンを挙げるとすれば、"We Will Rock You"の足踏みと拍手の演出を「クイーン」のメンバー達が考える場面でしょうか。
より観客と一体化するため、お馴染みの振り付け/リズムを決めてしまおうという発想は、単に音楽的才能に秀でているだけでは浮かんでこないもので、「パフォーマー」としての「クイーン」のレベルの高さ、斬新さがよく現れているのだと思います。
しかも、これはフレディが遅刻しているあいだに、フレディ以外のメンバーとその妻たちで作り上げられるのです。
一体化する、観客と結びつくということを考えているメンバー達と、いつも自分自身の孤独と闘っていたフレディとの対照にもなっています。
他のメンバーが「エンターテイナー」であればフレディは「芸術家」であり、その曖昧だけれども確かに存在する境界線を見せつけられた気がしました。
映画のタイトルになっている「ボヘミアン・ラプソディ」のような曲を作るのがフレディである、というのもその点で面白いですよね。
ロックに(「今日びだれもオペラなんて聞かない」と作中でも言われるくらい大衆人気のない)オペラの要素を入れようという発想は、そういった大衆人気に囚われず自分の中の「美」を追究する「芸術家」ならではです。
結論
「ライブシーン」をふんだんに盛り込むことで応援上映が流行したり、LGBTや移民要素を持った主人公を題材にするなど、米英発ながら日本においても偶然時機を捉えた作品となったこともあって、大ヒットしたことには頷けますし、見る価値のある映画です。
ただ、個人的にはもっとストーリーに凝った作品も流行って欲しいですね。
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