あらすじ
時代は19世紀中盤、舞台はミズーリ州の田舎町セント・ピーターズパーク。
10歳の少年トム・ソーヤーは大変な悪戯好きで、いつも騒動を巻き起こしては育ての親であるポリー伯母さんに叱られている。
塀のペンキ塗りを巧みな手腕で友人たちに押し付けたり、新入りの少年と取っ組み合いの喧嘩をしたり、同級生の少女ベッキー・サッチャーにアプローチしてみたり、ホームレスの少年ハックルベリー・フィンと一緒に家出をしてみたりと、トムの日常は大なり小なりの冒険に溢れている。
そんなある日、トムは真夜中の墓地で殺人事件を目撃してしまう。
恐怖に駆られながら町に戻ったトム。
しかし、彼には更なる試練が訪れる。
真犯人のインシャン・ジョーは犯罪の隠匿を画策、マフ・ポッター老人に罪を被せようとしていて……。
感想
子供向けの純粋なエンタメ冒険小説です。
小学校高学年男子がやりそうな悪戯や、やってみたいと思うような冒険(家出をして森で寝泊まりしたりなど)のエピソードが散りばめられており、児童文学としてはまずまず面白いのではないでしょうか。
ただ、その「小学校高学年男子」像がやや古いかもしれず、いまの子供に共感してもらえるかと言われれば微妙だと思います。
舞台となるセント・ピーターズパークは「古き良き」という言葉がそのまま当て嵌まるような田舎町。
住民は全員が顔見知りで、週末には町人全員が教会に集まって説教を聞き、少年が行方不明になったと聞けば町人全員で捜索に出かけます。
子育ても町ぐるみで行われていて、コミュニケーションの垣根も非常に低い。
また、少年トムが行う悪戯や冒険も現在の道徳や倫理からやや逸脱しているものが多く、いつだって汗と泥にまみれています。
地域共同体が失われ、少年たちも端正で洗練された格好をしながら都市的な生活を送るようになった現在、本作は親しみ深い主人公に共感する物語というよりも、一種のファンタジーとして読まれてしまうのではないでしょうか。
いまの子供たちはトム・ソーヤーの向こう見ずな蛮勇を純粋に「かっこいい」とは感じてくれないでしょう。
喧嘩早く、悪戯好きで、女の子のことが大好きで、野山に分け入って冒険するのはもっと好き。
きっと、いまの小学生はそんな人物の性格や生活に憧れたりはしません。
日本では1980年代に「世界名作劇場」のアニメとして放映されている本作ですが、その頃がちょうど、親子で本作を親しみあるものとして楽しめた頃合いだったのでしょう。
地域共同体が十分に維持され、多くの少年たちが野山を駆け回っていた時代であり、その父母もまたそういった少年少女時代を過ごした世代だったはずです。
子供たちとっては自分の化身が異国の町で未知なる冒険を行っているように感じられ、父母にとってはノスタルジックな記憶を懐かしむことができる。
そういった位置づけの作品として老若男女が楽しめていたのだと思います。
なお、本作の続編である「ハックルベリー・フィン」の冒険はアメリカ文学史の中でも極めて重要な作品とされ、その文学的・政治的意味づけが今日でも論争になるほどの小説ですが、本作はそういった文学性や政治性から距離を置いた作品であるとされています。
一読した限り、確かに文学的・政治的かと訊かれれば「そうではない」と答えたくなる作品です。
しかし、閉鎖的な町社会コミュニティから疎外され蔑まれるハックルベリー・フィンという浮浪児の存在や、殺人事件の容疑をなすりつけようとする大人の存在、そして、あまりにグロテスクなインシャン・ジョーの最期など、社会の影の陰鬱な部分を描き出している場面もあり、何も考えずに読めるような軽い娯楽一辺倒でもないのが本作の深い部分でしょう。
娯楽的な物語の狭間で、大人社会の生々しい側面も少しばかり伝えようとする。
そんな手法も昔ながらの児童文学の薫りがするところです。
ただ、大人が読んで「非常に深い」と思えるかと言えばそうではないというのが正直な回答になります。
つまらなくはないけれど、物語として卓越しているわけでもない、平凡な作品。
評価は2点(平均的な作品)が妥当でしょう。
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