スポンサーリンク

教養書 「有権者の選択」 平野浩 星2つ

スポンサーリンク
有権者の選択
スポンサーリンク

1. 有権者の選択

以前に紹介した「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」と同じく、アンケート調査から日本の有権者の投票行動を研究する本です。「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」は「政権交代期における政治意識の全国的時系列的調査研究」というシリーズでまとめられているのに対し、本書は「変動期における投票行動の全国的・時系列的調査研究」シリーズの一つとして刊行されています。とはいえ、その二つの研究が看板を変えただけの続きものになっているのが実質らしく、むしろ継続性のある統計データとして双方の中で扱われているくらいです。

教養書 「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」 山田真裕 星3つ
1. 二大政党制の崩壊と政権担当能力評価 「政権交代期における政治意識の全国的時系列的調査研究」という日本の有権者の投票行動を研究するプロジェクトがあり、その研究成果をまとめたシリーズの一つが本書です。著者は関西学院大学の山田真裕教授。 どのような有権者がどのような考え方をもとに投票行動を行ったかを解き明かすというのが一応の主題ですが、特定の主張をするための本というよりも、上述の調査に寄って得られた生データ・アンケート結果の統計処理後データインデックスのような役割が強いように思えます。いくつかは興味深い分析結果があり、イメージ論で政治を語る前に読んでおきたい一冊です。 二大政党制の崩壊と政権担当能力評価 (〈シリーズ〉政権交代期における政治意識の全国的時系列的調査研究) posted with ヨメレバ 山田 真裕 木鐸社 2017-06-01 Amazon Kindle 楽天ブックス

しかし、本書は星を一つ下げて星2つとしています。理由は、「データや統計結果に驚きや新鮮さがないこと」と「論全体に有用で核心的な主張がないこと」です。データセットに近いという点では「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」と同じなのですが、それでも、投票行動についてうまく「説明している」とは言い難い、ピントを外した統計処理の当て方や文章での論証がされているように感じました。

2. 目次

本書の目次は以下の通り。

序章   なぜ「政党政治」と「代議制民主主義」なのか

第一部 選択の主体:ミリュー概念から見た有権者像
第1章  ミリューの析出
第2章  ミリューの政治意識・政治行動
第3章  2大政党間での投票行動と政治的ミリュー
補論1   政権交代前後におけるイデオロギーの構造変容

第二部 選択の対象:政党間競争と有権者
第4章  政策を媒介とした政党-有権者関係
第5章  職業利益を媒介とした政党-有権者関係
第6章  選挙活動を媒介とした政党-有権者関係

第三部 選択の意味:有権者は何を選択しているのか
第7章  党派的対立軸の構造
第8章  党派的態度と政党選択
第9章  2大政党間の選択の意味
補論2  世代と政治的記憶

終章  日本における「政党政治」と「代表制民主主義」の行方
補論3   業績投票と合意争点型政治

3. 感想

複数政党制をとる民主国家において、政党ごとにある程度固有の支持者層がいる、ということは感覚的にもよく理解できることで、一般視されているといってもよいでしょう(近年はいわゆるポピュリズム政党の台頭で崩れているのかもしれませんが)。アメリカならば、WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)や中西部・南部の人々が共和党を支持し、逆にマイノリティや都市部のブルーカラー、あとは「リベラルな思想」の持ち主たちが民主党を支持するというのがざっくりとした括りですし、イギリスならば、階級社会を背景にミドルクラス以上は保守党、ワーキングクラスは労働党といった具合です。同じ属性ならば同じような政策志向を持ち、そうした政策志向の塊を各政党が代表する、といった単線的な関係がいわゆる古典的原理的な政党と社会の関係として描かれます。(やはり近年は崩れていますが)典型的な属性を持っていたり、一定の政策志向をある段階で獲得した有権者はなかなか投票先を変えることはなく、政党の「根っこ」となって政党の基盤を固めている、言い換えれば、「政党が社会に根付いている」わけです。

