1. リズと青い鳥
高校の吹奏楽部をテーマにしたアニメ/小説作品、「響け!ユーフォニアム」の映画になります。アニメ版及び小説版の感想はこちら。
本映画はストーリー本編ではなくスピンオフ的な扱いとなっており、脇役の二人、傘木希美(かさき のぞみ)と鎧塚みぞれ(よろいづか みぞれ)の関係にスポットを当てた作品になっております。タイトルから「響け!ユーフォニアム」を消しているあたり、独立した作品としても見て欲しいという思いが制作サイドにはあるのかもしれません。
とはいえ、内容的には「響け!ユーフォニアム」のことをかなりの程度知っていなければならないものでしたし、それどころか、本編で見られたようなアニメーション的な良さが消え失せ、ただ観念的なだけのマニア受けを狙った邦画のようになってしまっており、残念でした。
2. あらすじ
北宇治高校吹奏楽部に所属する三年生の希美とみぞれ。活発で友達の多い希美と内気で交友関係の少ないのぞみは対照的な存在だけれども、二人は親友といってよいくらい仲が良い。
そして、北宇治高校吹奏楽部がコンクールの自由曲として選んだ曲が「リズと青い鳥」。リズという少女と青い鳥との交流を描いた童話を元にしたこの楽曲は、希美のフルートとみぞれのオーボエの掛け合いが成功の鍵を握るとされていた。
内気なみぞれと、活発な希美。みぞれは中学生の時に希美が吹奏楽部に誘ってくれたことを大切な想い出としており、以来、どこでも希美についていき、なんでもかんでも希美の決断に委ねるようになっていた。
そんなみぞれだから、三年生になっても自分の進路を決めかねており、進路調査票を白紙で出してしまっている状態。ある日、希美が音大に進むと聞き、みぞれは「じゃあ、私も」と、なんと希美と同じ大学にするという論理で進学目標を決めてしまう。
戸惑う希美、その話を聞いて訝る吹奏楽部の部長・副部長。演奏も二人の掛け合いがぎくしゃくして上手くいかず、希美とみぞれはそれぞれに思い悩む。
依存と自律、親友との出会いと別れ。少女同士の、少しだけ特別な関係を瑞々しく描く物語。
3. 感想
期待していましたがイマイチでしたね。アニメ版よりもビジュアルを現実寄りにしており、キャラクターは5頭身から6頭身で、これは「深夜アニメ」としてではなく、一般向けの「アニメーション」として作るんだなと思っていたのですが、内容はかなり拗けたものでした。
まず気になるのは、物語を進める、あるいは飾るために、かなり幼稚だったり非現実的なシーンを入れ過ぎていることです。女子高生同士の会話は「深夜アニメの女の子同士の会話」になっていて、こんな幼稚な女子高生がどこにいるんだよという程度のものですし、希美とみぞれがやたらと童話「リズと青い鳥」を援用しながら考え込むのも全く現実味がありません。童話を比喩的に使い、「どちらがリズでどちらが青い鳥なのか」なんて観念的な会話は普通しませんし、それをさせるに足りるような描写や構成のある物語にはなっていません。そもそも、二人が自分たちの関係を「リズと青い鳥」の物語に沿って考える必然性は全くなく、女子高生として普通の日常を送っていればもっと別の気づきがあったり、全くの偶然で関係の修復orさらなる破壊が起きてしまうものです。それを無理くり「リズと青い鳥」で考えさせるのは「脚本の都合」としか言いようがないでしょう。冒頭の場面で、のぞみが校舎の前で立ちすくんで階段に座りこむのも意味不明(毎日この調子では登校できていないでしょう)ですし、希美がそこに都合よく現れるのも偶然を多用しすぎです。
また、作中では何度も童話「リズと青い鳥」をそのままアニメ化したシーンが挿入され、それが二人の関係を暗示していることが示されるのですが、このシーンは不要です。吹奏楽のアニメであり、また、タイトルやストーリー運びから「リズと青い鳥」を援用していることは明白なのですから、「リズと青い鳥」がどのような物語なのかは間接的な描写で視聴者に上手く想像させなければなりません。「リズと青い鳥」を直接アニメにしてしまって、それをモチーフにしたシーンや会話をその次の場面でするなんて馬鹿馬鹿しすぎます。そんなに「リズと青い鳥」が素晴らしいなら、童話「リズと青い鳥」をアニメにして放映すればよいのです。本作の手法は「ロミオとジュリエット」と「ウエストサイドストーリー」を一場面ずつ交互に流すようなもので、物語全体が全く別の作品であるはずの童話「リズと青い鳥」に依存しすぎています。
上述した「幼稚な会話」とも被りますが、最も気持ち悪い設定/場面は「『ハグしてお互いの好きなところを言い合う』という遊びが流行している」というもので、これがラストシーン近くでも鍵になる描写として使われているのですが、なんの前置きもなしに使っていいものではないでしょう。もちろん、一部の地域や学校では流行っているのかもしれません。しかし、様々なバックグラウンドを持つ視聴者のどれほどがこの設定に堪えられるでしょうか。特殊な「深夜アニメ」界隈だから通じる描写に過ぎません。
加えて、ビジュアルも上で「現実寄り」と述べた通り、確かに後頭部をちゃんと描いているところなどは良いと思いますが、やるなら徹底的に、もっと目を細く、もっと足を太くするべきでしょう。やたら痩せぎすな登場人物たちで幻想的・童話的な空気を出したかったのかもしれませんが、ファンタジーでも童話でもなく、現実の、生々しい人間関係が主題なのですから、細すぎるビジュアルも物語と不調和です。
こういった個々の要素にも不満がありますが、物語の大きな構成にも疑問点が多くありました。
まず、「みぞれが希美に依存している」描写です。最終的には実はこれが逆か、あるいは共依存であることが判明するのですが、みぞれの依存描写が露骨すぎて話になりません。小学生かあるいは幼稚園並みの「~ちゃんがするからわたしもする」になっています。例えば、進路を決める際も、希美が「音大に行く」と言った瞬間に「希美が行くならわたしも」と言うのはあまりにも幼稚でしょう。高校生くらいになれば、「進路は自分で決めるもの」という建前を知っています。だからこそ、こそこそと希美の進路を伺いつつ「偶然だね」なんてことにするのが狡猾な依存者の手口になるはずですし、その方が狂気的な依存をより深く描けるはずです。さらに、後輩たちがみぞれにほいほいと寄ってくるのも考えもの。のぞみの他者への接し方は、決して相手からすれば気分の良いものではありません。そのくせ、友達を欲している。そんなみぞれがなんの努力もしなくても寄ってきてくれた/くれる相手、それが希美なのですから、そういった、「自分に都合のいい世界で生きるみぞれ」描写ももっとあるほうが二人の関係のひりひりどろどろ感が演出できたでしょう。
極めつけはラストシーンに至る場面、みぞれの方が希美より遥かに吹奏楽の実力があり、実は希美こそ苦悩していたと分かるという物語最大の転換点。ここで価値の逆転を持ち出してくるのは良い構成といえますが、これだけで希美が自分やみぞれと向き合おうとするのは、内面や性格ではなく、「実力」というものでみぞれが希美を惹きつけたことになり、あまり良くないと思います。二人の和解、ハッピーエンドは、お互いの内面に惹かれあっているという演出で終わらなければ、少女の「関係性」の物語としては物足りないのではないでしょうか。
4. 結論
繰り返しになりますが、期待していただけに非常に落胆しました。今年はもう2本、今度は本編の続編映画(=第3期)があるとのことなので、それに賭ける想いです。
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