この涼宮ハルヒという人物が持つ感受性のほうが、自分が世界のごく一部であることを知っていて、なお何とも思わない我々よりもよほどまともなのではないか。
少なくとも、高校生活という特別になり得る時間を特別にしようともせず、それどころか積極的に凡庸であろうとするほうが狂人なのではないか。
これまでは記号的なキャラクターにしか思えなかった涼宮ハルヒに生々しい人間性が宿され、その生々しい人間性から繰り出される悲愴な決意を下地にした積極性という要素に対しては、どこかフィクションの作品のキャラクターに抱くはずもない現実的な魅力まで感じてしまう。
学園ラブコメからSFへと変貌したのち、ライトノベル的な戦闘シーンを挟んで文学的な境地に辿り着き、その過程でヒロインが持つ十重二十重の魅力へと読者を惹き込んでいく。
そんな怒涛の展開にはただ圧倒され、感情を良い意味でかき乱されるばかりです。
そして、何か日常に大きな変化を起こして特別になろうとするも、どんな行動も空振り気味に終わってしまうという過程を繰り返したハルヒは、次第にこの世の中の滅亡と新しい形での再生を心の中で望むようになっていきます。
もちろん、そんな願望をヒロインの口から直接語らせたりするような、そんな安っぽい手法を本作は執ったりしません。
涼宮ハルヒが抱くかもしれないそんな願望とその危険性は、SOS団に所属する「超能力者」こと古泉一樹によって語られます。
世界を望むがままに改変できる能力を持っているが、その能力に気づいていない人物に最も行ってほしくないこと、それは世界の滅亡を心の底から望むようになってしまうことである。
実際、世界はこれまで何度も滅亡の淵に立たされてきたうえ、そのたびに超能力者集団が何とか解決してきたけれど、涼宮ハルヒの願望の程度があまりにも大きければそういうわけにもいかないのだ、ということを、古泉はキョンにとある実地見学を通じて悟らせます。
そのような警告がなされるということはもちろん、最終盤において、世界は滅亡の淵に立たされます。
灰色になった世界にはたった二人だけ、キョンと涼宮ハルヒだけが存在していて、涼宮ハルヒは元の世界に帰りたくない、この新しい世界で生きたいと言い出すのです。
窮地に立たされるキョンですが、SOS団員たちの遠隔的な助力を得ながら、そして何より、涼宮ハルヒやSOS団員たちと過ごした短くも充実した平凡ではない日々の経験や、涼宮ハルヒが奇抜な行動をするきっかけになったエピソードを聞いたことによる、キョン自身の中に生まれたある心境の変化が、キョンをしてハルヒに対する説得と、学園ラブコメとしてのクライマックスに相応しいとある行動を起こさせて本作は終幕を迎えます。
学園ラブコメからSF、そしてバトルアクションを経て文学に辿り着くという流れから、最後には学園ラブコメへと戻るという円環構造も見事ながら、円環上を歩み出したときと、スタート地点に戻ってきたときの主人公とヒロインの心境変化、一皮むけたその精神的な向上の表現方法には、ジュブナイルのお手本と呼んでも過言でないほどの技術があります。
1990年代から勃興し、小説のジャンルとして一大勢力となったライトノベルという新興勢力の歴史を象徴する金字塔の一つでありながら、伝統的なジュブナイルというジャンルにおける、2000年代前半期の完成形でもある作品とまで評価しても行き過ぎではないでしょう。
最終盤において現実世界へと帰るためにキョンが起こすとある行動についての伏線がやや弱い(その方法で解決するのでは、涼宮ハルヒの恋心を前提としなければならないはずだが、恋心というだけで物事が解決するような話なのならば、それまでの論理的で説得的な構造は不要になってしまい、価値が下がってしまう)ところが少し難点で、完璧を意味する評価5点はどうかな、と思うので4点としていますが、5点にかなり近い4点という意識で評価しております。
少しでも本作が気になった人は、まずは試し読みか何かで冒頭の文章だけでも読むとよいのではないでしょうか。
この冒頭文はライトノベル界隈で非常に有名であり、本作の斬新な側面を象徴する文章だと評価されています。
本作が文芸界に起こそうとして、実際に起こしてしまった革命の端緒をそこに見ることができるでしょう。
間違いなくお薦めの作品です。
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