補論その②
ここからは、本書に関連して私自身が感じたとりとめもない与太話を書いていきます。
本書の原著は2018年の出版なのですが、邦訳版は2020年となっており、まさに時宜を得た出版時期となったのではないでしょうか。
というのはもちろん、コロナウイルス流行により生まれた「エッセンシャルワーカー」という単語及びリモートワーク進展にともなうホワイトカラー存在意義についての議論がブルシット・ジョブと関係しているからです。
リモートワーク下において、本当に何もやっていなかった管理職や社員の存在があぶり出されたとか、社員が働いているのかを監視するのが難しくなったとか、そういう、事務職員のブルシット・ジョブな業務内容が赤裸々になってしまうような議論が起こるようになった一方、社会におけるエッセンシャルワーカー不足とその労働環境の悪さが如実にあぶり出されました。
だからといって、エッセンシャルワーカーの労働環境を改善しようとか、賃金を上げて報いよう、あるいは、賃金を上げて募集をかけることで数を補っていこうとか、そういう世論が形成されることはなかったのです。
ここにはまさに、いかにも自由市場らしく見える経済構造の現実と、ブルシット・ジョブ・ワーカーの本音が出ているのではないでしょうか。
つまり、どんなに需給ギャップが生じても、(厳密な理由は不明だが)エッセンシャルワーカーたちの待遇が自動的に改善されることはなかった。
そして、ブルシット・ジョブ・ワーカーたちは高みの見物を決め込むだけで、この社会的価値の産出と受け取る報酬が明確に反比例する現実に対して声をあげようともしなかった。
「感想」の締めとして私は「さすが社会人類学者の論考というだけあって、経済学者的アプローチとは随分違うのに驚きましたね」という言葉を選びましたが、コロナ下におけるこの状況はかなり現代経済学に刺激を与えているのではないかと思いますし、与えてほしいと思っています。
この点以外でも、コロナウイルス下の状況そのものが壮大な自然実験という側面があると思いますので、コロナ収束後の経済学の動きには注目しています。
ところで、生産性皆無なブルシット・ジョブについて、本作では主にアメリカやイギリスの文脈で語られているのですが、日本の労働生産性の状況ってどうなんだろうと思って調べてみたところ、以下のようなデータが出てきましたので紹介しておきたいと思います。
(以下、データの出典は断りがない限り「労働生産性の国際比較 2020」(https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/report_2020.pdf)より)
日本の一人あたりGDP(2019年)は43,279米ドルでOECD加盟37ヶ国中21位、20位はチェコで22位は韓国であり、G7では最下位です。
就業者一人あたりの労働生産性(2019年)は81,183米ドルで同26位、就業者 1 人当たり労働生産性上昇率(2015年〜2019年平均)はマイナス0.3%で同35位、時間当たり労働生産性(2019年)は47.9米ドルで同21位、時間当たり労働生産性上昇率(2015年〜2019年平均)は同19位とのこと。
「就業者一人あたり」の数字は本当に酷いですよね。
当然、アメリカとイギリスは日本よりも上位にあります。
「時間当たり」はまだマシで、特に「時間当たり労働生産性上昇率」は19位と、「一人あたりGDP」の21位を上回っているので上がり目がありそうです。
また、「時間当たり労働生産性」はアメリカ、イギリスを下回っていますが、「時間当たり労働生産性上昇率」ですとイギリスよりは上位です。
ただ、日本人の「1人平均年間総実労働時間数」は一貫して減少しているようなので、ブルシット・ジョブを圧縮した分は余暇に回っているようです。(ここのデータは(https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0501_02.html)より)。
ブルシット・ジョブが少しでも減り、多くの人が自己効用感に溢れた人生を遅れるような社会になることを祈りつつ、本稿を締めたいと思います。
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