人生を目一杯使った極悪フリーライドをしたのが、ほとんどの一般的中産階級家庭だったという結果には、この分野における政策の稚拙さが目立つところでしょう。
また、経済政策として「住宅建設」を使うという発想も失敗だったのでしょう。
賃貸や中古住宅を冷遇すれば新築を大量に供給する運命になるのは避けられず、そこに限りある資本・労働力・技術を投入してしまうのは非常にもったいないことです。
新築になることで価格も高くなり、人々の消費を「住宅」に貼りつけてしまいます。
投資は最も限界収益率が大きいものに、消費は最も限界効用(幸福)が高いものに向かうべきですが、こと「住宅」については「生きていくために持たざるを得ない」わけで(住宅が真に選好第一位という人は住宅マニアだけでしょう)、限りある投資余力や消費余力がそこに向かってしまったことはなかなか大きな影響があったのではないでしょうか。
市場に高級米しか提供されなければ、私たちはパンを食べればいいわけです。
けれども、高級住宅しかない状態では他に選択肢はありません。
しかも、中古を大切に使って更新し続ければ同じだけのクオリティになるところを、あえて新築を作っているわけですから、クオリティに対して異様に値段が高くなっており「中質高価」の持家強制社会になっているわけです。
さらには、「持家文化」は「転勤文化」とも鋭く対立しています。
単身赴任でせっかく買った広い家の部屋を持て余している状況はよくあるのではないでしょうか。
しかも、企業は単身赴任用の寮を作ったり「借り上げ」をしなければならないわけですから、やはりその企業だけができる投資にまわるべきお金が「無駄な住宅」に回ってしまっているのです。
子供が独立したあとの「実家」、老親を呼び寄せたあとの「実家」も空き部屋が目立つかもしれません。
長々と書いた通り、本書は非常に素晴らしい本なのですが、あえて文句をつけるとすれば以下の3点でしょう。
まず一点目として、もちろん学術出版から出ていることは承知の上なのですが、少しでも一般向けにと思うならば、「新築持家社会の社会的実害」を冒頭に持ってきた方が良いはずです(本書でも最後まで散漫に示唆されるだけだったので、このタイトルでまとめて一章とるほうがよい)。
第1章から「新築持家社会の形成過程」に紙面を割いておりますが、日本に住む多くの人々にとって、そもそも「新築持家社会」を問題視する理由が不明なので(自明ではない)ので、新築持家社会形成の過程をこれでもかと記述したって「コイツは延々と何をやってるんだ」感が出てしまいます。
多数の人々にとって主観的に問題視されていないことを取り上げる場合は、「なぜ問題か」を冒頭にしつこく出せばよいのではと思います。
もう一つ、「取引費用」を重視した理論が第1章で展開されますが、これは理論であって実証ではないところです。
もちろん、「取引費用」が市場にもたらしている影響を実証せよという要求自体が厳しいのは分かりますが、「取引費用」→「大きな持家、粗末な賃貸」という流れはあまりにも定性的すぎます。
他のもっと大きな要因が影響しているかもしれないという疑念は拭えません。
「取引費用」が「どの程度」影響を与えているのかという話があればより良かったなと思います。
最後の点として、「政治」との関わりをもっと出してほしかったです。
これまでは「政治家」や「政党」のインセンティブと政治制度の関わりについて優れた著書を出しているのですから、そもそもなぜ、日本政府(=日本の政治家や官僚)はこのような住宅政策を選好するのかについてもっと深い分析が欲しかったところです。
また、文句ではないですが、「企業立地と住宅政策・都市計画」なんかに個人的には興味があるので、そのあたりも踏み込みがあると面白かったのにと思います。
結論
とはいえ、「住宅政策」を通じて日本政治・文化が抱える根源的な問題まで透けて見えるような名著。
この分野に興味があるならば、本書から手に取るのが良いでしょう。
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