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新書 「忘れられた日本人」 宮本常一 星3つ

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忘れられた日本人
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1. 忘れられた日本人

国際化が進み世界的に人の交流が活発になっていく中で、国境の存在感がますます曖昧になっている現代。欧米では移民に対する反発を通じて、「~国民であること、~民族であること」を強調する集団が力をつけてきています。日本でも観光客のみならず、事実上定住している外国人の数は増え続けており、更に外国人労働者の受け入れ条件が緩和されるなど、国際化の波に乗ろうとしているわけですが、その一方で、外国人への侮蔑的な発言を公然と行う人も、SNS上であれ、路上であれ、増加しているように感じます。

もちろん、日本人のマジョリティとは異なる文化的背景の中で育ってきた人々の数が増えてくれば、 お互いの文化が溶け合って、折衷的な良い新文化が生まれることも期待できる一方で、 既存の日本的文化との軋轢も当然に生まれてくるでしょう。

そういった点で、差別心とまでは言わないまでも、日本人的に暮らしてくれないなら、日本のルールを守ってくれないなら(この「ルール」は法律というより慣習のことです)、来てくれなくてもいい、あるいは、来るのは仕方がないが、既存の秩序や生活が乱されないか心配だと思う人がいるのもある程度自然なことだと思います。日本人の日本人的生活は大きな変遷の目前にあるといえるでしょう。

また、そういった外からの刺激による変化という点だけではなく、日本人自身の変化という意味でも、日本(に定住している)人の生活は大きく変わりつつあります。70~80年代を象徴するような、典型的核家族を中心にした生活スタイルは去り、様々な面で価値観の革新が起こっていることは明らかでしょう。そういった変化を、日本人の美徳が失われていっていると感じる人もいるでしょうし、より新しい時代の、より良い文化や規範の始まりだと捉えている人もいるに違いありません。

このような潮流の中で、「(出版業界と本好きの人々の中でだけかもしれませんが)過去の日本人たちはどのような価値観を持ち、どのように暮らしてきたか」という観点が注目を浴びているように思われます。1937年の小説を漫画として蘇らせ、2018年のベストセラーとなった「漫画 君たちはどう生きるか」は象徴的ですが、他にも、江戸時代の庶民の暮らしについて書いた本や特集が多くなったり、また、キワモノでは百田尚樹さんの「日本国紀」などもそういった関心から時機を得て出版されたのではないでしょうか。

本書「忘れられた日本人」は、まさにこの潮流の中でさえ忘れられている「日本人」の姿が記された作品です。江戸末期~戦後すぐの農村の姿を、現地の人々の生活を観察したり、インタビューをすることで浮き上がらせているのですが、これこそありのままの「日本人」だったのだなぁと思わせられるような内容が多く、現代がいかに漂白され、むやみに浄化された時代なのかを思い知らされます。

戦後、あまりにも「潔癖」になった現代日本人の暮らし。「潔癖」であらんがために振り払ってきた、少し前まで存在していた「日本人的暮らし」「日本人的価値観」がここにあります。高潔で思慮深い日本人像が胸にあるのなら、あるいは、昭和~平成初期の中産階級的暮らしが価値観の中心にあるのなら、是非、手に取って欲しい本です。

2. 目次

本書の目次は以下の通り

  • 対馬にて
  • 村の寄り合い
  • 名倉談義
  • 子供をさがす
  • 女の世間
  • 土佐源氏
  • 土佐寺川夜話
  • 梶田富五郎翁
  • 私の祖父
  • 世間師(一)
  • 世間師(二)
  • 文字をもつ伝承者(一)
  • 文字をもつ伝承者(二)

以下では特に面白かった章をピックアップして感想を書きます。

3. 「女の世間」

第5章にあたる「女の世間」。ここまでの4章は「昔の一般的な村の生活」の紹介という様相があり、全会一致となるまで延々と話し合う意思決定方法や、衣食住に纏わること、村の中での役割分担といった話が中心で、現代生活と現代の価値観に慣れ、過去のことは教科書でしか知らない身からすればそれらも十分に興味深いのですが、まだ過去の生活の紹介としては想像の範囲内で、やや凡庸のきらいがありました。しかし、この「女の世間」あたりから本書独自の刺激が増してきます。

田植えのときに仕事の遅い男性に泥をかけたり、田んぼの中に突き落としたりするエピソードや、娘がしばしば父親に黙って家出し、船で瀬戸内海を越え伊予(愛媛)まで行ってしまうこと、女性器を露出したまま田植えをしていた隣村の女性の話など、男女差別的でありながら、私たちが想像しがちな「男女差別的な昔の農村」とは少しずれた姿があり、そして、その姿が真実だと言うのですから面白いものです。「土着の野蛮で下衆な生活感に溢れる農民」としての日本人、という日本人像が赤裸々に立ち表れてきます。

また、嫁入り前に四国への長旅に出た際、貧しい村の人々から「子供を貰ってくれ」と頼まれることが多かったというエピソードも印象的。それを受けて子供の手を引きながら旅行の続きをする者もそこそこいたということで、「口減らし」が頻繁にあった時代を感じさせます。今般の日本社会では血縁がむやみに重視されておりますが、「肉親が血の繋がった子供を育てる」ことへの縛りがこれほどまで厳しいのはむしろ現代特有だと気づかされます。別の章ですが、乱交の許された日があり、その日に生まれた子供は父無し子でも、村の子供として育てたというエピソードも感慨深いものです。「生む」ことと「育てる」ことが密接不可分であり、しかも、ほったらかしの子育てでは「親の務めを果たしていない」などと批判される風潮が、日本至上最高に窮屈な子育てに関する価値観なのではないかとまで感じさせられます。

