漫画&アニメ映画 「この世界の片隅に」 著者:こうの史代 監督:片渕須直 星3つ

この世界の片隅に
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1. この世界の片隅に

2019年1月現在において「この世界の片隅に」といえばアニメ映画を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。事務所との係争により「のん」への改名を余儀なくされ、仕事が激減していた能年玲奈さんを主演声優に迎えてたった63館での公演と、マイナー映画的な興行から始まったにも関わらず口コミによって人気が広まった本作。最終的には30億円近い興行収入を獲得し、世界60ヶ国以上で公開されるようになるなどまさに日本映画界のシンデレラといってもよい作品でしょう。2019年12月20日には新カットを加えた「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」として改めて公開される予定で、その勢いは留まるところを知りません。

本作が公開された2016年は本作のほかにも「君の名は。」「聲の形」といったアニメ映画界の転換点となる作品が公開された年であり、いまや日本の映画シーンを牽引している「子供向けでもオタク向けでもないアニメ映画」というジャンルの礎を築いた作品でもあります。「君の名は。」「聲の形」は本ブログでも既にレビュー済み。これでようやく三作品コンプリートとなりました。

続いて原作漫画の紹介になります。原作となった漫画「この世界の片隅に」は双葉社の漫画雑誌「漫画アクション」に掲載されていた作品で、2009年の第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を獲得するなどその界隈では知られた作品でしたが、一般的な知名度はイマイチ。やはり映画のヒット以降に売り上げを伸ばしているようです。

著者のこうの史代さんは原爆投下後の広島を舞台とした作品「夕凪の街 桜の国」で第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞や第9回手塚治虫文化賞新生賞を獲得するなどやはりその道では知られていた漫画家でしたが、本作のヒットで一気にメジャーになったのではないでしょうか。

のん (出演), 細谷佳正 (出演), 片渕須直 (監督)

2. あらすじ

舞台は戦時下の広島。江波という町に住む浦野すず(うらの すず)はぼんやりとした性格ながら絵を描くのが得意という特技を持った少女。おつかい中に攫われかけたり、座敷童のような少女にすいかを食べさせてあげたり、同級生の水野哲(みずの てつ)と良い雰囲気になったりしながら江波の町で伸び伸びと過ごしていた。

ところが、すずが18歳のときに持ち込まれた縁談がすずの人生を大きく変えることになる。呉市に住む北條周作(ほうじょう しゅうさく)とその一家からもたらされた縁談に浦野家は応じることとなり、すずは故郷である江波を離れ、軍港の町である呉で新生活を始めることになったのだ。ぼんやりとした性格を義姉である黒村径子(くろむら けいこ)に咎められたりしながらも芯の強さを発揮し、戦時下の苦しい生活の中で北條家や呉での生活に溶け込んでいくすず。呉の遊女である白木リン(しらき りん)との邂逅や戦地から一時的に戻ってきた哲との一夜といった特別な経験を経ながら、すずは大人の階段を上り、だんだんと少女ではなくなっていく。

そんな日常を過ごすうちに戦局は悪化し、呉にも米軍の爆撃機がやってくるようになった。ある日、すずは径子の娘であり自分によく懐いていた晴美(はるみ)を連れて義祖父の入院している海軍病院へとお見舞いに向かうのだが......。

3. 感想

基本的には漫画よりもアニメの方が良いなという印象を受けました。戦時下でも健気に生きるすずの明るくコミカルな日常シーンが大半を占める本作では、日常的なちょっとした動きを細やかに表現しているアニメの方がコミカルさや温かさがより効果的に伝わってきます。もちろん、それを可能にした片淵監督の手腕には素晴らしいものがあります。広島弁も(本当はこんなものじゃないというネイティブからの批判はありましょうが)雰囲気づくりに一役買っています。