日本においても、農林水産業を営む人には自民党の支持者が多い、憲法改正(特に9条)に反対している人には社民党・共産党支持者が多い、など、有権者の属性や政治思想・政策志向によって支持する政党に一定の傾向があるはずだということは誰もが何となく感じていることだとは思います。しかし、その関係の根強さはどれほどのものなのか、また、そういったあまりにも典型的なパターン以外については相関があるのか、ということを読み解こうとしているのが本書の内容。手法としては、2005年、2009年、2010年の3回の国政選挙の際に行われたアンケートをもとに、そのような属性や政策志向と支持政党のあいだに本当に関係性はあるのか、そして、有権者は本当に自身の属性や政策志向に合った政党を選べているのかということについて統計的な手法を用いて論証しております。

本書の結論としては、「そういった相関はほとんどない」。もう少しだけ踏み込めば、「典型的で強力なパターン以外の相関はほとんどない」といったところ。例えば、憲法・安全保障の観点においては、改正賛成・防衛力強化を志向する人ほど自民党に、そうでない人ほど社民党・共産党を支持し、旧民主党がその中間に位置付けられています。このケースにおいて、個々人の政治志向と政党支持の関係は統計的に極めて有意な強い相関があります。しかし、経済・財政政策の観点、つまりネオリベラル志向なのか再配分志向なのか、財政再建志向なのか積極財政志向なのかという政策志向と継続的な政党支持との相関はなく、経済的な意味での右派・左派を代表する政党は存在しない(各政党の政策位置ははっきりしない)という有権者の意識を表しており、また、この観点に関しては自身の政策志向に関してすらDK/NA回答(分からない=don't know or 無回答=no answer)が多いというところから、経済・政策志向での対立が投票の争点としてそもそも生じることが期待できず、政策を媒介とした政党-有権者関係が形成されていないと著者は指摘します。

また、職業というところでも、「農林漁業」「自営業」「管理職」といったいわゆる伝統的な自民党の支持層が引き続き自民党を支持している他は強い相関が見つからず、特に正規雇用/非正規雇用といった近年注目されている概念で分けても政党支持態度に有意な差は見られないところを著者は強調しています。また、階層帰属意識や現状の暮らし向きへの評価も、一個一個の選挙では各政党支持への結びつきがあるものの、継続した政党支持には繋がっていないことが挙げられています。

さて、以上が本書がデータの分析から(おそらく)主張したいことなのでしょうが、多くの読者からすれば「当り前だろ」という結果であると思います。「憲法改正・安全保障」や「農林水産業」と自民党支持の関係いった、表層的な情報からも「そうだろうなぁ」と主観的に思うようなことが論証されてもたいした驚きや新鮮さはありませんし。一方で、そういった(主観的に)典型的だと思われる関係以外の関係が見つかったかというとそうでもなく、ここでも、「いったいこの本を出して何の意味があるのだろうか」と思ってしまいます。こういった企画ものの調査研究は結果がどうであろうと本を出さなければならない決まりでもあるのでしょうか。