4. 土佐源氏

とある乞食小屋に住む老人の生涯が纏められている章で、タイトルに「源氏」という名前を付けるところに宮本教授のこの老人に対する愛着が感じられます。この老人は母親と夜這いに来た男とのあいだに生まれた子で、母親はわざと流産しようとするのですが努力も空しく生まれてきてしまい、その母親も火事で亡くなってみなしごになってしまいます。それからは子守奉公をする村の小さな娘たち(いまの小学生くらいの少女が血縁に関係なく村の赤子の子守をするのが普通でした)と遊んでるうちにセックスを覚えるなど、走り出しからなかなか波乱万丈な人生。

その後、ある「ばくろう」のもとに弟子入りし、生計を立てるすべを覚えていきます。「ばくろう」とは牛の仲買人で、駄牛を入手し、それを山中の農村を訪ねるうちにわらしべ長者方式でどんどん良い牛と交換していき、最後に市場で最上の牛を売って儲けるという職業。口八丁で農民を騙すのが技能というわけです。

そして師匠であった親方も死に、それを機になんとか落ち着いた生活を志すのですが、もとより村の人間でもない者にはどの村も冷淡で、そもそも、本人に「掟を守って生活する習慣」がないのですから上手くいかない。それでも努力して掴みかけた機会を、とある役人の妻を寝取ったことでふいにしてしまいます。

それからまた「ばくろう」に戻るのですが、やはり庄屋の妻と関係したりして一生を放浪の中で過ごし、行く先々で女性と関係して最後は乞食に落ち着くといった形。「学校」もなく(あったとしても皆が通う習慣がない)、「寺小屋」もない村の生活や、「ばくろう」という職業、性に寛容な雰囲気(特に女性が積極的で身分差を厭わない)は現代的価値からすると「不潔」の極みでしょう。

しかし、そういった人間的な欲望を抑圧しながら生活を続ける現代、そのあまりに規範的で清潔感のある「現代的中産階級生活」の概念に囚われた世界から見て、こういった昔の生活様式が少し羨ましくなったりもするのではないでしょうか。核家族&中産階級の組み合わせは驚くほど早く崩壊していっておりますが、「まっとうな生活を送っている」ことを演じるのに誰もが疲れ始めているのかもしれませんね。

5. 世間師(一)

昔の人は土地に縛られて一生涯を村の中で過ごさざるを得なかった、という印象を私たちは抱きがちですが、そんな想像にも真っ向から真逆の真実を突き付けてくるのが本書。特にこの「世間師」の章では、日本中、あるいは世界を飛び回った「普通の人」である増田伊太郎さんのエピソードが語られます。

増田さんはもともと山口県の生まれだったのですが、伊予や土佐に木こりとして出稼ぎに行き、西南戦争が終わると復興のため大工として熊本へ行って働き、その後は鹿児島、東京、台湾と各地を放浪します。嫁に帰って来いと言われても形ばかり帰郷してまた出かける有様。

もちろん、お嫁さんは可哀そうなものですが、一介の大工がこの時代にここまで各地を転々としていたのは意外でした。専門技能を身に着けて世界中を飛び回る、というのはむしろ現代のグローバルエリートに近い働き方でもあますし、少なくとも、専門スキルを磨いていくつもの会社を転々とするというやり方は欧米の労働市場に近いものがあります。ヨーロッパ式の「複線教育」では早い段階から「手に職」を学ぶ子供と「教養(=普通科)」を学ぶ子供が別れますが、増田さんは幼い頃から「手に職」を学び、それを武器に世界を駆けたわけです。一つの会社で社内スキルを磨きながら雇用され続けることが標準的憧れであり、それに至るため(高偏差値)大学へ入る必要があり、そのために誰もが普通科的な教育を受けるやり方がいかに特殊なものかが分かりますし、「日本人古来の価値観」から見ても自然だと言い切れるものではないということが身に染みる章です。

6. 結論

江戸末期~戦後すぐの「庶民」という、最も忘れられがちな日本人についてその生活を克明に記した「忘れられた日本人」。性への目覚めが早く、夜這いも不倫も常だった日本の農村。熱心な人からサボる人までいた田植え。「ばくろう」のようなアウトサイダーな暮らし。手に職をつけて世界を飛び回った人々。日本人の生活や価値観はむしろこういったものが多数派であり、高潔で思慮深い日本人像こそ、どこかで作られていったものだと再確認できます。激動の時代に「日本文化」をどう再構築していくかが問われる中、先人の生活はヒントになるかもしれません。昭和後期の価値観からすれば、反道徳的で反倫理的に見える生活や行動も、それこそが「日本の伝統的価値観」の可能性すらあるのですから、いま起こっている価値観変遷をそう恐れずとも良いのかもしれませんし、一歩踏み出そうとするときに、それは全く未知のことではないのだと背中を押してくれるかもしれません。

昭和後期が特異だった、平成こそ日本人が「普通」を取り戻す端緒だった。そう言われる時代が来るのかもしれません。エピソード集に留まり、作品を貫く理論や作者の主張のようなものがないので星は3つに留めますが、何か新しい時代について考えるとき、「こんな日本があった」ことを頭の中に留めておきたい話ばかりです。

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