1970~1980年代に活躍したロックバンド、「クイーン」のボーカルだったフレディ・マーキュリーの生涯を描いた伝記映画。
現在も日本全国で公開中ですが、既に2018年を代表する大ヒット映画と呼べるほどの興行収入を挙げている作品です。
公開後にSNSで大きく話題になったことから、公開から日を重ねるごとに観客が増えていくという現象が起きているらしく、まさに二十一世紀型の大ヒットだと言えるのではないでしょうか。
平成最後の年だから思うのかもしれませんが、インターネット隆盛時代だからこそのヒットコンテンツなのかもしれません。
というのも、本作はストーリーよりもライブシーンに強く惹かれるタイプの作品であり、まさに「臨場感」が売りの作品だといえるからです。
消費が「モノ」から「コト」に移っているとも評される今日ですが、実際、音楽業界でもCDの売り上げが落ちならがらもライブの売り上げが伸びているようです。
伝統的な祭りが衰退し、日常でも空気感による抑制で羽目を外しづらくなったいま、「集まって騒ぐ」という機会が希少価値として高まっているのかもしれませんね。
個人的にもライブシーンには感じるものがありましたが、やはりストーリー面が薄く、伝記映画の割にフレディの葛藤が深堀りされていないと感じました。
クイーンというバンドやフレディ・マーキュリーという人物に精通しているわけではないのですが、わざわざ伝記映画が作られる人物の、伝記映画での描かれ方がこれでは物語面で残念作だという批難は免れないでしょう。
あらすじ
舞台はロンドン。
インド系移民のファルーク・バルサラは24歳で、ヒースロー空港の荷物運搬係として働いていた。
インド系移民であることに劣等感を持っていた彼は自らの名前を「フレディ」と称し、音楽活動をしていたものの、決して注目されることはなく、堅物の父親との軋轢も烈しい。
そんなある日、フレディは地元の「スマイル」というバンドが解散目前であるということを知る。
ファンだった「スマイル」の危機。
思い立った彼はバンドの残存メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーに声をかける。「自分をヴォーカルとして雇ってくれないか」。
鼻で笑った二人も、フレディの歌声を聞くと態度を豹変させた。
欠員になっていたベーシストもジョン・ディーコンを補充し、ここに伝説となるバンド「クイーン」が誕生したのだった。
そして、瞬く間にスターダムを駆け上がっていく「クイーン」。
しかし、フレディたちは事務所ともたびたび対立しながら独自の音楽性を追求していく。
「ボヘミアン・ラプソディ」。
オペラを発想の起点としてつくられた曲は玄人の批判を浴びながらも大ヒットし、「クイーン」の地位を不動のものにした。
時代の寵児になった「クイーン」。
だからこそ、メンバー間の対立は深まっていく。
解散の危機、そして、フレディ自身の危機。
中年にして自身が「ゲイ」であることに気づいたフレディ。
結婚生活にも終止符が打たれる。
精神的に荒廃したフレディはいかに救われるのか、そして、復活した「クイーン」による伝説の演奏、「ライブ・エイド」はいかにして可能になったのか。
2018年、この伝記映画により、人間としての「フレディ・マーキュリー」がつまびらかになっていく......。
感想
この映画一番の見どころは随所に挟まれるライブシーンでしょう。
役者たちの熱演もさることながら、前後の文脈と繋がりつつ表現されるので、まるでミュージカルを見ているような、心象風景としてのライブシーンに仕立てられているという側面が光ります。
熱狂のシャウトにどこか虚無と哀愁が漂う、なんてことは普通のライブでは感じることが出来ず、むしろ映画の中でのライブ、ある種の作中劇だからこそ可能なのでしょう。
バンドメンバーの生活や曲が作られた背景、レコーディングの様子を見てから、あるいは見ながら演奏が始まるという演出は、さながらミュージックビデオのようです。
クイーンの新アルバムの壮大なミュージックビデオを見に行くのだ、という気持ちで映画に臨むと楽しめる、そんな作品なのだと思います。
一方、ストーリーは凡庸で一直線すぎる印象。
もちろん、伝記映画であり、人間の一生に物語創作上の「伏線」や「ギミック」を求めるのは酷かもしれませんが、数多の英雄の中から題材となる人物を選んでいるわけですから、もう少し「物語」として楽しめるような構成の人生が見たかったと思ってしまいます。
自分がゲイだと気づいて妻との生活が破綻したり、新しくできたゲイの恋人に生活をかき乱された挙句クイーンから離れてしまったりと、一つ一つの出来事は劇的ですが、それらの構成要素が巧妙に連携しているわけではないため、「驚き」や「感動」というものをストーリーから感じることは難しかったというのが正直なところ。
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