第5回京都アニメーション大賞を獲得した同名小説を原作とする深夜アニメです。
2019年及び2020年には映画も公開されており、2021年には金曜ロードショーでも放映されるなど、深夜アニメとしてはかなりの大ヒットを記録した作品となっております。
また、2019年の映画は本作の制作会社である「京都アニメーション」が死者36名を出す放火事件からの復帰後第一作にもあたり、特にアニメファンのあいだでは無事公開されたというだけでも感動はひとしおだったようです。
「京都アニメーション」といえば、古くは「涼宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん」、最近では「響け!ユーフォニアム」といったヒット作を手掛けた会社として知られており、本作の美麗な作画にはその実力が存分に発揮されているといえるでしょう。
そんな本作ですが「戦争しか知らなかった元少女兵が代筆屋としての職務を通じて人間らしい心情を理解し獲得していく」という物語の大枠そのものは個人的にも好みで、20世紀前半のヨーロッパ風な世界を舞台にしている点も気に入っています。
ただ、一つ一つの物語(本作は一話完結形式です)の脚本や、キャラクターの性格はまさに深夜アニメのステレオタイプそのもので、 「戦争しか知らなかった元少女兵が代筆屋としての職務を通じて人間らしい心情を理解し獲得していく」 という深刻で生々しい題材とは合っていません。
土台となる物語の枠組みや設定は非常に普遍的で、一般的なドラマとしても面白そうなだけに、なぜこんなにも「深夜アニメ」感を剝き出しにして制作してしまったのだろう、もったいないなと感じました。
あらすじ
大きな戦争が終結し、大陸に平和が訪れてからすぐのこと。
みなしごであったところを拾われ、少女兵として駆使されてきたヴァイオレットは最後の戦闘で両腕を失い、義手の嵌めての生活を余儀なくされていた。
上官であったギルベルト・ブーゲンビリア少佐の計らいによりヴァイオレットはエヴァーガーデン家に引き取られ、現在、彼女はヴァイオレット・エヴァーガーデンと名乗っている。
そんなヴァイオレットが就職したのは、首都ライデンにあるC.H郵便社。
ギルベルトの親友だったクラウディア・ホッジンズ中佐が退役後に創設した私設郵便会社であり、ギルベルトからヴァイオレットの後見人を頼まれていたホッシンズがコネで入社させたのである。
最初は簡単な書架整理や配達業務をこなしていたヴァイオレットだが、ひょんなことから自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)という業務に関心を抱くようになり、ホッシンズに頼み込んで配置転換をさせてもらうことになった。
自動手記人形とは代筆屋の尊称であり、 C.H郵便社は代筆業を事業の一角として行っているのである。
当初、戦場で育ったヴァイオレットは依頼者の気持ちを上手に汲んだ手紙を書くことに苦戦するのだが、業務を通じて出会う様々な人々の感情に触れていくことで、ヴァイオレットは人間らしい感情のあり方を理解していく。
「愛してる」
最後の戦闘で重傷を負い、現在は行方不明となっているギルベルト少佐。
戦場の中で彼がヴァイオレットに残した言葉の意味を、ヴァイオレットは知ることができるのだろうか......。
感想
良い意味で色々な要素を欲張って取り入れている作品ではあるんですよね。
少女の精神的な成長を描くという王道の若者成長青春譚でもあり、代筆業という特殊な職業の日常が描かれるお仕事ものとしても成立している作品であり、また、近代における総力戦的な戦争の犠牲になった人々の「戦後」を描くという系統の物語としても鑑賞できる作品です。
これらの要素を上手く料理すれば、純文学的な意味でもエンタメ的な意味でも面白く、万民の心に響く作品になり得たのではないかと思ったのですが、上述の通り、ディティールの部分で深夜アニメ感が濃すぎるところが本作の残念な側面です。
主人公のヴァイオレットは終戦時におよそ14歳で、少女兵として戦場を駆け回っていたという設定。
それゆえ、軍隊的な言葉遣いしか知らず、日常会話を楽しむという観念が希薄で、挙動も軍隊式の影響が拭いきれないというキャラクターになっております。
もちろん、「戦争しか知らなかった元少女兵が代筆屋としての職務を通じて人間らしい心情を理解し獲得していく」物語なのですから、そのような性格付け自体は妥当だと言えるでしょう。
問題はその表現方法にあります。
文脈自体が非常にシリアスな物語であり、そのシリアスさが感動の引き金になる物語であるはずなのに、このヴァイオレットはギャグマンガやコメディアニメで出てきそうな、笑えるレベルで空気を読めないキャラでしかありません。
わざとらしいほど刺々しい語り口で喋るうえ、代筆屋の学校に通えば敬礼で挨拶し、仕事のことを「任務」と呼んで体調管理のために昼食を摂らないなど、戦場帰りだからといってそう極端にならないだろうという方向で極端な人物であるように描写されるのです。
どんなに周囲から奇異の目で見られても敢えて「軍隊式」を貫き通すくせに、普通の人間の感情が知りたいだとか、あまつさえ「愛している」の意味を知りたいなどと宣うのは不自然で仕方がありません。
本当に普通の人々の普通の感情が知りたいのならば、「軍隊式しか知らない自分」に負い目を感じているならば、例えば、周りに合わせようとしても上手くいかず空回りしてしまい戸惑う、といった場面が用意されなければならないでしょう。
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