また、全体として一次的なデータ処理のみを行って図を貼り、その結果についてダラダラと文章にしているだけなのも気にかかります。何か新しい発見を行うために工夫した統計処理を行ったり、雑多なデータの中から強調すべき事象をその理由とともに抽出するといった姿勢が見られないのも残念です。例えば、安全保障や改憲の軸では有権者の意識にも政党間対立があるが、経済社会政策ではそうでもない、と結論づけるのは、「安全保障・改憲」と「政党支持」、「経済社会政策」と「政党支持」という分析しか行っていないからです。各党の主張やこれまで行ってきた政策を考えれば、「自民党=安保強硬・積極財政・再分配」、「社民・共産=安保穏健・積極財政・再分配」、「旧みんな・維新など=安保強硬・財政再建・格差容認」といった、それぞれの軸がクロスした対立線上に各政党を乗せられるはずです(旧民主党は微妙ですが)。こう見ると、積極財政・再分配派が自身の安全保障に対する志向に合わせて自民党支持と社民・共産支持に分かれ、財政再建・格差容認派が旧みんななどに流れているともいえるでしょう。そして、自民党の「積極財政・再配分」と社民・共産の「積極財政・再配分」の質が違うものであることも自明なはずで、同じ「積極財政・再配分」でもその違いに注目している有権者もいるでしょう。自民党の「積極財政・再配分」とはすなはち、農林水産業への補助金や、大量の建設・運輸系公共事業、そして自営業と(上位)中産階級に極端に有利な社会保障・福祉制度・労働政策が代表的でしょう(所得再配分後に中産階級は手取りが上がるが貧困層はより苦しくなるような保険料率と課税制度・一律3割負担の健康保険、家賃補助はないが住宅ローン減税はある、授業料は無料だが教科書や制服は一律定額払いの義務教育、正規雇用者の安泰と調整弁になる非正規雇用の不安定さ など)。一方、社民党や共産党がその主張の中で謳っているのは、より典型的な「弱者」への再配分です。本著の中で使われたアンケートの質問の一つに、「補助金か自由競争か」がありますが、自民党の支持者(特に農林水産業に従事する人や建設関係者)と社民・共産の支持者で全く異なる意図をもって回答したことは容易に想像できます。そのあたりに踏み込んだ二次的な分析をせず、また、そういった注意点に気を配るような文章がほとんど見られないため、数字と文字が並んでいるだけで何か「意味」を持たせた論証になっていないのが本著の決定的な欠点です。

こうした欠点は本著の隅々にまで見られ、他にも、時おり「財政再建」が共産党への支持に結びついている統計結果が示されたりもしましたが、これは「金持ちや大企業に課税してさらに防衛費を削り、その分を借金返済と再配分に回せば財政再建と弱者救済を同時に達成できる」という共産党の謳い文句を考えれば、想定している「財政再建」方法の特殊さは一般的に想起される「財政再建」とは異なるものだと理解すべきという可能性があり、もう少し分け入って分析する必要があるはずです。また、「税負担の軽減か福祉の充実か」という質問もあるのですが、中産階級的な人達の中には「(自分たちの)税負担が増加する代わりに(自分たち向けの)福祉の充実をするべきか」と捉える人も少なくなかったはずです。この解釈は質問者の意図と異なる可能性があるでしょう。福祉を充実させるとき、その恩恵が中産階級に届くというのは非現実的でしょう。

なんとなくですが、著者自身に「政党支持は属性や政策志向から説明できるはず」という偏見がデータを見る前からあったのではないかという気がします。二者択一のアンケート結果を政党支持や投票と結び付けて重回帰分析するという発想自体が、人々が自覚的に意見を持ってそれを投票を通じて表明するという原理的構造、一貫した意見や価値観を持っているという単純すぎる構図に囚われている者が手をつけそうな手法だと感じました。そのようなある種ユートピア的なダイナミズムでは有権者が動いていないこと、それを、選挙のたびに政党支持に対して有意な独立変数の種類がころころ変わることが分かったあたりから感じるべきで、それこそ新しい発見へのとっかかりとして活用し、より分析を深めたり角度を変えたりして「有権者の選択」の「真の姿」を探っていくべきだったと思います。本書によると、独立変数の中でずっと有意なのは自民支持―社共支持を分ける旧来型保革対立的争点だけであり、特に自民党と旧民主党への支持要因には確固たる項目がありません。「価値観」の項目の「権威主義的態度」さえ自民支持の要因になったり民主支持の要因になったりしますし、構造改革や税金、福祉に対する態度はもちろん、「罪を犯した者に厳罰を」や「上下関係重視」、「利回りより安全」といった価値観もあてにできません。「安全保障(集団的自衛権)」さえ有意ではないのです(しかも10%基準でさえ本書では有意扱いなのでかなり基準が緩いです)。