また、すずが哲のために描いたうさぎの絵が動き出す場面や、晴美の死の前後に挿入されるアニメーションなども叙情性や悲劇性が上手に強調されていると感じました。「日常」を描くのにうってつけの絵柄ではあるものの、切ない場面や悲劇的な場面はどうなんだろうと考えながら鑑賞していたのですが、この絵柄ならではの情緒ある表現で思わずため息を漏らしてしまいます。そもそも原作漫画からしてそんな「動き」を感じさせようとする画風でしたから、推測ですが原作者が望んでいた「動き」と片渕監督のアニメーションが描く「動き」が見事に合った結果となったのではないでしょうか。

次に物語面に目を向けますと、大筋は商業的にそつのない脚本だなという印象です。どんくさいけれど明るく前向きな人物が戦時下を一生懸命生き、爆撃や原爆投下で大切な人やものを失い、それでも再生に向けて歩き出していく。この展開に悲しみを感じない人間はどう考えてもいないだろうという要素を取り揃えたお涙頂戴のオーソドックス脚本で、この「戦争の可哀想な被害者」路線で描くからには賞賛こそあれ批判されることはほとんどありません。リスク管理面も含めて商業的に手堅い題材と展開なのです。

しかし、そんな商業的「正しさ」こそが本作を佳作ながら傑作とはなりえない作品にしております。物語の中心となるのは前述の通り「戦時下の日常」、とりわけ、「戦時下の苦しい生活を持ち前の明るさと強さで乗り越えていくすずの日常」です。太平洋戦争という派手な枠組みが使われることでその意識が薄まりがちですが、「少し特殊な世界や、少し変わった性格や生き方をしている人たちの日常生活」という流行の型そのままでありまして、そういった類の作品を褒める際によく用いられる「(綿密な取材によって描かれた)~のリアルな日常」という条件を本作はしっかり満たしております。私を含む経験者でも専門家でない人間が「リアルな戦時下なんだろうなぁ」と感じるくらいには「リアリティ」があります。

そして、そういった類の作品における典型として、ただリアルなだけに満足しているという悪い側面があります。本当にリアルな当時の生活を見たい/知りたいのであれば、真剣にそう考えている人ほどわざわざ嘘混じりのフィクション作品など見ないでしょう。現実に起きたことが記載されている資料や当時の現実の映像など山ほどあります。フィクション作品でどれだけ人が喜怒哀楽を感じようと、たとえ死のうとそれは嘘なのであり、その喜怒哀楽や死は「物語」に貢献してこそ意味がある一方、現実の人間の喜怒哀楽や生死はそれだけで無限の価値があるものです。そういった点から見て、ただリアルなだけの戦時下生活が描かれている本作はその大半のパートにおいて「創作物語」としての面白さが見られないともいえるでしょう。

それは日常パートだけでなく、終盤の劇的な展開の肝となる爆撃や原爆投下でも同じことがいえます。罪のない人々が爆撃や原爆投下で亡くなって悲しいなんてことは当たり前です。それは現実で既に起こったことなのです。

不謹慎を承知で言えば、「罪のない登場人物たち」を用意して「原爆オチ」をすれば悲しいに決まっています。けれども、それは現実で起こったことの焼き増し・劣化コピーに過ぎません。そこに創作物として評価すべき独自の「物語」や「感動」はないのです。そこで感じる悲しみは現実に戦争で人間が犠牲になったときに感じる悲しみの矮小版に過ぎず、その展開は現実をそのまま「パクっただけ」であって、そこで生じる感情は創作物語としての価値ではありません。

しかも、原爆投下で悲劇が起こるという展開は戦時下の広島が舞台となっている時点で誰にだって読めるものです。本作は誰もが予想可能なこの「オチ」を用いるというのにも関わらずそれをあっと驚く形で使ったりはしません。「戦時下の日常」や「原爆投下」は確かにわたしたちの胸に迫るものであり、劇的です。しかし、そういった現実に起こったこと、ノンフィクション要素を差し引いた後に残る本作独自の良さとは何でしょうか。上述のように「アニメーション的描き方」には一定の評価が与えられますが、 「どんくさいけれど明るく前向きな人物が戦時下を一生懸命生き、爆撃や原爆投下で大切な人やものを失い、それでも再生に向けて歩き出していく」という大きな筋書きには何も加点できません。

