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「ファイト・クラブ」デヴィッド・フィンチャー 評価:3点|現代資本主義社会がもたらした精神的鬱屈に対して、奇妙で斬新な処方箋を提示する作品【アメリカ映画】

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ファイト・クラブ
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自分は肉体を持つ人間であり、また、相手もそうである。

物理的存在として世界の中に実存するという感覚。

こういった身体感覚が再生されることで、本作の主人公は「本当の自分」を取り戻していきます。

2点目は、社会的な肩書に囚われない集団であるという点です。

「ファイトクラブ」で行われるのは男同士の殴り合いであり、それ以上でも以下でもありません。

そこでは、昼間の仕事では蔑まれているような労働者も、社会的地位の高い幹部社員や役員も、ただ等しく殴り合いの中に放り出されます。

殴り合っているあいだは、あるいは、殴り合いを観戦しているあいだは、誰もお互いの社会的地位を気にしません。気にする余裕などありません。

自分は社会において何者なのか、何者として扱われているのか、そして、相手を何者として扱うべきなのか。

そういった社会的思考から解き放たれることの快感を「ファイトクラブ」は実現しており、だからこそ、会社員生活における物質的充足と精神的欠乏のはざまで葛藤していた主人公は「ファイトクラブ」にのめり込むわけです。

どうでしょう、このように書くと、今晩「ファイトクラブ」に行ってみたくなるのではないでしょうか。

このように、主人公をはじめとした現代資本主義社会に疲弊しきった男たちのオアシスとして「ファイトクラブ」は発展していくわけですが、物語はここまでが中盤。

暴力に飢えた男たちの集団はやがて、主人公の相棒であるダーデンの指示のもと、犯罪者集団へと生まれ変わっていきます。

そんな変貌に主人公である「僕」は動揺するのですが、ダーデンの正体が明らかになるとともに、主人公の自己意識と行動にも変化が訪れる、という展開で終盤にもつれこんでいきます。

ダーデンの正体を本稿で明らかにすることは避けますが、中盤から終盤にかけて一つ、印象的な場面があるのでここに紹介いたします。

それは、「僕」とダーデンが銃を持ってコンビニへと押し入る場面です。

とはいえ、何かを奪ったりするわけではなく、一人の店員を外に連れ出し、銃口を向けて彼に問いただすのです。

大学では何を専攻していたのか、そして、何故諦めたのか。

獣医の勉強をしていたというアジア系の男に対して、仕事を辞めて4週間以内に獣医の勉強を再開しなければ殺すと言って、身分証明書から住所を把握しながら念を押して、そして男を解放します。

「あいつは明日、最高の朝を迎えるはずだ」

必死で逃げる男の後姿に対してダーデンが放った一言には視聴者として動揺させられました。

生活をしていかなくてはならない、世間が認めるような生活をしていかなくてはならない、安全な方の未来を選ばなくてはならない。

何をやっても自由なはずの資本主義・自由主義社会を生きているはずなのに、わたしたちは自分で自分を縛り付けている。

そんな自縄自縛を為している一人の成人男性をダーデンは銃の力で救い出し、なりふり構わない自己実現の世界へと放り出すのです。

本作最終盤の展開であったり、あるいは、最終盤の展開から推測される「僕」の当初からの深層意識。

そこに通底しているのは、どこまでも自由で、人間同士の肉体的・精神的な繋がりの復活を求めるアナーキーな思想だと言えるのではないでしょうか。

「本当の自分」を基準にしたとき、どこかいまの生活は、特に会社員生活は、どことなく仮想世界の出来事のように思える。

そんな人々にとって、共感できる映画になっているはずです。

さて、このような感想を書きつつ、あらためて本作の冒頭を思い出してみると、「僕」の生活には、単なる会社員という以上の特徴があることに気づきました。

それは、彼の生活に人間との繋がりが一切ないことです。

会社で上司と仕事上の会話をすることと、精神科医と会話する以外の、友人や恋人関係に纏わる交流が彼の生活描写として一切描かれないのです。

近年、もはや人生において失うものがない人のことを「無敵の人」と呼び、重犯罪を実行する動機となる状態としてこの「無敵の人」状態への言及が多くなっているように感じられます。

本作の主人公である「僕」も、犯罪集団化する「ファイトクラブ」を通じてテロ的な重犯罪へと接近していくわけですが、映画冒頭における「僕」の状態というのは、正規雇用の会社員であるという点を除いてはまさに「無敵の人」なんですよね。

しかも、その状態でいて、会社員生活に退屈しているどころか、半ば会社員生活を憎んでいる。

これってもう、ほとんど「無敵の人」と言ってもよいのではないでしょうか。

そして、人と人との繋がりが希薄になっているとされている現代日本において、このような状態に陥っている人の数は少なくないのではないでしょうか。

そう思うと本作は、古典映画でありながら時代の進行とともに増々同時代性を強めている映画だと言えるでしょう。

そんなわけで、評価は3点(全体のレベルが一定以上、なおかつ胸を揺さぶる要素が一つ以上ある佳作)。

飽きさせない作品ではあり、ファイトクラブに主人公がのめり込んでいくあたりまでは名作と呼べるかもしれませんが、それ以降の展開が個人的には突飛なものに感じられたので、佳作の評価とします。

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