そもそも、「有権者」は従属変数というより独立変数であり、「理想の政治」にとって都合よく変化するわけがありません。むしろ、奔放に変化する有権者を前提に理想の政治制度を考えることが政治学者の仕事であるはずです。新しい有権者像を構築する必要に気づいたなら、その方向をもっと強調することが出版する側の務めでしょう。少なくとも、「このアンケートの質問とその回答で得られるようなことでは政党選択をしていない」という率直な言葉が本文中に欲しかったところです。そのときそのときの政治的な文脈を背景を軸に人々が政党を支持する(同一政党を支持していても「理由」が変わっている)、政党同士の実質的な比較対立軸が急激に変わっていくことが常態化していることに気づいたのなら、それこそ着目すべきことであっさり書くべきことではありません。

しかしながら、本書は終章で全く逆の主張を行ってしまいます。政策志向ごとに政党がまとまっておらず、有権者も自身の利害や政策志向ごとに支持政党を一貫させないことをもって、政党が根付いていない、悪いことだ、代議制民主主義がまだまだだという結論が下されるのです。能力評価や業績投票の可能性を補論3で匂わせておりますが、あくまで著者の主眼は政策対立軸に基づいて政党が形成され、有権者もそのような対立軸を意識して投票を行うこと(ニワトリと卵の関係感はありますが)です。そういったことを決して、未来永劫行わない有権者像を想定できていませんし、政党が根付くこと(=政党が永続的に特定属性や利害・政策志向を反映させる)が至上とする根拠も本書では語られません。それが戦後の欧米先進国で見られた刹那的現象で、これからは永遠にそうならない可能性のほうがむしろ現在の状況を鑑みれば高いはずです。本書の刊行は2015年ですから、「政党が根付く」なんてことを理想論として語るならば、なぜそれが理想なのか、現実問題としてそこにどうやって至るのかということに触れていないのは本書の明確な欠点です。

ちなみに、個人的に近年の投票行動を考察するにあたって有力になる要素の候補はこんな感じだと思っています。

・投票先を決めるのに「安全保障」とか「経済社会政策」などは関係がない。多くの有権者にとって政府は(極めて恣意的で単純な定義の)正義や道徳の執行機関だと思われている。よって、勝利する政党は以下のようなアプローチで選挙を戦う。まず敵対する相手(別の政党でもいいが、社会内の仮想敵がもっとよい)の思想や行動が倫理に反しているということが喧伝される。「汚いやり方」、「人間性がダメ」、「彼/彼女らの存在そのものが社会を根底から汚している」など。②そういった者に制裁を加えるべきという主張がなされる。経済・社会・軍事・法務(警察)政策はその執行手段に過ぎない。パフォーマンスは悪を潰せた否かの主観的側量によってなされ、実際の所得の上昇などは顧みられない。

・有権者は政策の様々な場面でトレードオフが存在するなどとは思っていない。全てを都合よく解決する「頭のいいアイデアマン」がいるはずだという幻想に囚われており、選出された首相や議員がそれに値しないと思った瞬間から不支持に転向する(これは外生的に正解を求め、トレードオフを理解しない「正解を求める政治」として本書の著者も批判的に書き、脱却を促している)。ただ、「日本中(選挙区中)からたった一人だけの代表を選ぶ」制度が人々を自然とそういった感情にさせてしまうのは避けられないのではないかとも思う。

・中産階級的自助努力観念。「安保強硬・財政再建・格差容認」を支持しているが、真意は「(リスクなき)安保強硬・(自分以外が痛んでの)財政再建・(自分は上に残る線引きでの)格差容認」。しかもこれは悪意から思っているわけではない。自分は「悪いことをしておらず」、「常識的に生きている」ので、「痛んだり下に行くことはないはず」という思想に基づく(自分たちが傷ついたとしたらそれは「不公平・不条理」)。「自分(たち)」はまともに生きているのに日本が都合よくいかないのはどこかで誰かが悪いことをしているからという発想。 新自由主義的な政策が支持されるときは、郵政公社や国家公務員といった「自分とは関係のない人たち」が痛むときだけ。自分自身の(素朴な)常識を疑うことはなく、むしろ自分自身の努力を過大評価している。家庭や地域の(文化資本を含めた)資力が高かったり、ある程度の義務教育が無料で受けられたことや、医療負担が3割だったこと、住宅ローン減税で自宅を入手したことは忘れがち。所得0の人の所得を1にするのと5の人を6にするのでは政府負担としては変わらないはずなのに、前者には利害意識を超えた道徳的制裁心が働く。

