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【政治経済】「平成の通信簿」 吉野太喜 星2つ

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平成の通信簿
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米国は1990年対比で2倍、オーストラリアは3倍、韓国は1.3倍と、確実に生産額を増やしている国もあります。

資源国で豪ドル高になりやすく、輸出に不利なオーストラリアが3倍、日本と同じような経済構造や文化を持つ韓国が1.3倍という成績は目を見張るものがります。

それに対して、日本は0.7倍と3割減。

日本も1990年対比では人口も所得も増えておりますので、国内の食糧需要は増加しているはずであり、それに反しての減少はまさに農業国際競争力凋落の証だといえるでしょう。

他の先進国も、フランス0.9倍、イタリア0.9倍、ドイツ0.9倍、イギリス1.0倍と微減~維持といった程度であり、日本の0.7倍はロシアの0.6倍と並ぶ低位です。

また、新興国では、中国9.4倍、インド4.0倍、インドネシア5.8倍も着目すべき点でしょう。

これらの国々では自国民の購買力増加と農業の生産性向上が両輪で生産額を押し上げていると考えられますが、1990年~2016年というのは世界の人口増加率を農業生産額増加率が上回った期間であり、これらの国々から溢れ出る農産物が日本に流入し、日本の農業をますます苦境に陥れているという構図が読み取れます。

そんな中、ようやく近年になって日本の農業生産性が上がってきたということが本章の最後で示されます。

しかし、その要因は一戸当たり作地面積の増加です。一戸当たり作地面積を増やすことは重要ですが、先進農業国としての地位を確保するには、オランダや韓国のように作物の選別や新技術の投入で付加価値を高めたり、イタリアやフランスのような不断のブランド化努力が必須でしょう。

本当に「クールジャパン」のブランド力や「"日本産"の安心感」という感覚が世界に存在しているのならば、農業の惨状は今日の程度ではないはずです。

「日本ブランド」などという代物はいま、本当に存在しているといえるのか、「日本の作物は美味しい」はどう実証されているのか、自らへ厳しく問いかけなければなりません。

製造業と同様、付加価値を高める先進国と物量で押す新興国に挟まれ、どうしようもなくなっているのが日本農業の実態なのではないでしょうか。

次の「13. 漁業」では、日本の水揚量の推移や、平成年間における漁業従事者の推移が示されます。

日本の水揚量のピークは1984年の1282万トンで世界1位、その後下落基調ですが、平成が始まった1989年でもまだ世界1位です。

しかし、これが日本の先進性を表すものでないところが空しいところ。

1970年代には先進国を中心に「獲り過ぎ」問題がクローズアップされ、「水産資源管理」という言葉が出現し始めます。

両者が辿りついた結果の違いは明白で、日本の水揚量は2016年に436万トンにまで後退し、天然魚の漁獲量が激減したのはもちろん、養殖魚の生産量さえ1989年対比で減少しているのです。

乱獲で自らの資源を食いつぶしていた悪辣な姿を、当時だけでなく現在でさえ「『漁業大国』だった」と美化する言説があることに更なる絶望を感じますね。

なお、1989年と2016年の世界の漁獲量を対比すると、天然魚の漁獲量は89.6百万トンから92.0百万トンと微増に過ぎないのに対し、養殖魚は16.5百万トンから110.2万トンと、世界的には漁業が凄まじい産業構造の転換を経験した様子が浮かび上がります。

生産を管理し、安価で安全な魚を大量供給する、という新モデルに一切乗ることができず、衰退の一途を辿る日本の漁業。

就業者も凄まじい勢いで減少しており、もはや打つ手なしの状況です。

スーパーでも日本産ではなく、アメリカ産やノルウェー産の魚が目立ちますよね。

他の(新興国ではなく)先進国の魚を輸入したほうが安価で美味という惨状は私たちの生活にも染み渡っています。

製造業の勢いにも陰りがみえ、IT産業でも目立った企業が勃興せず、苦境に立つ日本経済。

上述のように製造業以外の分野を蔑ろにしてきたため、もはや柱となる産業が見当たらなくなってきています。

経済の話題ではともすると新興国の勢いが強調されがちですが、「平成」という期間に注目すると、農業や漁業といった分野ですら他の先進国のパフォーマンスには光るものがあるのです。

新興国が低賃金などを利用して大量生産系の産業で優位を占めるのは当たり前なので、この「平成」年間は新興国に負けたというよりもむしろ、先進国同士の産業革新レース(ITから農林水産業まで)から落伍していったという捉え方が正しいのではないでしょうか。

第3章のタイトルは「家計・暮らしから見る30年」。

そこで紹介されるデータのうち、本記事で取り上げるのは「18. 教育」「21. 先進国の貧困」「23 メディア」になります。 また、「17 消費」にも必要に応じて言及いたします。

そのタイトル通り、私たちの幸福に直結し、最も身近に感じる分野の統計が語られる第三章。

示されるデータも非常に生々しくなっております。

1日1日の変化をあまり感じない部分だからこそ、広い視点で見ることでその変化の大きさが分かるのではないでしょうか。

日本の公的部門が教育に投じる費用が小さいことは政策界隈での常識ですが、「18. 教育」でもこの問題は取り上げられています。

教育費の公的負担額の対GDP比はOECD加盟34か国中最下位。

ここでは「その2」で取り上げた通り、平成年間において日本の一人当たりGDPのランキングが急速に低下していったことも考慮に入れるべきでしょう。

人口に占める子供の比率が違うとはいえ、一つ上にインドネシアがランクインしていることには危機感をますます煽られます。

また、私費負担も含めた教育費全体でもGDP比で4.1%とOECD平均の5.0%を遥かに下回っています。

「17. 消費」では、1989年対比で家計の教育支出が20%弱減少したことが語られており、これは平成30年間に15歳未満の子供が32%減少(2320→1533万人)したことを考えれば健闘しているようにも見えますが、大学進学率が26%から54%に上昇する(教育課程が延長される)中のことでもありますので、いかに一人一人の子供に投じられている金額が小さいかということが分かります。

加えて、「17. 消費」で示される家計支出のデータでは平成年間における大学生に対する仕送り費の顕著な減少が強調されます。

1990年には東京の私大生への仕送り額が12万円/月を越えていたところ、2017年には8万6千円に減少しております。

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