1994年から2006年まで「月刊アフタヌーン」に連載されていた漫画であり、敢えてジャンル分けするならば「近未来日常系」とでも呼べる作品です。
誰もが知っているような有名作ではないかもしれませんが、2007年の第37回星雲賞コミック部門を受賞するなど、SFとしての評価も界隈では高い漫画となっており、隠れた実力派という位置づけが適切でしょう。
文明が後退した世界を長閑に生きる人々の、少し不思議でなぜだかとても感動的な日常に打ちのめされること間違いなしの傑作です。
あらすじ
海面上昇に伴って現在の沿海部が水の底に沈み、文明が後退してしまった日本が舞台。
女性型ロボットである初瀬野アルファ(はつせの あるふぁ)は三浦半島の「西の岬」で「カフェ・アルファ」を経営している。
といっても、一日に2,3人お客さんが来ればよいほうの暇なお店で、アルファはとても長閑に日常を暮らしていた。
近所に住む「おじさん」や、その孫である「タカヒロ」と交流したり、ヨコハマへ買い出しに出かけたり、少し長めの旅に出たりする中で、アルファは様々な人々との出会いと別れを経験する。
よもや人類には滅亡の運命しか残されていない「夕凪の時代」に生きながら、年をとらないアルファは人類が過ごす最後の時代を愉しみ、そして見つめ続ける......。
感想
タイトルこそ「ヨコハマ買い出し紀行」ですが、主人公のアルファが明示的にヨコハマへの買い出しに行くのは初回と最終回の2話のみ。
初瀬野アルファという主人公の日常を描くという形で、滅びゆく人類の穏やかな生活の営みの中で生まれる喜びや悲しみを抑制的で情緒的な筆致で描き、時おり、滅びゆく世界で生まれる様々な謎を描写しながら世界観を深めていくというスタイルの漫画になっております。
なんといっても本作が見事なのは、滅亡やむなしの人類が過ごす黄昏の時代を描く、という難題を見事にこなしている点でしょう。
「今は昔ほど季節がはっきりしないけれど、みんな前よりも物事に感じ入ることが多くなったと思う」
第1巻において、初日の出を近所のみんなで見に行った際に語られるアルファのモノローグが本作の雰囲気をよく表現しています。
文明が崩壊したことで、却って絆や共同体が再生した世界。
穏やかな環境の中で、ゆっくりと流れる時間や豊かになった自然を人々が楽しんでいる。
セリフによる説明ではなく、コマとコマの「間」や風景の描写で物語の展開や人間関係の情緒が存分に伝わってくることにまずは感動すること間違いなしです。
特に序盤は何の変哲もない日常話が多いのですが、「よもや人類には滅亡の運命しか残されていない『夕凪の時代』」が文明世界を生きる読者側にとって非常に魅力的な非日常を構成しており、ただ読んでいるだけで自然が名物の観光地を巡っているときのような安心感と爽快感に浸ることができます。
加えて、作中で描かれる人間関係の温かさも、特に今日の日本からすれば非日常の様相がある関係性が築かれており、近未来の話であるにも関わらず、文明化によって失われたものが「戻ってきた」と思わせるような雰囲気が上手く醸し出されています。
また、海面上昇が始まる前の段階において人類は現在よりも更に進んだ工業的技術を得ていたことが示唆されており、人間と全く見分けがつかない人間型ロボットであるアルファの存在や、もう二度と着陸できない航空機が延々と上空を飛んでいるという「文明の名残」のような設定がやるせない喪失感を生み出し、時おり描写される、当たり前のように保有されている銃器について人々が持っている感覚なども「文明があった」時代の光と闇を感じませます。
さらには、基本的に白黒漫画であるはずなのに、登場人物たちの発する言葉や絵の質感で現代の都会的な生活にはない自然の「色彩」が豊かに表現されている点も見逃せません。
都会生まれの人がたまに田舎に帰ったときに見る、すすき野原や星空、雪山、深い森、青い海の色合い。
そのような「色彩」が、本当に自分の目の前に広がっているような、そんな感覚さえ抱いてしまうくらい、本作の総合的な自然描写は見事です。
「湖を左に見て台地の上をめぐる 同じような景色の中を人ひとり分のはばしかない道が延々とつづく」
「こんなに細く人通りも無い道なのにくっきりと一本」
「濃い空気 自分の足音だけが聞こえる」
アルファが旅に出て、道中で発するモノローグの一部なのですが、このようなモノローグにこそ、本作の「静かな豊かさ」が宿っていると言えるでしょう。
基本的に「日常系」である本作においては、アルファが日常を過ごす中で、その背景として様々な人々物語が進んでいくという、かなり間接的で、だからこそ情緒を感じられるような構成がとられています。
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