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差別をテーマにしたNIKEのCMがなぜ放映されたのかを考える【メディア論】

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最近では、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視的な発言をしたとして批難を浴びました。

企業活動においても多様性や女性活用が謳われ、多様性確保や女性の総合職正社員・幹部登用を目的とした人材採用・育成・配置転換制度が社会的・国家的に促進されております。

目下、こういった流れを推進する雰囲気・空気感というものは非常に強くなっておりまして、そういった方針に少しでも反発するような言動を行うとすぐに「コンプライアンス違反」とされるような実態があります。

そもそも、反リベラル的な価値観を表明するような言動をとらないよう、事前に研修等を通じて「教育」されるのが(特に大企業においては)顕著な傾向でしょう。

さて、会社勤めをしていたり、事務職の公務員だったり、団体職員であったり、あるいは、およそ大人の組織というものに所属している方々には理解いただけると思いますが、社会人の組織において、一度決まった暗黙の空気感というものはなかなか覆しづらい、という実情があります。

もちろん、NIKEも組織であり、それどころか世界的大企業です。

もし、次のCM内容を決める企画会議の際、提案者が満面の笑みと堂々たる態度で「差別(に立ち向かって自分らしく生きる)をテーマにCMをつくりましょう」と言ったとき、果たして、おおっぴらに反対できる参加者はいるでしょうか。

世界的な大企業であっても(あるいは大企業だからこそ)、物事が「雰囲気」で決まってしまう場面は少なくありません。

自分には立場というものがあるからできないけれど、自分以外の誰かが、数字を使って理路整然と反対して欲しい。

全員がそう思いながら誰も口を挟むことなく、稟議に入っている偉い人たちも同じ気持ちで上辺の笑みを浮かべながら判子を押す(NIKEは電子署名かもしれませんが)。

そんな幼稚な光景があり得るのか、と思う読者もいらっしゃるかもしれませんが、この幼稚さこそ「大人の大組織」をむしろ象徴している側面すらあると私は考えています。

全ては憶測であり、もちろん、仮説①が妥当する可能性だって十分にあるとは考えています。

しかし、このCMの企画書が出されたとき、このCMの映像が着々とつくられているとき、そして、最終的にこの映像を見たとき「リベラルの仮面」を被ることがマナーとされている現代社会において「反対」の雰囲気を醸すことさえ憚られるのではないでしょうか。

このCMが放映された理由は、まさにこのCMの内容が現代の大組織において誰も反対できないような内容だから、という仮説は過激なように見えてそれなりに現実的であると考えています。

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