となると、本作独自の良さとして評価すべきなのは水野哲及び白木リン関係のエピソードでしょう。諸手を挙げて褒めちぎるというほどではありませんが、私もこの2つのエピソードは本作を小粋な良作にしている要素であると思います。

おそらく両想いだったすずと哲だけれども、結婚と徴兵というイベントを経て離れ離れになってしまう。そして、久方ぶりに戦地から帰ってきた哲がすずに会うため北條家を訪れ、そこで周作は二人の様子からその特別な関係に気づく。そして、二人を離れに泊める。作中の表に出ている部分では、すずは周作と自分とのあいだに子供ができないから周作が哲を「代わり」にしようとしたのだと誤解し、それに周作が「ほんまはあん人にと結婚したかったくせに」と返して喧嘩になります。「『家』が結婚を決める慣習」や「子供ができないと(現代以上に)責められ肩身が狭い」といった当時の時代背景を用いつつも、「不本意な結婚をした(と思われる)妻に気を遣う夫」「その夫の気遣いを『子供を産ませるため』と誤解し、なおかつ夫婦の絆を守るために哲との同床を断る妻」という構図は胸を締め付ける切ない構図として視聴者/読者を感情的にさせます。

もっと言えば、ここからは推測ですが、周作には想い人と結婚できなかった哲を気遣う気持ち、そして戦地に行っていない自分に対する負い目のようなものがあったのではないでしょうか。同じすずのことを好きなった男性として、すずと結ばれなかったことの悔しさや苦しみが理解でき、なおかつ、戦地で報国していて次の出撃ではもう戻ってこないかもしれない人物。そんな人物が訪れてきたとき、彼と妻(すず)とを一つ屋根の下に置く。これが周作なりの「粋」であり「仁」であり「義」であったのではないでしょうか。女性を無意識かつ当然のように物扱いするところ、「物扱いされている」ことに対してすずが反発しないことも含めて時代のリアリティがありますよね。

次に白木リンのエピソードですが、まずは遊郭という要素が絡むためか映画版では大幅にカットされていたのが残念。予算や尺の都合でそうしたのであれば「さらにいくつもの」では追加されていることに期待ですが、物語全体をマイルドにして万民受けを狙いにいくためであり「さらにいくつもの」でも追加されないとのことならばあまり賛同できかねます。「座敷童の女の子」の行動が子供の頃と大人になってからでは違うように見えるということ、自分の夫が入れ込んでいてなおかつ自分のために捨てられた(リンは何度「捨てられて」いるのでしょうか!!)風俗嬢に会うということ、自分とは全く違った環境で育った人物とまっさらな気持ちで接し、「選ばれた側」「選ばれなかった側」に思いを馳せる。これこそ普遍的な「人間の成長」ストーリーであり、一見、善良生真面目な周作の違った一面が出てきたり、すずが少女から清濁併せ呑む大人の女性に変わっていったりという、物語に裏表や深度、奥行きを与えるエピソードになっています。このエピソードがあるからこそ、夫の自分には見せない側面や白木リンのような境遇の女性という世界にまですずの視界が広がり、それを受け入れていくことで成長していく姿が魅力的なのです。

哲やリンのエピソードこそ、同じ時代の同じような人物たちを題材にしても著者の独自性・手腕が発揮されるところであり、本作はこういった小エピソードでもって凡作ではなく良作たりえているのだと思います。

4. 結論

戦争の中を健気に生きる人々の日常と戦争がもたらす惨禍の悲しみ、そして希望、というベタな流れは上述した欠点がありながらもある種の安心感はありますし、そこに影を落とす少し暗いエピソードがいい味を出しています。映画ではアニメーションでの演出も見事で、その「動き」には惹きこまれるものがあるのは否定できません。総合的には平均以上の作品。星3つに相応しいでしょう。

のん (出演), 細谷佳正 (出演), 片渕須直 (監督)

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