・むしろトレードオフを意識している稀有な人々は各政党への忠誠心が高い。だから逆説的に、刹那的で偏った義憤により投票先を変えてくれる上述の人々が選挙で草刈り場になる。移動する票はそこだけなので、それが選挙結果を決定づける。これは小泉自民党(珍しく緊縮的なことを口にしつつ郵政公社を切った稀有な自民党)や旧民主党、維新の会の台頭と縮小を説明する。この意味で、最近では「立憲民主党」が自分たちの立ち位置を有権者に正確に伝えられているかは気になるところ。希望の党/国民民主党を切り離し、旧民主党/旧民進党時代よりも内実的にはより左傾化/(いわゆる)リベラル化したはずなのに、テレビを通じて枝野代表を見ている人々はいわゆる「改革の旗手」として、万能の改革派政党として見ている可能性があります。

・重要なのは、こういった意識が全世代全性別の全職業の全所得階級に蔓延していること(トレードオフを意識できている人もそういった属性に偏らず分散している)。それは本書の第1章における「ミリュー」の分析からも裏付けられている。アンケート結果から有権者を12の集団(ミリュー)に分類しているのだが、そもそも(12種類に分裂しておりもはや「分類」とは呼べないくらいなので当たり前だが)各ミリューの特性が被り過ぎていてとても個性を出せていない。また、各ミリューの説明も曖昧で、どの属性をとっても「10代か20代、または30代で、40代50代の可能性もある」のような書き方がされている。しかも、相関関係の分析を通じて各ミリューが自民寄り、民主寄りと分析されているが、それと各ミリューの個性との因果関係的結びつきは本書内で一切検討されない。実際問題、属性は政党支持と結びつかない(「農林水産業」「自営業」「管理職」の自民党支持を除く。ただしこれも緩んできているは思う)。

4. 結論

まとめると、「意味付けのない統計処理結果が貼ってある」「その結果をただ読み上げているだけのような文章」、「ときおり著者の主張らしきことが出なくはないが、それは『理想的な結果が出ないことへの不平』のようなもので、統計結果から新しい概念や見方を発見しようとはしていない」という感じです。どうしても「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」との比較になってしまいますが、「スウィング・ボーター」というひとまとめの概念で説明できる新たな集団がいるのではないかという論証に果敢に挑んだこの著作を見習ってほしいですね。「二大政党制の崩壊と政権担当能力評価」では、いわば積極的に謎や問題の要因を解明しようとする態度があったのに対し、本書は「日本の政党は社会に確固たる基盤をもっていない」という、誰もが直感的には思っていることを論証していくだけですし、統計的処理の結果としてもたらされる数値も、「わざわざアンケートをとって統計処理までしてくれてありがとう。でも、それは『知ってた』」ということばかりで特に驚きはありません。100人にアンケートをとって、50人(A群)は甘いもの好きで50人(B群)は辛いもの好き。これを別のアンケート結果と合わせると、A群ではキムチよりケーキが好きな人が多く、B群ではケーキよりキムチが好きな人が多い。しかし、これらのデータと職業選択との間に相関はみられない、みたいな結果ばかりです。普通、論文に取り組んでいてこのような結果が出てしまったら諦めるはずですが、この手の調査研究はなにがしか本を刊行しなければならないのでしょう。

同じようなデータを使っていても、そこから新しい政治的動きを説明する新しい方法を模索する人もいれば、漫然と回答分析結果を垂れ流すだけの著書もあるなと感じた次第。データと統計結果が乗っている分で星を1つ足しますが、こんな文章を読ませるくらいなら図だけ貼ってもっと安く発売した方が良いでしょう。

コメント